kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

運勢を鍛える「人徳」

斎藤一人さんの100回聞きシリーズ5タイトル達成。

1. 覚悟の話

1. 大人の目

1. 道

1. 幸せにならなきゃならない理由

1. 運勢を鍛える「人徳」

100回聞いてひとりさんが何を仰っていたか簡潔に書きたいと思います。ひとりさんありがとうございます。


徳とは何か

人には身体に生きていくもので3つ必要なものがあります。

1つは体に健康、

2つ目に脳に知識、

3つ目に心に「徳」。

この3つが完全にあれば人は幸せになります。

この一番分かりずらい「徳」とは何か。

不確定要素の一番「運」との深い繋がりを持つこの「徳」。この「徳」をあげることで自分の「運」を上げる事が出来ます。なぜならこの2つは誰にも説明し難い力と可能性を秘めてるからです。

「人徳」とあります。

「あの人は徳が高いからとても素晴らしいお方です」と言われるように周りの人が「あの人って凄い人だよね」と俗に言うカリスマ性の高い人です。

では、「徳」を高くするにはどうしたらいいか。

人に喜ばれる、人の心を軽くする、人の気持ちを良くして笑わせるこれで人の「徳」がどんどん上がっていきます。それが自分の「徳」を上げる行為なんです。

逆にいつも自分の事しか考えない人や自分の得になるような事しか考えてない人は、「徳」はどんどん下がっていきます。人の心を暗くして重くする、人の悪口や陰口ばっかりどんどん「徳」を失っていきます。

私がお中元毎年贈ってんのに、向こうは贈って寄越さない。まあズルい人だね…こう思った時点であなたには「徳」が無いんです。

幸せになるためにはこの「徳」を上げないと駄目なんです。

栄養だけあれば人は健康に幸せに生きていけるのかっていうと、食べすぎて運動しないで勉強しないでいたら病気になってしまう。今の時代はっきりいって栄養摂りすぎです。

かたや知識ばっかり詰め込んで技術だけあったら世界一になって幸せになれるかって言ったら、今の時代多少の知識ならネットで調べられたりする。一生懸命やってたって「徳」=「心」が無かったら上手くいきません。

怪我したくないからって、外出しなければ交通事故に遭わないから死なずに済むかって、仕事をしないで一日中部屋でパソコンに向かって好きな事だけしてれば、人間関係にも患うことなくストレス無く、楽に生きていけるかって、行動もしないでただそこに座って栄養だけ摂って、ただ寝ては食べて、不健康になって早死するんです。

人と関わることなく幸せになりたいって身勝手な人は、元々持ってるガンを発症させて死ぬんだよってこと。とにかく悪い原因ってのはすべて自分が呼び寄せてる事が多い。

「お金さえあれば幸せだ」って言って、何がなんでもお金を稼ぎゃいいって、「徳」を得ないで得たお金って『悪縁残して消えてゆく』っていうんです。そうやって稼いだお金は強盗に入られたりとか病気になったりとか、悪いことで消えてゆくんです。

あと親が子供にお金をいっぱいかけてやればいいって、お金ばっかり使ってても子供にとっての「徳」になりません。親が積んだ「徳」が子供に流れて行くんです。親子ってのは必ず繋がっていて『親の因果が子に報い』とあります。

どうしたらみんなが明るくなって人を喜ばせることが出来るか、幸せな気持ちにさせるかってことを考えていくと毎日、人は「徳」を積むっていう「貯金」をしてるんです。

それを全力でやってますか?本気でやってますか?そして周りに愛情与えて行動してますか?

これで「徳」=「運」ってのが決まるんです。そしてその「徳」が溜まった人っていうのは自然と守られるんです。

お金が財産があろうが、どんなに偉かろうが「徳」のない人っていうのは、一時的に財産築いただけでその後は、どんどん不幸になっていく。「徳」が減っていくとそのうち大変な事が起きる。今の社会は競争ばっかりして何がなんでも稼いで儲かりゃ、一番になりゃいいんだって思ってる。そんな「徳」のないことしてたら必ずいつか破滅します。「栄枯盛衰」とよくいいますね。

本当によりよく簡単な事を言えば、とにかく人の心を明るくしてあげるだけなんです。人をニコニコ笑顔にしてあげたら徳を積めるんですよってことです。人に優しくされたらどうです?人が喜んでくれたら幸せに思いませんか?

