kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

機動戦士Zガンダム 百式 クワトロ・バジーナ 18

☆このシリーズはクワトロ(シャア・アズナブル)と百式をリスペクトした100回シリーズになってます。

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今日はクワトロ・バジーナのシャアとしてのダカール議事堂での演説、「ダカール演説」を取り上げたいと思います。


シャアの演説の効果のほどは?

Zガンダムにおける、ファーストガンダムのギレン・ザビの演説に引けを取らない有名な演説となってますが、いくらZガンダム推しの私と言えども、あのガルマ国葬のギレンの演説には及ばない。

シャアの「ダカール演説」は政治家ギレン・ザビのカリスマ性には結局は勝てなかったシャア・アズナブル。

Zガンダム劇場版で省かれたシャアの演説。ここは非常に残念と言わざるを得ない。このダカールの演説をきっかけにシャアはエゥーゴの現場トップという役割を演じされられることとなった。作戦指揮は全てシャアに委ねられる。

シャアの本音は「ティターンズに汲みするものは全て悪だと言える、それはかつてのザビ家とやり方と同じである!」と大衆に訴えかけ、ティターンズに傾いている連邦軍組織を目覚めさせようと思ったに違いはないが、演説前にもシャアはこの演説に真の意味を感じることは出来ずに、アムロに対して自身を「道化」と例えた。しかし「大衆は常に英雄を求めている」アムロの言葉がシャアを演説させることを説得出来たのだろう。

そして演説後の成功後、アムロとシャアは2人きりになり、これで自由を失ったとボヤくシャアに「人身御供の家系かもな」とアムロはシャアに乾杯のグラスを差し出す。一年戦争の肉弾戦でアムロとやりあった7年後の、今2人の関係はここに一つの結実を見た。

ベルトーチカがシャアの演説中に「議員達は彼の演説に惹き込まれているわ」とも言い、ハヤトとアムロをトップとしたカラバのメンバーはシャアに対してリーダーとしての大きな評価をした。

そして、月にいるスペースノイドの一部を湧かせた演説ではあったが、グリプス戦役の流れを変えたか?と言われれば、残念ながらそれは無かったと言ってもいい。

寧ろ変えたのは途中から登場した組織、ハマーン・カーン率いるアクシズであった。


シャアの思惑が謎で分からない

─ シャアは不思議な人物である。ファーストガンダムでガルマ・ザビを見殺し(謀殺)にしたことにより、ドズル・ザビ中将にガルマの戦死を問われ、烙印を押されて軍を左遷される。後にキシリア・ザビ少将により戦線へ引き戻される。しかし結局ザビ家の総帥ギレンに近づくことは出来なかったシャア。

まず、ドズルを殺ったのはガンダムに乗ったアムロ。ジオン公国の公王デギン・ソド・ザビを殺したのは、ザビ家兄弟の長兄であるギレン。

グレート・デギンに乗った父デギンと、連邦軍のレビル将軍が和平交渉の為に接触しようとしたのを、水面下で全てを把握していたギレンがゲル・ドルバ照準で発射されたソーラー・レイにより、グレート・デギンと地球連邦軍第一連合艦隊諸共吹き飛ばした。

ギレンは「父殺しの罪」と断罪し、戦艦ドロス内でキシリアが抹殺した。そしてア・バオア・クーを脱出するザンジバルに乗るキシリアを、ノーマルスーツ姿のシャアがバズーカで頭を撃ち抜いて殺した。

シャアの本来の目的である、ザビ家への復讐の段階として一人ずつ、自身の手でザビ家を殺していくシャアを見たかったものだが...。シャアが復讐し、殺したザビ家の人間はガルマとキシリアのみとなる。それもこの2人は不思議にシャアと深く縁があった人物だ。

しかし殺しに殺し合い、幾つ人間の因果を積んだら良いのだろうか?それはやがて報いとなり、皆に振り返って最後は死んで逝くのだが...。


第37話「ダカールの日」

【シャアのダカール演説の全文】

クワトロ「閉会するな!この席を借りたい!議会の方と、このテレビを見ている連邦国々民の方には突然の無礼を許して頂きたい。私はエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉であります。話の前に、もう一つ知っておいてもらいたいことがあります。私はかつてシャア・アズナブルという名で呼ばれたこともある男だ!」

