kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

川端康成と三島由紀夫と伊藤整 憂国

先日YouTubeをふらりと見ていたら、川端康成が出てきた。

川端康成と言えば「雪国」で有名な教科書にも載っている人物であります。

正直に、動いている川端康成を見たのは初めてで、川端康成にも興味自体ありませんでした。

多分三島由紀夫先生に関する動画をちょくちょく見ているから、YouTubeホームのおすすめで上がってきたのだろう。

本の手放しワークで三島由紀夫の小説「潮騒」「沈める滝」「仮面の告白」「金閣寺」と読み終わった本も今は手元にはない。

一冊だけ残したのは「花ざかりの森・憂国」です。

このノーベル賞を受賞した川端康成と三島由紀夫、インタビュアーの伊藤整との三者対談映像は三編に分けて上がっていて、これは大変貴重なものだと思います。

この三人のうち二人は自殺しているという事実も奇なり。しかもこの撮影の翌年1969年に伊藤整が癌で亡くなり、70年に三島由紀夫があのような自決をし、そして72年に川端康成も自殺をした。この中で一番最後が川端康成とは誰も予期しなかっただろうに。

こうして聞くと三島氏はとても綺麗な日本語を使う。いや、日本語だけでなく、話すイギリス英語も格好いい。三島氏は留学などをせずに独学で英語やフランス語を話すようになった。ドイツ語も堪能だったという。

三島由紀夫の本名は平岡公威(きみたけ)。幼少時、三島氏は厳格な家庭で育てられ、特に祖母の影響を強く受けたという。

出生は大正14年、まさに戦争を体験する為に生まれた。エリート一家で高等教育を受けた昭和の始まりと共に、三島氏はその戦争時代を生きることになる。まさに物心がついた頃は第二次世界大戦が開戦し、やがて現実として日本敗北の時を味わうことになる。

幼い頃から祖母の英才教育により本を読み漁り、文学者としての基礎を築き、天才と謳われた。

数々の小説や戯曲を世に送り出し、海外でも翻訳されてゆく。

三島由紀夫という名は学生時代の恩師からハンドルネームとして貰ったという。それは戦時中のこと高級官僚だった父親に迷惑がかからないように、そして三島氏が文学者としてさらに活躍できるように。とのことだった。

上の映像を見て、川端康成との出会いは劇的な運命は、まさに必然的だったであろうと思いますね。

「花ざかりのの森・憂国」には13の短編小説が書かれているんですが、やはり三島由紀夫氏が自身と重ねたように見せられる「憂国」が何度読んでも、強烈なインパクトを覚え、想像してしまうんですね。

切腹で自害するとは、それだけ(割腹)では思うように死ねない惨たらしい死に方。

三島氏が生まれた地「四谷」というのも、それを思わせる。三島氏が死することとして、切腹を選んだのは日本人としての美の境地だったのだろう。

二・二六事件の三日後の出来事(外伝)を描いているのだが、主人公は叛乱軍に参加した親友に対して悩み悶えた近衛歩兵連隊・武山信二中尉が結果、夫人・麗子と共に四谷区青葉町㈥の自宅において軍刀により割腹自殺を遂げた話である。

この中で中尉は叛乱軍の親友らが自分を誘わなかったことに苦悩する。彼らが誘わなかった理由は中尉夫婦が周りも羨む美男美女の新婚であったからだ。

このままだと自身が親友達、叛乱軍らを粛清しなければならない。それは絶対に出来ないと妻・麗子に言った。

その自決の前夜最愛の妻と最後の契りを交わし果てた。非常に難しい言葉で生と死を強く表しているが、死とは恐れること足りずという中尉の強い思い。

そして強い思いとは裏腹、強烈で劇痛を伴う死を迎えることになる。中尉は先に割腹し、麗子に介錯はいらないと言った。

自分の死を看取ってから死ぬようにと、伝える。それは麗子への信頼だった。麗子の死を見た後に自分が死ねるか?確実に武山信二中尉、男として先に死ななければならない。心中ではいかんのである。

「参」では武山中尉と麗子の生々しい二人の迸る熱い生を描き、「肆」では中尉の壮絶な死への切腹の描写が長く書かれていて、まさに生々しさ溢れる苦しみの死であるが、悦に入るその死に方は幸せにも感じた。それは「伍」での妻・麗子のなんの躊躇いもなく、良人(夫)の先を追って逝く様子で見てとれる。二人にとって死とは幸福だったのだ。

いつ読んでも、切腹を体験したことでもあるのか?と思ってしまう程の中尉の長く詳しい切腹の描写は、あの1970年11月25日自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室で切腹した三島氏自身の体験をそのままに書いているようにしか思えないのだな。

解説に三島由紀夫氏は、

『憂国』は物語自体は単なる二・二六事件外伝であるが、ここに描かれた愛と死の光景、エロスと大義との完全な融合と相乗作用は、私がこの人生に期待する唯一のであると云ってよい。しかし、悲しいことに、このような至福は、ついに書物の紙の上にしか実現されえないのかもしれず、それならそれで、私は小説家として、『憂国』一編を書きえたことを以て、満足すべきかもしれない。かつて私は、「もし、忙しい人が、三島の小説の中から一編だけ、三島のよいところ悪いところをすべてを凝縮したエキスのような小説を読みたいと求めたら、『憂国』の一編を読んでもらえばよい」と書いたことがあるが、この気持には今も変りはない。

と最後にある。まさにその通りでこれを読めば、三島作品にのめり込むことは間違いない。

自分も来年、三島先生が最後を迎えた年齢45歳になる。さらに来年11月25日は三島由紀夫氏が亡くなって没後50年目。仰っていた大義を考えるという死を私も真剣に深く考え、覚悟を以て今後の人生を全うしようではないかと思う。

最後までお読みいただきありがとうございます。