マサ斎藤さんの訃報 安らかに...r.i.p.
マサ斎藤(本名:斎藤昌典)14日午前1時05分に容態が急変し帰らぬ人となった。享年75歳だった。健介オフィスが16日に発表した。引退後、パーキンソン病を発症し、復帰に向けて長い闘病生活中のことだった。
マサ斎藤といえば40代~50代の世代ではまさに俺たちの時代、熱い俺たちのリアルプロレス時代であった。
マサさんは東京プロレス崩壊後に、単身で渡米している。それは1967年のこと、まだ私が生まれていない時代。いち早く米国のプロレス界にヒール役としてデビューし、ミスターサイトーと名乗りNWAタッグ王座を何度も獲得し、マサさんのイメージが強い両足サイドにJAPANが縦書きになってる田吾作タイツ(股下までのセミロングタイツ)を履き、大活躍した。
1974年から新日本プロレスにフリーで参戦するも、主戦場は米国マットにおいた。そしてカナダのバンクーバー地区にも参戦し、主に日系人とのタッグプレイヤーとして北米マットを転々とする。1980年においてはフロリダ地区に定着し、マサ斎藤日系タッグチームとジャック・ブリスコとジェリー・ブリスコの兄弟タッグとUSタッグ王座を争った。
1981年にはWWFにトップヒールとして活躍、同年に2回WWFタッグチャンピオンとなり、ベルトを巻く。王座防衛中はあのアンドレ・ザ・ジャイアントらとのタッグとも対戦し続け、シングルでWWFのヘビー級王座にもチャレンジした。
1983年には米国3大メジャー団体のAWAに戦いの場所を移し、WWFに移籍前のハルク・ホーガンとも抗争をした。
様々な米国プロレスラーと熱い試合を繰り広げ、反米ユニットを組み大活躍をする。ロード・ウォリアーズとも抗争をしたが、その後1984年にウィスコンシン州でケン・パンテラが起こした器物損壊事件に巻き込まれ、警官暴行容疑で逮捕され、約1年6ヶ月実刑判決で服役することになる。この米国の刑務所での生活はマサさんで肉体改造に成功し、監獄固めを開発したのは有名な語り草の1つである。
米国マットでは3大メジャー団体に参戦し、反米スタイルの戦い方でアメリカ人からしたらどうしようも無く、憎たらしい絶大なる悪党人気なのに、ヒールながらも堅実なファイトで米国マットでは評価の高い日本人レスラーであった。
しかし私は当時の米国プロレスなど雑誌でしか見ることなく、マサ斎藤に熱が入ったのはマサさんが帰国し、本格的に新日本のマットで試合を初めてからである。
まだ小学2年生の時。あの夜の8時から9時までのテレビ朝日系列で放送された『ワールドプロレスリング』だ。アントニオ猪木の舞台、新日本プロレスである。
そして10時頃?には日本テレビ系列で『全日本プロレス』が放送されていた。ジャイアント馬場社長の団体だな。当時はなかなか全日まで起きていられずに、古舘伊知郎アナの『ワールドプロレスリング』を見終わった後、寝かされた記憶がある。しかし私はジャンボ鶴田の大ファンでもあり、いつもジャンボの「ジャンピングニー」を友人と繰り出して遊んでいた。全日はとにかくジュース試合(出血)が多く、ドリーファンクJrや勿論スタン・ハンセンの外国人レスラー全盛期の記憶もはっきりしてるから見てた事は見てたんだろう。
マサ斎藤に憧れだしたのは革命戦士長州力率いる、維新軍結成の時だった。私は長州が大好きでして、「かませ犬」発言、「前田!お前は噛みつかないのか!」橋本との「タココラ問答」など数々の名台詞を残したレジェンドであります。そして、猪木率いる正規軍が嫌いでねぇ。勿論俺たちの時代の元に革命の維新軍の旗を挙げて、猪木達正規軍に歯向かうんだけれども、やっぱり悪役なんだよな。悪役に気持ちが引き寄せられるのは何故なんだろうか?
