嘘は誠になりえるのか?
瞑想したり、オラクルカードを引いたり、ポジティブシンキングを楽しむ私達夫婦だが、個人的に自分はブログでネガティブなことをテーマにして記事にしているものが多い。
日常生活ではポジティブな意識にどっぷり浸かっている分、やはりネガティブも必要であって何事にもバランスが大切だと思っている。
今日はエイプリルフールだったが、嘘をつくのは嫌いだ。
嘘という字は「口」へんに「虚」と書く。
虚(きょ)とはひとつの字を持ってして「うそ、偽り」を意味する。また「油断」「すき」「むなしい」「うつろ」「空っぽ」を意味する。
私の母方の家系では馬鹿正直過ぎた真面目な人ばかりだが、父方の家系はまー、嘘つきが多い。親父が驚くほどの大嘘つきだったから、俺たち兄弟もその血を引いている可能性が高い。
父親も父親ならばその親も酷い嘘つきだった。
俺自身、自覚して嘘は付かないように意識的に行動しているけれども、幼少からの記憶が蘇り、誰かが耳元で囁く「どうせ、お前も嘘つきだろうが」
夢にも出てくる、黒い人影。
その黒い影の正体は誰か?
それは、やっぱりくそ親父だった。
母親から嘘をつく人間とは付き合うなと口酸っぱく言われて来たが、嘘つきと一緒になったのは誰でもない、母だった。
しかしその結果、この世に生を受けたのであるからして、父親に感謝はしなければならない。
でも父親の嘘は酷かった。父親の嘘は簡単に分かる程にバレる嘘が多すぎた。そしてその嘘は重大な問題ばかり。
誰もフォローもカバーすることも出来ない嘘。
まず給料日に「給料袋を落とした」
その次の月も「また給料袋を落とした」
さらに翌月も「すまん、給料袋を落とした」
3ヶ月給料無しで、母は生活費を工面するために金策にはしり、親戚や友人などから無利子でお願いしてお金を借りていた。
3ヶ月連続で給料袋を落とすか?いい加減にすれよ。
その癖、毎晩酒を飲み酒のアテがなければ文句を言う。やれ、焼き魚はホッケやニシン、刺身はマグロの中トロを用意すれとか。
一体何様だ?!
そういった嘘つきから人は離れていく。嘘つきは信用できない。人の良い母は、そういう借金生活を重ねて、自分が小学4年生の3学期まで母は耐えた。
嘘も方便とあるが、ついてよい嘘などがあるらしいが、いったいそんな嘘などはどこにあるのだろうか?
ついている嘘に対して罪悪感がなくなった時、その嘘は真実になるということ?すべて本心から嘘をついて、本人が「申し訳ない」「本当に悪い」と思っているかどうかである。
人は罪の意識を感じると、それが重いオモリとしてのしかかる。背負って生きるのが辛いからそれを外そうとする。よく十字架を一生背負って生きていくとあるが、その重いオモリとはまさに嘘のことだ。
嘘は一旦つくとまたつかねばならなくなり、何度も嘘を重ね続けなければならなくなる。その結果嘘は雪だるま式に膨れ上がっていく。
膨張し続けた後は嘘の為に嘘をつき、息を吐くように嘘をつくようになる。それはまさに中身が無く空っぽである。
嘘が真実に?
しかし絶対にバレない嘘をついていれば、いずれ真実になるかもしれない。
宇宙も永遠に膨張し続けているという説があるくらいだから、永遠に続く嘘もあるはずだ。
日本航空123便の事故の真相を中曽根は「真実は墓場まで持って行く」と言ったままあの世にいって、それは現実となった。
政治家は嘘ばかり吐き続け、その嘘を真実としてきた。
政治家は嘘をつくことが仕事なのか?
嘘つきは口が曲がっているのが特徴だ。
麻生太郎の曲がった口はどうやら昔からで若い時から曲がっているみたいだが、現在はより口がひん曲がっている。
一説に得意なクレー射撃で片目を瞑る時、口が曲がるからそれでより曲っていったとも言われているが…。
今じゃ麻生より安倍であり「嘘つきは安倍の恥まり」である。
嘘をつくというのはある種、役者なのかも知れない。しかしその演技(嘘)は本物だと思わせなければならないのである。
でなければただの嘘つきだから。
嘘は陰で真実が光である。
時に真実の光の影が嘘であり、真実と嘘は表裏一体の関係にある。
嘘の気配
普段気配を感じる時は、人の放つ「気」が相手に伝わるからである。例えば呼吸のする音とか空気中の温度の変化とか。その人が気配を出しているから気配が伝わるのであって、気配を消せば人がいるのは感じられない。
後ろから近付いたりして声掛けすると、よく「びっくりしたー!」と言われる。
これは別にわざと脅かしている訳じゃない。普通に人に声を掛けたりする時に言われるのである。
これは、、、!?
もしかすると自分も解らずに自然に気配を消していることがあるのかもしれない。
ということはやはり自分には嘘をつく能力があるということになるのかもしれない。
何故なら嘘にも気配がある。
話を聞いている途中、身振り手振りや話し方、その人の放つ気配で「こいつ嘘つきそうだなぁ…この話、胡散臭いなぁ、なんか嘘ついてそうだなぁ」と。
総じて考えれば思い当たる節がある。嘘も演技と言ったが、演技の練習をしていれば嘘が本当のようになるかも知れない。
嘘をついてしまった時、俺は「自らばらす」ということを繰り返してきたが、嘘を一度ついたならば絶対にバレないように隠していくのが筋なんだろう。
嘘はつくのは良くない、一概には言えないが…。
バレて真実がわかってしまったら、それはまったくの嘘であり、一生嘘つきのレッテルを貼られても言い訳は出来ない。
嘘をつく人間はそれくらいは、覚悟して嘘を突き通さねばなるまい。
エイプリルフールだって、今はコロナで大変な時なんだから嘘なんてつかない方が絶対良い。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。