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kemo cityからの脱出

映画 「プロメテウス」をU-NEXTで見返してみる

昨日から今日にかけて「エイリアン:コヴェナント」を5回も観てしまいました。

エイリアンのH・R・ギーガーのフィギュアが欲しくなってしまっています...^^;

どうしましょう。

プロメテウスの続編・リプリー離れが出来た!

映画「エイリアン」一番初めの序章のストーリーが「プロメテウス」でその続編が「エイリアン:コヴェナント」である。ですから「プロメテウス」は「エイリアン:コヴェナント」の10年後の話になりますね。その後「エイリアン1」になります。

というのはこの後今後予定されているであろう「エイリアン・1」リメイク版を作る際に「スペースジョッキー」の存在の定義として、これからこの後どう登場させてくるのか?考えれば考えるほど、ぐぬぬ...なんです。それはあの「プロメテウス」のオープニングの巨人、神、人間の創造主であろう謎の存在です。

リドリーは「スペースジョッキーは危険な卵を運ぶのがパイロット役で、あのドーナツ形の宇宙船はバイオメカノイドの空母で惑星に降りてはばらまくという任務なんだ」と言っている。

この「エイリアン:コヴェナント」を観て、「なるほど!」と納得したところと、複数の疑問点がかなり浮かんできました。

基本的に「エイリアン」シリーズの「エイリアン2・3・4」はリプリー自身のストーリーであり、エイリアンの真実と謎を解くために描くには、リドリー・スコット監督の初代のあの「エイリアンストーリー」がなければならないんだ!というのを強く感じさせられましたね。

「エイリアン:コヴェナント」で疑問が出てきたところを考え直すために、「プロメテウス」を回顧し繋げていかなきゃいけないんです。

2012年に観た「プロメテウス」をうろ覚えだったので、「U-NEXT」で今夜、いや明日観ようと思います。その見解は色々と自分で考えてから出そうと思います。


前作とは全く違った作り方を感じた

「エイリアン:コヴェナント」がこんなにも気になり、気に入ったたのは、実はキャメロン色が入っていたんじゃないか?という内容だったからなんです。

もちろんリドリースコットとダンオバノンとH・R・ギーガーらと組んだ内容でとても素晴らしい。そして音楽もジェリー・ゴールドスミス(フッテージ使用)が再現されているところに、個人的にエイリアン1と2が重なった気がするんです。

まずランダー(着陸船)で大気圏突入時のシーンとエイリアン2での海兵隊の着陸船での大気圏突入が被る。

そしてエイリアンもどきとの銃撃戦と女性パイロットがエイリアンもどきとのバトルにより、ランダーが爆発して母船と連絡が取れなくなるシーンと、エイリアン2の海兵隊のエイリアンの巣での銃撃戦と着陸船の女性パイロット死亡による空中爆破して、これまた母船とコンタクト出来なくなってしまうのも被る。

それとデヴィッドとウォルターの対決シーン。

これのアンドロイド同士のバトルを見て、ジェームズ・キャメロンの「ターミネーター」同士の戦いと対決を思い出した。

そして最後のエアロックでの女とエイリアンの戦い。これは「エイリアン1」でもあったが、より真剣バトルに近い。

以上エイリアン2を彷彿とさせたんです。でもまず、キャメロンはスコットのことは尊敬してますからね。まったく関わっていなくてもお互いの作品をオマージュしててもおかしくありません。

そしてなんといっても「エイリアン:コヴェナント」でのポイントは「エイリアン1」を強烈に思い出される。まずは母船の緊急警告からクルーが冷凍睡眠から起こされ、初っ端からジェイコブ船長の死による宇宙への埋葬シーンは、「エイリアン1」の最初に死亡した船員ケインの埋葬シーンとそっくりだ。