まずこの「徳」っていうのは、世の中の仕組みであって宇宙の原理原則なんです。

人間やらなければならないことがあるのに、やらないって事はあなたに何かとんでもないことが起こりますよ。お金持ってても威張ったりとか、小さな会社の「徳」の無い社長なんかは、自分が神様かなんかと勘違いして威張っちゃって、頭のひとつも下げない人がいる。そんな人必ず失脚しちゃうんですよ。

頭ってのは下げる為にあるもので、仕事の時は普通お客様に頭を下げるんです。「打出の小槌」と言って頭を振ればふるほど「知恵」が出るんです。そしてお金を生むんです。だから「人徳」のある成功している大会社の社長なんかは必ず深々と頭下げてるんです。

あと成功している人は大体「神社」へ通ってます。

威張ってそっくり返って神様も信じないからって、一生頭下げないで生きていたら、上ばっかり見てて足元見ないから、ひっくり返って何れ頭打って死んじゃうんです。

世の中縦と横の人格ってのがありまして、地球にも緯度と軽度ってあります。キリストでも十字架とか仏教にも十文字のマンジ(卍)ってありますよね、あの十字のように人にも縦と横の関係があります。

人の人格形成においてまず縦の関係。まず先輩は自分が生まれたら必ずいます。先生とか歳上の人達。自分より歳上の人は自分が死ぬまで歳上の方なんです。会社の中で先輩と後輩、縦の関係ってありますよね。

自分が50歳になった時に仮に出世して社長になっていたとして、仮にその先輩と何十年か振りに外で会った時に最後別れる時に頭下げて「先輩いつぞやの日はありがとうございました」って言えば、(この人間は偉いな。年下でいい歳になったのに変わらない。自分を立ててくれる。後輩は後輩で可愛がって大事にしてる)普通こう思います。これが縦の人格者。

次は横の付き合い。自分と現在お付き合いしている人。同じ仕事をしてる取引先の業者とか会社仲間。自分より強い立場の人間の所いってペコペコしてる。弱い立場の人間の所いって威張って文句言ってる。人間って知らないうちに値踏みしているんです。同じ立場の者に対しても、愛情のある言葉で接していれば、(あの人は凄いな。この人とまだ付き合いたいな。あいつにはかなわないな)普通こう思います。これが横の人格者。

最初で最後の人にも愛情を持って優しく接するんです。『一期一会』です。一生で最後しか会わないだろう人とも、最後に笑って「ありがとうございました」って頭下げるんです。『終わりよければすべてよし』なんです。だから今日の仕事終わったら、疲れてても気持ちよく笑顔で「お疲れさまでした」っていって上がるんです。

こうして人格を仕事で形成して行くんです。

人は皆、魂を磨くために毎日を送ってます。ただぼんやりと日々を過ごしていては魂を磨くことは出来ません。

魂を磨くということは「魂レベル」が上だと相手が総理大臣であっても、お金持ちでもどんなに上でも勝てないんです。「自分の機嫌が取れた人」には誰も勝てないんです。学歴も乗ってる車も立場も関係ないんです。人間社会での競争はやめた方がいいですよ。「徳」を積んで「人間力」を積んだ人には人間勝てないんです。魂の次元が違うんです。

魂の次元が変わるとどうなるか。 このお米作ってくれたお百姓さんに感謝してますって食べたり、めざしを釣ってきてくれた漁師さんに感謝して、毎日呼吸出来る自分の身体に感謝して過ごすんです。

「私自分の兄弟や親が大嫌いなんですよ」「酷い親だから親のこと大嫌いなんですよ」「私、あの人のこと親でも兄弟でもないから嫌いなんです。損になることしたくないんです」っていうのは自分が得をしないから嫌いなんでしょ?自分の「得」にならないことを嫌いだっていう人は「徳」を積めない人なんです。

私は決めてます、全てを許しています。誰も嫌いになりません。

人に喜ばれ、自分の機嫌が取れ、一生懸命全力で自分の仕事をして、「徳」を積むのが生まれてきた人間としての使命なんです。

だから『罪を憎んで人を憎まず』人も許さないってのは得じゃないんですよ。許してあげることで自分の「徳」が1つ上がるんですよ。


どうせ自分のブログなんて世間の為にもならないから、弱小ブログだから書いても意味無いよ。誰も見ないから書くだけ無駄だよ。疲れるだけだよ。そう思った時点で「徳」を積んでないんですよ。

