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まんが日本昔ばなし 「飯降山」

飯降山は福井県福井市と大野市の境にある山です。

YouTubeのおすすめで上がって来たので見たところ、今一番惹かれてるアニメ、愛企画センター、グループ・タック、毎日放送、共同制作により放送された「まんが日本昔ばなし」テレビアニメの「飯降山」(いぶりやま)という作品です。

演出・文藝が、いがらしみきおさん。

代表作は「ほのぼの」「忍ペンまん丸」など、主に4コマ漫画が得意な漫画家さんであります。しかし作画は柏木郷子さんで、いがらしみきおさんではありません。

とても興味深く思ったこのお話、最初見た時にはピンと来なくて、「はて?はて?」というような感じでした。

しかし、市原悦子さんと常田富士男さんの語りで流れるストーリーにより何度も見るようになりました。この「飯降山」は「まんが日本昔ばなし」での「怖い話」の部類に入るようです。

子供の頃、TBS「まんが日本昔ばなし」はよく見ていたのでしたが、どうやら「飯降山」は1994年8月27日に放送された事実上最終回のお話のようで、はじめて見たお話でした。

福井市では標高884.3mと最高峰の山であり、「飯降山」の名前の由来は泰澄大師(たいちょうだいし)がこの山にいた時に、“飯が天から降ってきた”という縁起から伝えられているようです。また別名「御岳さん」(おたけさん)とも呼ばれています。

泰澄大師は飛鳥時代(7世紀末)奈良中期、天武十一年(682)に越前国足羽郡麻生津(現在の福井県福井市三十八社町)の泰澄寺にて出生。幼い頃から神童と呼ばれた人物。

山岳修行者として苦行難行の末に、仏の教えの悟りを得たと言われている人物と言われています。出生時期に関してはまた別の時代(持統)という説もあるようです。

そして、この「まんが日本昔ばなし」では、また違う別な内容でのお話で語られています。


まんが日本昔ばなし 飯降山

3人の尼さんがこの山で修行をしていました。3人のうち一番若い尼さんは修行には耐えきれずめげそうになる時がありましたが、年上の2人の尼さんが助けるように慰めるようにしていました。

2番目の尼さんはおっとりした性格で、1番上の尼さんを慕っていました。

1番上の尼さんは笑顔がとても素晴らしく、信仰に生きているとこのような顔をしているのか。というような優しいそうなお顔をしていました。

ある日一番若い尼さんが空から光るものが落ちてくるのを発見し、その若い尼さんはその落ちた場所へ向かうと、なんと切り株の上にはおにぎりが3つありました。

それを2人の尼さんに伝えると2番目の尼さんは「本当にこのおにぎりが天から降ってきたのですか?」「だれかが施しとしておいて行ったのでは?」と疑いました。

若い尼さんは「いえ!空が明るくなったと思ったらこのおにぎりが降ってくるのが見えました!」と訴えると、それでも2番目の尼さんは信じずに互いに水掛け論になりました。

その間に入った1番上の尼さんが言いました「まあ、良いではないですか、これは御仏が我らの日頃の精進への褒美としてくださったのかも知れません。ありがたくいただきましょう」と。

その後、ある日村人が見た時にきのこが手付かずに生えているのを見た「いったい何を食べておるのじゃな?」

ある日1番若い尼さんが茂みの奥でまた発見した。

1番若い尼さん「あら!やっぱり誰かが火を使ったんだわ!まぁ、これは!鳥の骨?·····はぁ!」

1番上の尼さん「御不浄はすみましたか?」

1番若い尼さん「それどころではありません、これをごらんください!」

1番上の尼さん「これはきっとあの村人でしょ?」

1番若い尼さん「そうでしょうか、もし上の尼さまだったら·····」

1番上の尼さん「滅相もないことをいうものではありません、我々は殺生を禁じられているのですよ」

1番若い尼さん「でもあの日以来毎日おにぎりを食べられるようになって、もっともっと食べたいと思うようになったのではないでしょうか?」

1番上の尼さん「わかりました。では3人で話し合ってみましょう。私が呼んで来るからあなたは待っていなさい」

2番目の尼さん「あのぅ、なんでしょう?」

1番上の尼さん「あなたひもじいですか?」

2番目の尼さん「え?いえ?」

1番上の尼さん「もっとおにぎりを食べたい?」

2番目の尼さん「え?は、はぁ、はい。」

1番上の尼さん「私もですよ」

そして3人での話し合いが始まりました。

2番目の尼さん「なぜ、私が殺生などするのです?」

1番若い尼さん「でも向こうに、鶏の骨と焚火のあとが」

2番目の尼さん「だからと言ってなぜ私がやったことになるのー?」

1番若い尼さん「それは·····」

1番上の尼さん「まあまあ、やったやらないを言い合っても仕方がないでしょ?とにかく殺生は良くないことです。それよりも死んだ鳥のためにお経を唱えてやりましょう」

2番目の尼さん「は、はい」

3人の尼さん「我此道場如帝珠 十方三寳影現中 我身影現三寳前 頭面摂足歸命禮 爾時世尊従三昧安詳而起告舎利弗・・・」

「ああああああああー!!」

その後1番上の尼さんと2番目の尼さんは息を切らせながら走り、おにぎりのある切り株へと向かいました。そしてそこで見たのは!

