都忘れ ジムナスター
今日、職場でミヤコワスレの名前を聞いてドキッとした。
なぜなら、まったくこの花の名前を忘れていたからだ。
ミヤコワスレは母さんが胃がん告知の時に精神的治療効果もある紫の花の中からミヤコワスレを選んで、母に買ってきて見せた。
日本原産の可憐な花である。
紫の花の中からミヤコワスレを選んだ理由は、もう1つある。それは母の名前が「みや子」だったからだ。
最初、ミヤコワスレ?「私を忘れたいのかい?」と癌と闘病中の母に誤解されたが、この花の名前の由来を説明し、花と重ねて自分の想いを母に話した時にとても気に入った時の喜んだ笑顔を思い出した。
─ 昔、承久の乱に敗れて佐渡へ遠流となった順徳帝は、草でぼうぼうになった佐渡の庭に一茎の野菊が紫色に咲いているのを見つけ、「紫と言えば京の都を代表する美しい色だったが、私は全て諦めている。花よ、いつまでも私のそばで咲いていておくれ。都のことが忘れられるかも知れない。お前の名を今日から都忘れと呼ぶことにしよう」と傷心の慰めにした。
という説話である。
また京を去る時に、この花を目に止め「都を忘れることにしよう」と言ったことから、この名前になったとの説もあるようだ。
さらに順徳天皇が詠んだのは「いかにして契りおけん白菊を都忘れと名づけくるも憂し」であり、天皇が愛した白菊は秋に咲くことから、ミヤコワスレは春に咲く花であり、逸話の花は別種であったとも言われています。
ともかくこの2014年には母を忘れる為に買い育てていたミヤコワスレも、見れば余計忘れられずにこの記事を書いた2015年の7月には精神的に落ち込みが特に酷かった。
ミヤコワスレの開花期は4〜6月であり、今現在が最盛期である。
母が気に入った花言葉が『しばしの憩い』『しばしの慰め』『しばしの別れ』『忘れ得ぬ人』『また会う日まで』『短い恋』『別離の悲哀』だった。
母にミヤコワスレを毎日水をやり世話をして、このミヤコワスレが早く枯れた方がこの花言葉には似合わず、「母さんから癌が消えて治るんじゃないかい?これは奇跡の花になるかもよ?」と言って2人でミヤコワスレを世話して育てた。
ミヤコワスレは日に日に葉が萎れ、花びらが落ち、思いが届いたように枯れていった。
しかし思いとは真逆にミヤコワスレが弱っていくのと同じように母の体力は落ち、痩せ細っていった。
そして、母は天国にいってしまった。
今、愛する人と一緒に暮らし、悩みもなく幸せな日々を送っている。
ミヤコワスレ、みや子忘れ、母を完全にいい意味で忘れている。
ふと今日調べた時に、この思い入れのある花、『ミヤコワスレ』の誕生花の人は3月11日、4月3日、4月9日、4月15日、4月21日、4月26日、5月13日、5月19日、6月23日、6月26日、8月1日であるが、
なんと妻のみきっぺの誕生日が、
6月26日である。
これは運命か?いや、必然である。
ちなみにこのミヤコワスレ、考える力や判断力を上げる、感性や創造性を高めるためには南側に飾ると良いらしいですよ!
最後までお読みいただきましてありがとうございます。