まあ実際当時の新日プロでの諸悪の根源は猪木(勿論猪木さんは大好きですよ)なんだけれども(笑)。
ミスター高橋が暴露本出すまで、プロレスはガチンコ勝負だと思ってたし(笑)。子供時代だから仕方がないですよね。
台本プロレスが白日の元に晒された時に次第に格闘技ファンやプロレスファンは真剣勝負のK-1(実は台本もあった)や前田日明率いるUWFインターなどに代表される、本当のガチンコを求めていく。それは格闘技選手の寿命を縮めるという危ない戦いへ突入する。
プロレスはあくまでもプロレスであって、ガチンコ勝負などしたらどちらかが死ぬのである。そんな戦い方をファンは煽り、プロモーターも選手を無理に使い、故ハヤブサの事故、故三沢光晴、高山善廣選手の事故などと繋がった。
だから私はPRIDEやK-1が人気であっても、新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアを見続けた。そしてマサさんは長州力を育て、健介の面倒を見て、維新軍の長州をサポートし、蔵前国技館で4対4の綱引き戦を見事維新軍の勝利に導き、それは正規軍との5対5の勝ち抜き戦へと発展していく(マサ斎藤はアメリカを主戦場としていたので本格的な新日本プロ参戦は1987年から)アントニオ猪木との巌流島決戦をピークにして戦線から退いていく...
引退後...
第2幕のマサ斎藤列伝はここからスタートした。新日本プロレス、テレ朝系のワールドプロレスリングの解説である。実は一番熱かった時代でもある。マサさん節と呼ばれるものである。
テレ朝のワールドプロレスリング中継実況は古舘伊知郎(解説は主に山本小鉄)から、辻よしなりアナウンサーへと受け継がれたが、この辻アナとマサさんの実況解説の掛け合いが最高でしたね。その後辻アナから若手に引き継がれて真鍋 由アナウンサーになり、あの真鍋アナと大仁田との劇場が始まるんですが、これがまた爆笑。ま、それは別の時に。
辻アナが実況して、地味にプロレス実況では古舘より上をいく言葉の使い回しと低音のいわゆる良い声で、実況アナは辻アナが一番、ワールドプロレスリングでは好きでしたね。その時の解説が主にマサさんだったわけですが、その辻アナの絶妙な言い回しでマサさんに振った時に、マサさんはボケるボケる(笑)。天然全開なんですよ、言っちゃうんですね。思ったことストレートに。
マサ斎藤語録(一部抜粋)
辻アナ「あーっと!このバックドロップは受け身が取れないー!!!」
マサさん「取ってます取ってます」
辻アナ「巌流島といえば、あのマサさんも、アントニオ猪木選手と戦ったわけですが…」
マサさん「あれはやらせですけどね」
馳浩が風邪を引いた時に、
辻アナ「しかし、マサさんレスラーたるもの、体調が悪くても戦わなきゃならない時もあると言うことですかね?」
マサさん「いや~、風邪引いちゃいかんでしょう」
辻アナ「いやぁー、このノートンとホーク、実はプライベートでは非常に仲が良いというように聞いているんですが…」
マサさん「ええ、ノートンは最近オクラホマに家を買ったんですよ」
辻アナ「さて、このブラックタイガー全く正体不明なわけですが...」
マサさん「僕は知ってますけどね」
そして試合中に、辻アナ「このブラックタイガーはセンスがありますねぇ」マサさん「エディはプロレス一家だからね」
辻アナ「今日のベイダーはどうですか、マサさん!」
マサさん「ああ、ホワイトですか」
辻アナ「やっぱり獄門鬼、マサ斉藤の姿をリング上で見ないといけませんねぇ」
マサさん「ちょっとその獄門鬼ってのやめほしいんだけど...」
辻アナ「ということは、マサさん!この二人、かなり辛辣な関係ってことですね?」
マサさん「しんらつってなんだ?」
辻アナ「...いや……辛辣というのはですね...」
いやぁー、沢山あったマサさん語録。面白かった。東スポの柴田もいい味出してたし。良かったなぁ。
平成維震軍に肩入れしていたマサさん。
反選手会同盟の越中、木村ら新日プロが、天龍WARマットへ乗り込み試合で、天龍・北原VS越中・木村のメインタッグマッチイベントで、後半は天龍と越中は互いにパワーボム合戦となり、最終的に天龍のパワーボムで越中が3カウントを取られ、19分46秒エビ固めによって、反選手会同盟は負けた。その後試合が終わり天龍のテーマ曲「サンダーストーム」(作曲:高中正義)が流れゴングが鳴らされてる中、天龍は越中に何度もパワーボムをする。
辻アナ「いやぁー!ダメ押しのダメ押しです!パワーボム投げっぱなし!もう勝った!あなたは勝った!天龍源一郎!もう試合は終わった!」
解説だったマサさんは、
マサさん「これは天龍選手いらん!これはもう△✕○×△✕○×!!」
と言って、実況席を飛び出してリングへ掛け上がり天龍にタックルをぶちかます!
