機動戦士Zガンダム クワトロ・バジーナ 百式・47
☆本日もZガンダムにおけるクワトロ大尉(シャア・アズナブル大佐)をリスペクトした100回シリーズになります。
今回はシロッコと最終戦を戦ったシャアとカミーユの3人の起こす感情について見ていきたいと思います。
第50話 宇宙を駆ける
カミーユ「落ち着いたらアーガマに戻ります。しばらく辛抱してください」
エマ「もういいのよ、カミーユ」
カミーユ「中尉」
エマ「カミーユ、私の命を吸って」
カミーユ「えっ?」
エマ「私の命を吸って!そして、勝つのよ。」
カミーユ「中尉」
エマ「私は見たわ、ゼータガンダムは人の意思を吸い込んで、自分の力に出来るのよ。だから…」
カミーユ「そんなこと…」
エマ「…っ!出来るわ!そして…戦いを終わらせる、それをあなたがやるのよ!カミーユ・ビダン!」
カミーユ「わかりました。エマ中尉」
エマ「たくさんの人があなたを見守っている。あなたはひとりじゃない」
カミーユ「はい·····、エマさん」
エマ「寂しがることはなくてよ…」
カミーユ「エマさん!エマ中尉ーーー!」
沢山の命を失った最終戦。カミーユは最後、エマ中尉の死を看取る。エマの「私の命を吸って!」という強烈な言葉は、カミーユの感情を最悪な方向へと導いていく最後の引き金となった。
死んでいった者達はそんなつもりはなかったのだろうが、残されたカミーユからしたら死んだ仲間達の恨みつらみ、怨念を自分が果たさなくてどうする?といった気持ちになるだろうに…。
もう残された者は残酷でしかない。
さて、その時シャアは?
シロッコはコロニーレーザーを潰しに向かう、それを追うシャアの百式。
コロニーレーザーを潰されたらエゥーゴとしても不利になる。しかしティターンズ艦隊にとってコロニーレーザーは脅威である。
コロニーレーザー内で戦闘後、グリプス2内部の劇場の跡へと向かうシャアとハマーンとシロッコ。
そこで三者の議論が始まるんだが·····
ハマーンとシロッコのシャア批判に対して、まったくトンチンカンなことを言うシャア。
シロッコ「私は歴史の立会人に過ぎんから、そうも見えるか…が!シャアよりは冷静だ!」
シャア「私が冷静でないだと?」
シロッコ「そうだよ。貴様はその手に世界を欲しがっている」
ハマーン「シロッコの言う通りだろ、シャア。ならばザビ家再興に手を貸せばいい。その上で世界のことを共に考えよう!·····この小うるさい見物人を倒してな!」
シャア「ハマーン!私はただ、世界を誤った方向に持ってゆきたくないだけだ!」
ハマーン「では聞くが、ザビ家を倒し、ティターンズを排除した世界で、お前はいったい何をしようというのだ?」
シャア「私が手を下さなくとも、ニュータイプの覚醒で人類は変わる!その時を待つ」
ハマーン「私に同調してくれなければ排除するだけだ。その上でザビ家を再興させる。それがわかりやすく、人に道を示すことになる」
シャア「また同じ過ちを繰り返すと気づかんのか!」
ハマーン「世界の都合というものを洞察できない男は排除すべきだ!」
三者三様の論理が展開するが、やはり一番分かりにくいのがシャア。「世界を誤った方向に持ってゆきたくないだけ?」まるでまだ腹の内になにか隠しているような物言い。
ここでカミーユが登場する。
シャアはニュータイプの覚醒で人類が変わる時を待つと言った。しかし実際その後は、そうにはならずシャアも同じことを繰り返してしまう。
そしてシャアとハマーンの一時的な決着が付いた後、カミーユとシロッコの最終戦が始まる。
一見カミーユは純粋な正義を貫く側として描かれている、しかしシロッコにも宇宙の民を率いていくという大義名分らしき発言もあった。
当然シロッコからは、不可解な選民思想の危ない正義が見てとれる。だが、よくよく考えるとカミーユの純粋な正義も危ない。
シロッコの選民思想は戦後は、女が支配する世界を掲げて実は自分が実効支配するという、ザビ家のやり方と同じようなものでもあり、それはのちのシャアの思想も変わっていった「地球に住む人間を根絶やしにする」というスペースノイド絶対説のような危険な考え方である。
シロッコが言った「生の感情」とは?
