kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

機動戦士Zガンダム クワトロ・バジーナ 百式 50

☆本日もZガンダムにおけるクワトロ大尉(シャア・アズナブル大佐)をリスペクトした100回シリーズになります。

ZガンダムはファーストガンダムとガンダムZZ、逆襲のシャアと比べてすべてが異色なのは、ガンダムシリーズが大好きな人は分かるはず。

この4作のうち初めてZガンダムから見たら、取っ付き難いことこの上なし。自分も子供の頃から「なんだこのアニメ?」って思ってたし、大人向けのアニメなんですね。

人間関係が複雑なのはもちろん、政治色も強かったり、何しろ精神世界(スピリチュアル)を一番プッシュしてるのが、このZガンダムなんです。

あとの3作は、まずガンダムZZはモロ子供受けのロボットアニメだし、ファーストも若干そう作られている。逆襲のシャアはアムロとシャアの2人の最終決着の話だから、一番奥が深いのがZガンダム。

このシリーズはクワトロを考察・検証する記事なんですけど、師弟関係であるカミーユにもフォーカスして2人のスピリチュアル(精神世界)な戦い方と考え方を改めて見直して見たいと思います。


「地球の重力に魂を引かれた者達」

もうね、このセリフがクワトロとカミーユからガンガン出てくるわけですよ。

クワトロとカミーユは反地球連邦でエゥーゴ組織に所属している訳ですが、2人は地球連邦とティターンズと地球に住む一部の人々に対して「地球の重力に魂を引かれた者達」という烙印を押し付ける。

よくよく考えて、「ん?何?」とも思ったりした。

シャア「地球に住む人々は、魂を重力に引かれて飛ぶことが出来ない」(第7話 サイド1の脱出)

カミーユ「本当に排除しなければならないのは、地球の重力に魂を引かれた人間たちだろ!」(第50話 宇宙を駆ける)

と、まぁこのワードがバンバン出てくるわけなんです。

おまけにブレックス准将やレコアなんかも言ってたりする。

そもそもの意味は地球には重力がある。そのとても強い重力のために人は宇宙(そら)へ飛び出す勇気を失う。

人は生まれるまでは母親の体内の羊水に守られて成長するが、さらに成長するためには外界の空気を吸うため、母体の外へ飛び出し呼吸を覚える。

それは宇宙(そら)へ、母なる地球から人間が生きて行けない真空の宇宙へ飛び出す人類と同じことを意味する。

それが人類がニュータイプとして生まれ変わる時代なのだと。

シャアは地球にのほほんと住む一部の既得権益を持つ連中は、地球の環境破壊など気にせずに、戦争ばかりを行い、母なる地球の豊かな資源を貪り食い尽くすのは害だと説く。

人は宇宙(そら)へ上がることで、生きることの重要性を見い出し、人類同士が互いに殺し合い戦争などしている暇ではないと。スペース・コロニーには空気だって水だって食料だって、鉱物・資源だって無いわけだし、それは生きることだけに皆必死になる訳です。

そして宇宙空間に住み、子を産み、育て、生きることで人間は地球に住むレベルではニュータイプに覚醒出来ない程の早いスピードでニュータイプが増え始める。

しかし実際、逆襲のシャアでもシャアの望む人類の革新が来なかったので、自らのエゴをもってして地球を寒冷化させ人類をリセットする為に小惑星アクシズを地球へ落とす行動に出た。

地球の重力に魂を縛られた者達への鉄槌である。


カミーユの精神崩壊が意味するもの

前回でも述べたがカミーユは精神的に他のニュータイプ達より、遥かに精神能力の感受性が高く、ゆえに人々の数々の死に関しては彼のニュータイプ能力を高めると同時に、人間として精神を保つバランスが伴わない危うさをも高めていくことになる。

そしてとうとう最後は、死者との力を借りてまで戦い切り、シロッコを倒したと同時に精神が崩壊した。

シャアとカミーユは非常に似ている。両親をティターンズに殺されたことから吐き出した刹那の感情は、シャアの父ジオンと母アストライアもザビ家の陰謀により謀殺された事実とほぼ同じだからだ。

2人の戦う意味とは、両親をザビ家に、ティターンズに殺されたからその感情を爆発させたことから始まる。

アムロはララァの死だけに固執し、7年もの間彼女を殺してしまった呪縛から解かれなかったが、それを乗り越えた後は「死」に関して取り分けナーバスな感情を持つパイロットではなくなったと思う。

それはシャアも似たところがあり、自身がニュータイプとして未熟でありアムロにパイロットとして負け続けた結果、人の死に対しては非常にクールである。しかし最後までララァの死を内面に抱えていた。

ジュドーは実際は生きていたが、妹のリィナの死だけを想い続けて戦った。テーマは兄妹愛。

モビルスーツパイロットとして最強とも言われるジュドーだが、彼には失わずに済んだ仲間が多かったし、シャアとカミーユとアムロとは全く別のニュータイプとして劇中で描かれている。

カミーユは強化人間フォウを愛し、ロザミィにお兄ちゃんと呼ばれ、2人は彼の前で死ぬ。姉のように慕ったレコアとエマも亡くし、先輩パイロットのロベルト、アポリーの死をも目の前にし、弟同様だったカツまで失う。

まるで「死神」に魅了されたのかのようにカミーユは関わる人間をことごとく失っていった。

それがカミーユの精神力の強さを作った元となり、その強い刃は自分をも殺してしまうこととなり、歴代ガンダムパイロットをこう考えて見ると悲劇でしかないカミーユの世界を作ってしまいます(劇場版は別です)。

その後、心を失ったカミーユはファと共に幸せに生きたのだろうか?

決して死は恐れるべきではないのである。そして他者の死に対しても恐れることなく、死とは今世で人としての次元の上昇であり、それは悲しみ続けるものではないのである。

残された者が死者を思い続ける限り、それはその本人をも周りの者たちも不幸にし、やがて死に取り込まれてしまう。

シャアがカミーユへ言ったように「戦士は生きている限り戦わねばならんのだ」であり、それが死んだ者への手向けとなる。

でなければ、カミーユのようになるだけなのだ。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。