1番上の尼さん「どうです?おにぎりはありましたか?·····はぁ!」

2番目の尼さん「2つだけになってる·····」

村人「いつも3人仲良く行に励んでいた尼さんたちがいつの間にか1番若い尼さんだけ見かけなくなったので、聞いてみたところなんでも病でふせっているという·····もうすぐ冬もちかいで、それはいかんと思うて、また、わしの弁当を差し上げてきたがのう」

1番上の尼さん「ふーっ、何を考えておるのです?」

2番目の尼さん「え?いえ、なにも…ただ時々死んだあの子のことを考えますと」

1番上の尼さん「それは私も悔いてはいます。しかしあののちもおにぎりは毎日2つあるのです。これは御仏様が我々をお許しになっている証拠ではないでしょうか?わたしはね、何があっても生き続けることこそ、御仏様に近づく一番の道だと思っているのです…そんなに気に病むのなら、あの子の為にお経をあげに行きましょうか?」

2番目の尼さん「…はぁい!」

2人の尼さん「我此道場如帝珠 十方三寳影現中 我身影現三寳前 頭面摂足歸命禮 爾時世尊従三昧安詳而起告舎利弗・・・」

「ああああああああー!!」

結局1番上の尼さんだけが残った。

そして、寝ていた1番上の尼さんはおにぎりの場所へと急ぐ。

1番上の尼さん「はぁっ!もしや、もしや、今度はおにぎりが1つだけになっているのでは?はあ、はあ!·····なんと!!」

そこには、おにぎりはひとつもなかった。

村人「とうとう冬が来てしもうて、尼さん達のことは気がかりじゃったが、雪が溶けぬうちにはとても山には登れんで、そのうち春になってしもうた」

春になり山から降りてきて村人の前に姿を現した1番上の尼さん。

1番上の尼さん「はぁ、ほぅ、ほぅ、あいやー、やっぱりあのお方じゃ、わたしです、わたしですよー。」

村人「以来、この山は飯の降る山と書いて飯降山と呼ばれたのじゃ、むかしー、むかしのことじゃった」


久しぶりに他の「まんが日本昔ばなし」のお話も見たのですが、何故かおもしろくない。しかしこの「飯降山」にハマりまして、今も何度と見てしまいます。多分50回以上見てます(笑)。

とてもよく出来ているな、と。

初めは人喰い(カニバリズム)なのか?と思いましたが、結局は1番上の尼さんがおにぎりを多く食べたいが為に崖から2人の尼さんを突き落として殺したのだと解釈しました。

ただ鳥を焼いて食べていることから人肉も食べかねないとの考え方もありえますが·····。

きっと天から落ちてきた「おにぎり」は3人の尼さんへの神様の試練だったのではないでしょうか?

そしてその欲を我慢出来ずにいたのは1番悟りを得たであろう1番上の尼さんであり、鳥の殺生を発見した若い尼さんは、もしかしたらおにぎり以前にきのこや草木や木の実も、ほとんど食べていなかったのではなかろうか?と推測。

そんな若い尼さんに神様はおにぎりを恵んだ可能性。それを1番上の尼さんの強欲により殺されてしまったと思われます。

所詮出家した御仏様に仕える仏教徒といえども、ひとたび欲におちてしまうと俗世間の俗人になってしまうということですね。リアル瀬戸〇寂聴みたいなものでしょうか。

そして疑問は1番上の尼さんが2番目の尼さんを何故殺したか?について。2番目の尼さんは若い尼さんが亡くなったのを悔いていた。

その弱い心につけ込み「どうせならこいつも殺してしまおう、そうしたらおにぎりが2つ食べられる」と考えたのではないでしょうか。もう一つの疑問は何故1番若い尼さんは鳥の殺生を2番目の尼さんのせいにしたのか??


そして、3人の尼さんが別々のお経を読んでいるので非常に聞き取りずらいのですが、不思議に思い色々と調べたところ、この3人の尼さんたちが読経しているのは、三禮・勧請・法華経 方便品のように聞こえます。

そうだとすると、これは日蓮系・法華系による立正佼成会、創価学会、真如苑、また霊友会も絡んでくるお経を読んでいると思われます。

極めて怪しい。しかも「まんか日本昔ばなし」の最終回ときたもんです。

そしてこの死んだ鳥の為に、また若い尼さんの為に唱えたお経は人を殺すための読経だったというのも恐ろしい。ああ怖い。

とても奇妙で「怖い話」でした。

☆最後までお読みいただきましてありがとうございます。