以前カミーユが第49話「生命散って」で、ジェリドがラーディッシュと共に爆死した時に、
カミーユ「·····みんな死んでいく、こ、こんな死に方、嬉しいのかよ、満足なのかよ…!誰が、誰が喜ぶんだよ!うわああああああ!」感情を爆発させた時にシロッコはそのカミーユの気を感じ取り、
シロッコ「ん!不愉快だな、この感覚は。生の感情丸出しで戦うなど、これでは人に品性を求めるなど絶望的だ。やはり人はよりよく導かればならん。指導する絶対者が必要だ」と言った。
そして最後の対決では、カミーユはすべての感情を吐き出し、死者の怨念と亡くなった者達の魂を味方につけてまでシロッコのジ・Oの動きを止め、ジ・Oのコックピット目掛けZガンダムで特攻しシロッコを倒した。
シロッコは死に間際「·····貴様の心も連れていく·····カミーユ・ビダン…」と言って息絶えた。
カミーユが最終的に精神崩壊したのはシロッコの怨念ともいえるべき力がそうさせたとも考えられるが、人間にそもそもそんな力はないと思う。
カミーユがなるべくしてなったのか?それとも死者の魂に引きずられて、ああなったのか?
しかしカミーユが冷静であっては、シロッコには勝てなかった。シャアがそうだったように。
カミーユ自身が引き起こした精神崩壊だと私は思う。シロッコを倒すべく死者の魂まで使った、それはカミーユに取って諸刃の剣だったのだ。
確かにシロッコが連呼していた「生の感情」「まるで子供のように」とは、このような感情に任せての行動は人間にとってかなり危ういものだということなのか。やはり純粋な感情からくる正義も人を大勢殺してしまうのだ。
実際カミーユは敵といえども、感情に任せて多くの兵士を殺してきた。ジェリドがカミーユへ言い放ったように「俺は貴様ほど人は殺していない!」はその通りの話で、ジェリドの方が人を殺した人数は少ないはず。
それがシロッコの言う「生の感情」であり、ニュータイプであってこそ、しっかりと感情をコントロールしなければならない。
感情は行動に直接つながる。
その危険な行動をコントロールするためには感情を観察すること、それは自らの欲求を観察し、客観的に自分を見ることである。
ニュータイプの感情とオールドタイプの感情の違い
シャアはシロッコに「ニュータイプのなりぞこないは粛清される運命にあるのだ!わかるか!」と言われたが、カミーユは死者の怨念と魂を借りて、最終的に最強ともいえるニュータイプとして覚醒した。
さてニュータイプとオールドタイプの感情の違いとは一体何なのか?
オールドタイプの代表格と言えば、暴走発狂女ベルトーチカ・イルマである。
カミーユ「でも、僕には、まだ戦う意味というのが、まだ分からないんです」
アムロ「意味はないよ、戦い自体には。でも、人間は戦い続けて歴史を作ってきた。それがなければ人間は滅んでいたさ」
アムロ「なぜ?」
カミーユ「ダカールに事前工作に行くなんて、前には考えられませんでしたもんね」
アムロ「オールドタイプなのさ。ちょっと前の痛みを忘れて次のことをやる」
カミーユ「人間て、いつまでもそうでしょうかね」
そんなにニュータイプとオールドタイプの感情と考え方は違うだろうか?
オールドタイプが、ちょっと前の痛みを忘れて次のことをやる?
ニュータイプだって同じことを繰り返しているではないか?
一連を通してカミーユの精神崩壊の仕方といい、シロッコとシャアの偏った感情の吐き出し方といい、グリプス戦役での登場人物において、そうも違いがないように感じる。
そして、シャアが一番最後までララァへの感情、想いを捨てきれなかったのである。
たとえアニメであっても、オールドタイプの私はここから客観的な事実を学ばなければなりません。
Zガンダムありがとう。
★最後までお読みいただきましてありがとうございます。