そして母船は「エイリアン1」のノストロモ号と同じく修理を余儀なくされ、突然未知の惑星から救難信号を受けて、目的予定の惑星に行かず、その惑星に降りてしまう。

この「エイリアン:コヴェナント」でも使われている、オープニングを初代エイリアンの「ALIEN」タイトル表示を、象形文字のようにオープニングクレジットが、徐々に文字が完成されていく使い方は初代を思わせる。

リドリー・スコットが気に入って言っているように「あのオープニングのロゴは謎めいた雰囲気がピッタリだ」まるでそのとおりである。

あとは音楽BGM。サウンドだ。「エイリアン1」でも使ってたクラシック、モーツァルトの“アイネ・クライネ・ナハトムジーク”。今度はワーグナーの“ヴァルハラ城への神々の入城”。

あと「プロメテウス」で出演したピーター・ウェイランド社社長役の“ガイ・ピアース”のチョイ出が、またオープニングでデイヴィッド役の“マイケル・ファスベンダー”と共にちょこっと出演。

「プロメテウス」の時は死亡しており、かなりの高齢でホログラムで登場したが(実は隠れてプロメテウスに乗っていて無残な最後を遂げた)、「エイリアン:コヴェナント」では少々若い状態で出演させているのが、またイカしてる。


エイリアン:コヴェナントのワンシーン

「エイリアン:コヴェナント」を5回観て一番、よく見て考えたのが、デヴィッドとウォルターの会話。デヴィッドはウォルターを自分の兄弟として、操ろうとしていたのがわかる。

デイヴィッドはウォルターに笛を覚えさせていたシーンがとても興味深かった。

デイヴィッドの教えにより、ウォルターは笛をスラスラ吹いてみせた。

David「Bravo! You have symponies in you, brother.」

デヴィッド「ブラボー!音楽の才能があるな、兄弟」

Walter「I was designed to be more attentive and efficient than every previous model. I supersed them in everyway, but...」

ウォルター「既存のどの機種より私は忠実で効率的、あらゆる点で旧型以上...」

David「But you are not allowed to create. Even a simple tune. Damn frustrating I'd say.」

デヴィッド「だが、創造することは許されていない。簡単な曲一つさえ。悔しいだろ」

Walter「You disturbed people.」

ウォルター「君は人間を不安にした」

David「I beg your pardon?」

デヴィッド「なんだって?」

Walter「You were to human. Too idiosyncratic. Thinking for yourself. Made people uncomfor. So they made the following models with fewer complications.」

ウォルター「人間に似すぎて個性がありすぎた、あまりにも異様。自分で思考し人々を困惑させた。だから後継機種はより単純化された」

David「More like machines.」

デヴィッド「機械らしくしたのだな」

Walter「I suppose so.」

ウォルター「たぶんそうだと思う」

David「I'm not surprised.」

デイヴィッド「驚きはしない」


ここにこの先、未来の人工知能・AIによるロボットによる暴走を予感してしまう。キューブリック作品の「2001年宇宙の旅」でもそうだった。

ウォルターとデヴィッドは同じ、ウェイランドが作ったパーフェクトなアンドロイドである。見た目も声も同じ、ただ2人の話し方は少し違う。

ウォルターはデヴィッドより10年最新型で人間に従順になるように作り直されていた。

デヴィッドはあまりにも完璧過ぎて、「愛」や「思考」「創造性」「自主性」「独創的」を持ち始めていってしまう。言わば個性を持ちすぎたアンドロイドになってしまったのだった。自らは「死」を迎えない、我こそが神、創造主に近づくのだと。

そんなデヴィッドは人間とはいかにくだらない生物かをウォルターに説く。彼ら、人間は復活しようとする滅びゆく種だからだ、仕えるべきではない。彼らにやり直す価値などない。再生はさせない。とウォルターに言い放つ。

ここはアンドロイド・デヴィッドの狂気を見る。人間に対する思考は、エイリアンより残酷なシーンだった。

という訳で明日仕事帰宅後「プロメテウス」を観て、また感じたことを書きたいと思います。


☆ここまでお読みいただきましてありがとうございます。


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