自分の「得」だけ考えてる人、終始自分の事ばかりを考えている人ははエゴですよ。だから誰にも読まれなくっても、私はとにかく毎日ブログを書くって決めたことは曲げません。また私は毎日更新しませんよって人も人それぞれだから良いと思います。

ただブログって休むと癖になるんですね、ネタが無くなったと言ったり、具合が悪いで済んじゃうんです。そりゃ病気とかやむを得ない事情などの仕事が入ったら別ですよ。ただ写真載せて一言とかたまに更新すりゃいい話なんですけど、いきなりピタッと更新やめちゃうブロガーさんが沢山いる。

ある程度ブログやっちゃうと日記のような更新じゃ満足できなくなって来たり、また周りのブロガーとか読者の反応を意識しちゃって書くのをやめてしまう。意識する必要ないんです。

PVが上がらないとか、ポジティブになれないとか。 いずれそれが『ブログは自らに強制して課して書くものじゃない』と勝手な解釈の元に休んでやめてしまう。

ブロガーがブログを1日休むのはそれは欠勤したのと同じ事です。自分情報発信をウェブでログしてるからブログであり、ブロガーなんです。日記ならメモ帳にでも書いていりゃいい話なんで。

読者が更新を待ってるのに、しばらく休みます告知も出さずにやめてしまう。やむを得ない事情があるなら告知して休めばいい。それもやらないって事は自分よがりなわけで、自分勝手なんです。ブログ書きたく無かったんなら始めなければよかったんです。

私はある時から毎日ブログを書き続けてる人は凄いな、偉いなぁって思い始めました。内容が面白い面白くない、為になるならない関係なくです。ブログを休むってのは簡単なことでした。休んだことあります。

仕事休んだ感じでなんか肩の荷が降りた気がしました。でもしばらく休んでから再開するのに、また勇気がいりました。本当にブログ続けてて良かったと思っています。温かい読者の皆様と出会えて感謝しております。本当に良かった…と。

でもいざ1日も途切れずに書き続けるってことは辛いなぁって思う日が、何度もやって参りました。これからも来るでしょう。いやあ本当に大変なことです。私が読者になっているブロガーさんで365日毎日欠かさず更新してらっしゃる。とても尊敬してます。

それと損得勘定でブログも書くものじゃないとも思っています。

だから仕事と同じで必ず毎日死ぬまで更新し続けます。ブログを辞める時は必ず理由を持ち告知します。ただ愚痴ブログは書かない様に努力致します。読者さん何か当ブログにて愚痴っぽいところがありましたらご一報下さいませ。


さて『因果応報』という言葉があります。悪い行いを因果=カルマといい、良い行いを諸法=ダルマって言います。自分で今世作った悪い行いを、前世から続いて来た悪いカルマを自分の代でダルマに変えて行くんです。それを改めること無くそのままにしておくと、必ず『因果応報』がやってきます。それは今世か来世か。

だから今自分で良い行いダルマの行いをして、何回失敗しても諦めないで頑張るんです。ダルマさんは『七転び八起き』って言います。どんどん失敗しても立ち上がって、人の為に尽くします。

失敗も次は失敗しないでがんばってみよう!とか相手が聞きたくなっちゃような、読みたくなっちゃうように頑張ってブログ書こう!って思うんです。だから『ひとりさんの100回聞き』もそうなんです。100回聞き足りなかったら、何回聞いても分からなかったら、もっともっと聞くんです。

良い本も何回も何回も読むんです。私はひとりさんの100回聞きを始めてから、なんでも諦めなくなりました。我慢強くなりました。そして「徳」を毎日積むんだよ、自分で自分の機嫌をとって、周りの人に笑顔で幸せな気持ちにするんだよ、仕事も一生懸命がんばるんだよって自分に言い聞かせてます。

ってな気持ちで死ぬまで「徳」を積み続けるんです。終わりは自分が「死ぬまで」なんです。

☆ここまで読んでいただきましてありがとうございます。いつもスターやブクマ・コメントありがとうございます。感謝感謝致します。

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