辻アナ「許せない!やるせない!マサ斎藤がいったー!天龍の胸板に思いっきり爆発したー!」
そこでマサさんと天龍のマイクパフォーマンスの掛け合いになる。
天龍はなんて言ってるのか、わからん(基本的に天龍は声がかすれてて聞き取りずらい。長州は長州で滑舌が悪く、マサさんは「試合中の長州は何を喋ってるのかわからん」というほど)。
天龍「斎藤!これは(越中)範疇(?)を超えたからな。あとは新日本プロレス来いこの野郎!○×○△×○×△長州をだせ!長州を!○×△○×△○×!」
とマイクを叩きつけて、リング降り、花道を通り帰っていく。マサさんがマイクを拾い上げる。
マサさん「天龍ちょっと待て!新日本は、半端じゃないぞ!!いつでも来い!いつでも来い!」
天龍はそのマサさんのマイクの気迫に振り向いて唖然とした。
辻アナ「また大きなうねりが生まれています!今日10.23後楽園ホール!大逆転に成功のこのWAR!しかしマサ斎藤の今発言が新たな火種がまた大きく、今までは完璧な新日造反軍だけの殴り込みでしたが、天龍が挑発!それに呼応する新日、まさに軍団の!いや団体の対決を様相するていになりました!」
面白かった。本当に良い時代だった。マサさん...本当にありがとうございます😢
最後のお別れ
最後にマサさんが、健介を追って米・ミネアポリス州に行って、ホークと本格的にタッグを組むことになった時の、インタビューしたやり取りで終わりたいと思います。
(マサさんは英語は得意です。もちろんですよね。もうペラペラ。マサさん曰く英語上達法は「ベッドの上で恋人に教えて貰うのが一番」ということです!(笑))
ホーク・ウォーリアー「Well Masa Saito!you know but very long time !Ive looking hugh bot a new partner !and a lead was me!and a be was real new partner!you were Sasaki his strongs !heats!desire!and hates!you hate hates! I whats ressuru in the WCW! his very everlasting・・・(中略...)・・・so storong!I do were the people of Japan!the super the pass Sasaki ERAI!!we are the destroyed everyone!」(よく聞き取れません💧)
マサさん「まあニューヨークが終わってみて、えーと自分はパートナーを探していたと、ある日突然WCWのテレビを見たら健介という素晴らしい日本のレスラーがいたと、こんなパートナーいないと、自分は是非欲しいと、彼と2人で日本に11月23日に片っ端から暴れて、ベルトを総なめにしてやると、彼は凄き勢いでそう言ってます、と健介そう言ってるんだけど、健介の気持ちと今はどうなんだよ!これは彼と2人でもってチームを組んで日本にいくのか!それとも2人でもってアメリカでいくのか、どっちなんだよ!」
健介「え、そーすね、WCW行ってて、こういうラブコール受けると思わなかったから、でも、今日はちょっと、こっち来てやって、日本でもうちょっと暴れてみたいなと思ってて、だから、この強さっていうのを日本のファンに見せてやりたいし、ホークと組んで(ホークの胸をパンパン叩く)一本暴れてやろうかなって思ってます」
マサさん「というわけです。まぁ2人の期待をしてみましょう!どうもしました(?)雪の国ミネアポリスからです」
《かなり話していることが、わかりずらく健介は聞き取れたけど、ホークは間違ってると思いますが、マサさんの日本語訳は大体噛み砕いて訳してるから、ホークの喋ってることは、まあこんな感じでしょう。プロレスラーって、何喋ってるかわかんないんですね、長州しかり、天龍しかり...まぁ、ホークも亡くなったし、バンバンビガロも他界、先日はベイダーも亡くなった…どんどん死んでいく、それは黄金時代を築いたプロレス界のレジェンド達の訃報が寂しく、悲しい…さようなら...r.i.p.》
マサ斎藤「Go for block!」(当たって砕けろ!)
(本当の訳は「Go for broke!」)
辻アナ「言ってみればこれがマサさんの言う『Go for *block』に…」
マサさん「僕の言ってるのは意味は違いますけどね」としっかり仰っていました。
*brockとは...障害ともいいます。
田中ケロちゃんリングアナ「赤コーナ、180cm、264ポンド...マサー!サイトーー!!」
Masa Saito r.i.p.
☆本日もご訪問ありがとうございます。感謝致します。そしてマサさん、安らかにお眠りください。ご冥福をお祈りします。ありがとうございました!
【7月22日東京都港区での告別式】
弔辞には、ザ・グレート・カブキ(米良明久氏)と武藤敬司が読み上げた。
『Go for brock!』