親父の真実
6月5日、叔母が亡くなった。
86歳だった。
叔母と言っても疎遠だった方の叔母。
立正佼成会の地区会長もやってた人で、すごく元気な人だった。母が亡くなった時に報告しに行って会ったのが最後。
その時は痴呆症らしいと言われていて老人ホームに入居していた。でも別に俺のことも覚えていたし、母が亡くなったことに涙していた。
そんな叔母の訃報は突然やって来て、死因を聞くと「大動脈解離」だった。
手術が出来ない状態で、母の妹の叔母(書道の先生の方の叔母)が最後を看取ったらしいが、苦しい状態で意識もなく息を引き取ったよう。
仕事を早退し、斎場に向かうと書道先生の叔母(以降おばさん)が座っていた。そして2人で眠りについた叔母の傍で、昔の叔母の昔話しをしていた。
従兄弟(叔母の次男)が飛行機の移動で疲れただろうに、寝ていた。
その亡くなった叔母の息子、従兄弟2人は道外に住んでいて突然のことで昨日飛行機で札幌の斎場にやってきた。
その従兄弟とは自分が子供の頃に少ししか会ったことがなく、昔の写真の面影はあったが、初めて顔を合わせたような感じでギクシャク。
おばさんとは交流があり、その叔母の従兄弟の兄ちゃんとは自分らが子供の頃よく遊んでくれたし、年に1回くらいは顔を合わせるようになっているから話しやすいけど。
そのおばさんは世話好きというか、頼まれたりして出来ることはなんでもやる叔母で、頼りがいがあるというか、お人好しというか…まあ、母に似て良い人柄なんですな。
昨夜従兄弟達は斎場に泊まり、自分は叔母と一緒におばさんの自宅へ帰り泊まることにした。
翌日におばさんが死亡届と火葬証明書を発行してもらうために南区役所へ行くという。
普通は息子達がやらなきゃいけないのでは…
おばさんは「俺が来なくても電報でもいいよー」と言っていたが、何故私が疎遠であった叔母のお通夜に来る気になったのか?
母が亡くなってから、やはり親戚関係の冠婚葬祭は大切だと思ったからである。
子供の頃。
俺が5歳、弟が3歳頃に親父が脳血管の病気で倒れて、南1条病院に入院した時に母が付きっきりで看病をした時、叔母の家にお世話になった。
その後自分が小学3年の時にまた親父が倒れて、今度は隣の中村記念病院で開頭手術をした。その時も母が泊まり込みで看病してる間に、叔母の家にお世話になった。
しかし、叔母は熱心な立正佼成会員で朝必ず起きたら、ご飯を仏壇に添えて線香を立て、たすきをかけて一緒にお経を読まされた、正座をして。まあ流暢な法華経だった。
あと立正佼成会の道場に行ったり、大会に出て(月寒グリーンドームとか)、またたすきを掛けてお経を読んだ。
正直ウンザリな日々だったが…
今思うと、寝泊まりして朝昼晩と食事をいただいて、お風呂にも入った。叔母に対して感謝の気持ちが湧いてきたのである。思い出はないので涙は流れないが。
しかし疎遠だった叔母だったが生前元気な時に、自分が蕎麦屋で働いて出前を回っている最中、杖をついた叔母と道端で会って話しをした。
「今度家に遊びに来なさいよ」って。
その後はしばらく会うことは無くなり、叔父さん(叔母の夫)も亡くなった。そして平成26年2月5日母が他界した。
俺の親父のその後は?
母と離婚後、自分が高校生くらいまで度々会ったが、何も話さない人でタバコは吸い酒ばかり飲んでいた。そして、生活費もなくなるほどの競馬狂。頭の血管の病名は不明で難病らしく、その後も数回と頭を開いて手術をした。
医者からはタバコもアルコールも駄目だと言われていたのに、飲んでいた。
晩年、母は親父のアパートへたまに訪れていたようだが、頭に爆弾を抱えているのにまだ酒ばかり飲み続けていたようだ。
あれから約18年が過ぎ、母が胃がんの末期になり俺は親父の住むアパートへ向かった。母の病状を知らせる為であった。
すると親父の住む部屋は空き部屋だった。
母にその事を知らせ、母の看病に専念し6ヵ月の闘病期間で亡くなった。
その後しばらくしてから大家に親父の行方を聞こうと、親父のアパートに行くとアパートは取り壊されていた。大家の名前も分からなかった。
親父を恨んでいたというか、死んでたって俺は知らないし、母さんをあんなに苦しめた酷い奴。自業自得だ!と引越し場所も探したくないという気持ちで日々を過ごした。母が亡くなってから寂しいのもあり、しばらくは自身も病んだ。
そしてはてなブログで彼女と出会い、彼女に色々と諭されて考え方がガラッと変わった。
親父を許そう!と。
そして親父の眠る場所を探そうと東区役所に戸籍謄本を取り、親父の行方を追った。しかし役所の人間は「除籍となってます」とだけ言い、
「除籍とは死亡したということですか?」と問うと、「この場合はお父様が死亡したか?籍を新しく作ったか?と2つのパターンが考えられます。例えばそうですねぇ、ご結婚されたとか?」
「いやいや、結婚って!どう考えても死んでると思うんですけど。俺は誰が死亡届を出したか?知りたいの!」と伝えると、「こちらではそういった判断を伝えかねます」の一点張り。
そして「あちらに相談センターがございますのでそちらで…」と追い払われた。
相談センターでも一から説明しても納得した答えを貰えず、「探偵さんとかでお調べになられたらいかがでしょう?」と言われ、憤慨し東区役所を後にした。
あれから3年、いつか調べようと思っていた親父の亡くなった日と時刻、そして誰が死亡届を出したのか?
叔母の死亡届を出しに行く
今日の朝9時におばさんと南区役所まで歩き、叔母の死亡届を出しにいくも本籍やら分からず、手間取った。やはり息子たちがいないと!
そして待っている間、ふと親父のことを思い出した。
死亡届をおばさんが出して、届出の名前におばさんの名前が書いてある。そしたら死亡届を出した人間ってのはちゃんと調べてくれりゃ、役所でわかるじゃん!
俺は丁寧な対応の女性の役人に聞いた。
「以前東区役所でこういうことがあり、、、、(略)、、、、死亡届出した人物って役所で分からないのが納得いかないんですが」
と聞くと「調べてみましょう!」と言われた。
手順が多くで調べるのに時間がかかると言ってたが、待つこと5分程度で戸籍謄本が出てきた。しかしそこから色々と聞かれてさらに調べるらしい。
すると!
俺が見たかった物がやっと登場した!
それは一枚の写し。
死亡年月日、死亡時間、死亡届を出した人間が記入されていた。
やっとわかった親父の死亡が。やはり亡くなっていた。そして鍵は死亡届を出した人。それはいつも親父に引っ付いていた曲者の創価学会の信者。
「あー、やっぱりか·····」
ちょっとなんか複雑な思いだったが、こんな機会で親父の死亡を確認出来てよかった。一歩前進。おばさんは「あなたが会うの(創価学会員)嫌だったらおばさんが会いに行ってあげる」と言われたが、どうしょう。
今後少し考えてからにしようと思う。
さて、今日はお通夜だ。
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