クワトロ「私はこの場を借りて、ジオンの遺志を継ぐものとして語りたい。もちろん、ジオン公国のシャアとしてではなく、ジオン・ダイクンの子としてである。ジオン・ダイクンの遺志は、ザビ家のような欲望に根差したものではない。ジオン・ダイクンがジオン公国を作ったのでは無い」

クワトロ「現在ティターンズが地球連邦軍を我が物にしている事実は、ザビ家のやり方より悪質であると気付く。人が宇宙に出たのは、地球が人間の重みで沈むのを避ける為だ。そして、宇宙に出た人類は、その生活圏を拡大したことによって、人類そのものの力を身に付けたと誤解をして、ザビ家のような勢力をのさばらせてしまった歴史を持つ。それは不幸だ。もうその歴史を繰り返してはならない!」

クワトロ「宇宙に出ることによって、人間はその能力を広げることが出来ると、何故信じられないのか我々は地球を人の手で汚すなと言っている。ティターンズは地球に魂を引かれた人々の集まりで、地球を食いつぶそうとしているのだ」

クワトロ「人は長い間、この地球と言う揺り籠の中で戯れてきた。しかし!時はすでに人類を地球から巣立たせる時が来たのだ。その後に至って何故人類同士が戦い、地球を汚染しなければならないのだ。地球を自然の揺り籠の中に戻し、人間は宇宙で自立しなければ、地球は水の惑星では無くなるのだ!」

クワトロ「このダカールさえ砂漠に飲み込まれようとしている。それほどに地球は疲れきっている!今、誰もがこの美しい地球を残したいと考えている。ならば自分の欲求を果たす為だけに、地球に寄生虫のようにへばりついていて良い訳がない!」

クワトロ「現にティターンズはこのような時に戦闘を仕掛けてくる。見るが良い!この暴虐な行為を!彼らはかつての地球連邦軍から膨れ上がり、逆らうものは全てを悪と称しているが、それこそ悪であり、人類を衰退させていると言い切れる!」

クワトロ「テレビを御覧の方々はお分かりになる筈だ。これがティターズのやり方なのです。我々が議会を武力で制圧したのも悪いのです。しかしティターンズはこの議会に自分達の味方となる議員がいるにも関わらず破壊しようとしている!」


一時的とはいえ、地球の勢力バランスはエゥーゴに傾いていた、このチャンスに大義名分である人間が動くことにより世論にティターンズの無法を訴えるのは可能であった。それがエゥーゴで出来る唯一の人物がシャアだった。

正体を証したシャアの真摯な言葉は多くの人々に感銘を与えた。ティターンズの攻撃までテレビ中継され、人々は真相を理解する。ティターンズの優位は崩れかけていた。

しかし地中海でその放送を見入るセイラ。彼女には兄の行動が素直に受けとれないでいた。


劇場版でバッサリ切られた理由は?

Zガンダム劇場版ではこのシャアのダカール演説は登場しない。ティターンズがザビ家と同じことをしている悪の根源であることを訴えるかけるシャアのシーンがカットされるとは、本当に残念であった。

Zガンダム劇場版はモビルスーツ戦をパワーアップさせて、グラフィックをリアリティ溢れるものに描かれ直しただけのものであって、元々の魅力であるZガンダムの登場人物像を描いた、複雑なストーリーを破壊するものであった。

だからこのテレビアニメ版のZガンダムと劇場版は全く別物であり、バッサリ切られた理由とは、結局万人受けする為(新たなガンダムファンをターゲットにした?)に単純にして、簡略化された単に興行のための映画化だったとしか理解出来ない。

その点、劇場版「エヴァンゲリオン」とは作り方が真逆で、エヴァンゲリオンの製作スタッフはエヴァに対しての強いこだわりをもって作られていて素晴らしく、エヴァンゲリオン好きの私がZガンダムの劇場版とは比べたとしても、比較対象にはならず「失敗作」としか言い様がない。

劇場版ということで、どこかで尺を縮めなければならないのは百も承知だが、シャアのダカール演説はなんとしてでも入れて欲しかった。他にも沢山不満はある。だからZガンダムのパーフェクト版、テレビアニメ版を超えられることは絶対出来ない。


☆ここまでお読みいただきましてありがとうございます。


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