kemoxxxxxの日記

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ユーバーリンゲン空中衝突事故

航空機の空中衝突事故と言えば、戦闘機やブルーインパルスなどの航空ショーでの空中衝突事故をイメージする。

地上の過密な道路を走る自動車と違って、航空機はこの広大なこの空を飛んでいてそんなにあるのか?と思いきや結構な数がある。

時代は1959年以前明らかになっている有名な航空機の空中衝突事故では9件、1960年代には5件、1970年代は8件、1980年代に4件、1990年代に6件、2000年代に6件で、2015年9月5日にはセネガル東部の上空でインターコンチネンタルC2-71便とセネガルエア救急便が空中衝突事故を起こしている。

いずれも航空管制技術、航空機の性能向上により事故件数は減って来ているが、航空路の過密化や航空需要の急増にインフラ整備が出来ない発展途上国などの衝突事故は寧ろ増えている。

空中衝突にはならなかったが、衝突寸前だったものをニアミス事故というが、2001年1月31日駿河湾上空では日航機のニアミス事故が発生した。この教訓を生かせなかったのが2002年7月1日に起きたユーバーリンゲン空中衝突事故である。

この教訓と書いたが、日航機ニアミス事故は前年度に発生した事故であり、また事故ケースが同様の原因だった為であるからだ。

2機の空中衝突という出来事だけでも悲劇的だが、この事故の一番の悲劇は死亡した大半が子供達だったということ。

そしていつも起こすのはヒューマンエラーでありコンピューターはほとんどミスをしないということだ。

しかし人間は機械を信用したがらない。

さてこの事故の概要を見ていくことにする。

空中衝突までの経緯

ユーバーリンゲンはドイツ南部の都市でボーデン湖を挟みスイスとドイツの国境に位置する。そのユーバーリンゲン上空で空中衝突が起きた。

まず1機のフライトは乗客60名、うち子供が45名搭乗した事故機のロシアドモジェドボォ国際空港発 ─ スペインバルセロナ国際空港行 バシキール航空2937便Tu-154M。

そのバシキール航空2937便に搭乗したのは選抜試験に合格し、スペインのツアーに招待されたロシア連邦バシコルトスタン共和国ウファ市内の小中学生だった。

その子供達45人は当初では陸路モスクワに入り、6月29日の定期便でスペインバルセロナへ飛ぶ予定だったが、乗り遅れた為にバシキール航空2973便をチャーターしたという…。

もう1機のフライトは定期貨物便DHLの611便。バーレーン発 ─ ベルギーブリュッセル行 B-757。

機長は47歳のイギリス人パイロット、副操縦士は34歳のカナダ人パイロットだった。

晴天の夜間午後9時半頃、バシキール航空2937便はドイツの領空高度36,000フィートを西に飛行していた。一方DHL611便はスイスの領空高度26,000フィートを北に飛行。

事故の12分前、DHL611便は管制へより高い高度の36,000フィートを要求しており、事故の8分50秒前には許可がおりて36,000フィートへ上昇することになる。

つまりこの時点で2機はコリジョンコースにあった。コリジョンコースとはそのまま進むと衝突する進路を意味する。

しかしまだ両機にはまだ十分な距離があったのだが、そのままDHL611便はドイツ領空へと入る。

その中ドイツ南部の該当空域ではスイス管制区域となっており、事故当時も民間航空管制会社スカイガイド社によって管制されていた。

そしてなんと、そのスカイガイド社の管制官はスイス上空ドイツ南部の当該空域の高高度空域及び、ドイツ南部フリードリヒスハーフェン空港への進入管制を1人で担当していたのだ。

しかも管制管轄域内で航空機が異常接近した場合は接近警報装置が警報作動するが、この日はまた機器点検の為にアラームは無効となっていたのだった。

さらに重なること、この夜はフリードリヒスハーフェン空港へ遅延する便があって管制官はその便に付きっきりとなり、バシキール航空2937便とDHL611便の異常接近には気がつかなかった。

さて、この衝突事故を避ける為にTCASというシステムがある。これは航空機に空中衝突防止装置という警報が付いており、危険を避ける為の回避指示を音声とディスプレイでパイロットに指示する。


衝突50秒前…

衝突50秒前、両機のTCASがお互いの機影を捉えた。

衝突43秒前、管制官はバシキール航空2937便とDHL611便が同高度で異常接近に気づき2973便に「交錯する機があるので早急にフライトレベル350へ降下せよ」と指示した。

衝突36秒前、互いのTCASが警告を発する。DHL611便には「降下せよ(descent)」 バシキール航空2937便には「上昇せよ(climb)」と指示した。

衝突29秒前、バシキール航空2973便の乗員が管制の指示に応答しなかった為に再度管制官は2937便に「降下」の指示を出した。2937便のTCASは変わらず「上昇」を指示していたが乗員は管制官の指示に従い降下を開始し、DHL611便はTCASの指示通りに直ちに降下を開始する。

衝突18秒前、DHL611便はTCASから「降下を増やせ( Increase descent)」の緊急的警報を受けてその指示に従い、さらに降下する。

DHL611便はTCASからの指示を受けて緊急降下中を管制官に通報しようとしたが、衝突13秒前に管制官が2937便に対して「他機が2時の方向から飛来する」という連絡を行っていたところであり、DHL611便の通報は管制官には届かなかった。

この為管制官はDHL611便とバシキール航空2937便が共に降下をしていたことは気づかなかった。

管制官は2937便から降下した旨の通報を受けて、フライトレベル360を維持するDHL611便と衝突回避されたと信じた。

衝突8秒前に管制官はフリードリヒスハーフェン空港への進入管制へ戻った。

衝突27秒前、DHL611便の乗員は2時の方向に2937便の衝突防止灯を視認する。一方2937便は管制官から“2時の方向から他機が飛来する”情報を得ていた為に右前方向を注視していたが、DHL611便が接近してくる8秒前まで視認出来なかったのである。

衝突6.5秒前、2937便のTCASが「上昇を増やせ( Increase Climb)」を警告するも、もはや遅く2937便は管制官から指示された35,000フィートを下回る高度を緊急降下していた。

衝突2.8秒前には操縦桿が機首上げ方向一杯に引かれたが、午後11時36分32秒DHL611便とバシキール航空2937便はユーバーリンゲンの上空高度34,890フィートで611便の垂直尾翼が2937便の胴体部を分断する状態で空中衝突した。

2937便はそのまま空中分解しながら墜落、611便は垂直尾翼の80%を失って操縦不能に陥り、2分間飛行した後7キロ先の森林に機首を下げたままの姿勢で墜落した。

乗員乗客合わせて71名が犠牲になった。


管制官とTCAS

事故調査委員会が立てられ、その結果スカイガイド社の管制管理体制に大きな問題があることが上げられた。

本来航空管制業務は飛行場での管制業務、進入管制業務、航空路管制業務に大別され、それぞれは独立して勤務し業務に当たるべきである。

先に挙げたように事故当時スカイガイド社管制官の当直は2名だったが、1名は休憩中で管制業務を離れていた。その為バシキール航空2937便とDHL611便を含む、航空路管制業務と空港への進入管制業務を1人で行っていたことになるが、こうした体制はスカイガイド社の長年の悪習によって行われてきたことだった。

もちろんこのような行為は管制上の規律違反である。

さらにチューリッヒ航空管制センターの接近警報装置も事故の30分前より機器メンテナンスで作動してなかった。さらに同管制官は遅延で運行していたアエロロイド航空1135便の進入管制をフリードリヒスハーフェン空港への誘導に集中していた為か、この2機の異常接近にまったく気づくことが出来なかった。

次にTCASへの対処問題である。

TCASは両機とも正常に作動していたが、管制官が両機のTCASの警報を知る術も難しく、またDHL611便がTCASの警報を受けて降下していたことも無線の混線により管制官は知ることが出来ず、DHL611便は管制承認高度36,000フィートを維持していると信じて、バシキール航空2937便に緊急降下を指示し、同管制官は両機が交錯するとは考えなかったと思われる。

DHL611便はTCASの警報を受けて管制承認高度を離れて緊急降下したが、バシキール航空2937便はTCASの指示を無視して管制官の指示に従い緊急降下することになった事実も見逃せない。

実際バシキール航空の当時マニュアルには“TCASと管制官の指示に相違があった場合には管制官の指示を優先せよ”とあった。

またTCASのマニュアルには“通行のルール及び航空管制に対する視覚的な衝突回避バックアップとして意図されている”とあった。

つまり“人を信じるのか?機械を信じるのか?”

どちらを信じて良いのか?この曖昧な定義が事故要因を高めた原因でもある。

教訓とならなかった1年前の日航機ニアミス事故も同様に片方のパイロットはTCASを信じずに管制を信じたことで発生してしまった。

こうしたことから事故後、TCASと管制官の指示が相反した場合にはTCASの指示に従うことが定められた。


The Überlingen Mid-Air Collision at 35,000 Feet


事故後に…

事故の後、原因を作った航空管制官は職を辞していたが、2004年2月24日に自宅前で刺殺された。

バシコルトスタン共和国出身ロシア人建築士が逮捕された。彼はバシキール航空2937便の遺族で妻と2人の子供を亡くした。

取り調べでは事故後2年間は家族の墓の前で過ごし、元管制官の前で事故で死んだ家族の写真を見せたところ謝罪もせずに目の前に捨てたことで刺したと話している。

建築士は懲役8年の刑を受けスイスの刑務所で服役していたが、2007年に刑期を短縮され釈放、ロシアに帰国している。

尚、この事故を題材としたアーノルド・シュワルツェネッガー主演・米映画「アフターマス」が2017年4月に公開されている。

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