kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

心霊 母と写真

※注意※ 心霊話や怪談話や怖い話が嫌いな人は気をつけて下さい。実際にあった出来事です。もし読んでいる途中で気分が悪くなったり、具合が悪くなったりしたら読むのはやめてください。その際に霊障など体の不調が起こった場合、当ブログでは一切の責任を負いかねます。尚、心霊画像などは載せておりませんのでご安心下さいませ。


私は先日のブログ記事で『大好きだった刑事ドラマ名作2選』を書く為に、西部警察のお話の中で、石原裕次郎が日産のガゼールに乗っていた話を書く際、「ああ、そう言えば俺の親父、グレーのガゼール乗ってたなぁ」と。写した写真が1枚残っていた記憶がありまして、そうだ探してみよう!と思い、いつか整理しようと思っていた大量に写真が入っているダンボールを開き、写真を分け始めました。母が亡くなり引越しの際に写真整理を行えば良かったのですが、写真が大好きな人でしたから母が保管していた写真は一切手をつけずに、そっくりそのままダンボール箱2箱分、置きっぱなしにしていました。


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はっきり言います。私は霊感は強いんです。 霊が見えるまではいきませんが、何者か、この世の者ではない存在を感じ、それが危険なものか、安全なものか、大体わかります。

私の両掌、親指の裏側の第一関節には「目」がくっきりと見開いています。 母が亡くなるまで、私は心霊・怪奇系が大好きで毎日そんなDVDや本を取り憑かれたように見てました。心霊スポットにも懐中電灯を持って出かけたりしました。

そんなある時、どうしてもダビングしたいビデオがあり「呪われたビデオ 恐怖の心霊」(仮名)ビデオ VHS をダビングしたのです。するとその後、公団で異様な現象が多々起き始めました。自宅の部屋で写真を撮ると必ず火柱や火の玉、オーブが写る写真が写るのです。写真に腕がなかったり。次第にあらゆる怪奇現象が起こり、それは止まりませんでした。私の霊感はますます鋭くなり、毎日が怖いと家に引きこもる様になりました。そしてそのダビングしたVHSビデオはお祓いもせずに捨ててしました。駄目ですね、今思うと。とても危険でいけない行為をしてしまいました。

《母と住んでいた公団でのあらゆる恐怖の怪奇現象の記録です。》

この公団住宅は何かあると思います。明治初期の札幌は街外れのすすきの地区に札幌遊郭(薄野遊郭)を作りますが、すすきのが市街化すると、この遊郭は移転することになりました。すすきのから豊平橋を渡った先、国道36号線沿いに東西の大通りを作り、白石遊郭を作りました。東西に門を作り、地区一帯は昔「大門通り」と呼び、白石遊郭となっていました。売春宿で栄えていました。国道36号線沿いの、現豊平〜美園地区はほとんど何もなく墓地と火葬場しかなかったと言われています。豊平警察署は元墓地でした。豊平地区は過去に何か曰く付きのあった土地でありましょう。

豊平公団住宅の目の前には「大門通り」があります。

その地域「大門通り」一帯は未解決事件となったタクシー運転手殺人事件、よく火事の起きる場所で有名な場所です。

私達は12階建ての公団住宅、裏階段の角の部屋613号室に住んでいたのですが、ある日610号室のおばさんが突然亡くなり、しばらくしてから611号室のおばあちゃんが亡くなりました。そして、間髪入れずに612号室隣のおばあちゃんが病気になり、亡くなりました。

この時点で、「おいおい、もしかして、うちの母さんが危ないかも知れない...」と思ったんです。

深夜の2:30頃とかにピンポンが鳴り、覗き穴を見ると誰もいない。それが何度か続く。いたずらにしては変でした。母さんにドアを開けるな!って言ったにも関わらず、母はドアを開けてしまったのです。もちろん誰もいない。多分悪霊が家の中に入ってしまったんだと思います。

あと裏階段から母と降りていったら、先に歩いていた母が突然消え、背後からうめき声が聞こえ後ろを振り向くと、廊下の角に老婆らしき人物が半分顔を出して立っている!僕は「なんですか?」といい、近寄り廊下の角をまで行くと、その老婆は消えていた。恐怖心に支配され走って階段を降りて出口の玄関ドアを開き外にでました。すると目の前の柱にお札が貼ってたのです…

あと毎夜、母がうなされていました。あの母のうめき声が怖くて怖くて...母の元へ行き「お母さん!お母さん!」って起こしたりしましたが、僕が金縛りにあっている時は動けないので恐怖でしかありません。金縛りが解けたあとは、全身汗びっしょりでした。

母は極度の便秘持ちで3回、お腹の激痛で救急車で運ばれ診断はただの便秘だねと言われていたんですが、ある時からお腹がドンドン大きくなり、今回も便秘じゃないか?とタカをくくってたんです。

あまりにも酷く激ヤセもあり、病院で診察を受けた際に医師から、末期のスキルス胃がんを宣告されました。もうガン細胞が腹膜に散らばり、外科的手術は不可能と判断され、それでも腹水は溜まり、余命は半年以上1年以下と診断されましたが、だけど頑張ってくれて8ヶ月も、もってくれました。

平成26年2月5日没 享年79歳。

母が亡くなって、今のアパートに住むようになり、不思議な現象は起こらなくなりました。特に全く起きないのは金縛りです。公団で母と暮らしていた時は毎日のように母はうなされ、私は金縛りで苦しまれていました。

今では「母に会いたい」の気持ちで「霊現象」は怖くなく、逆にもう一度体験して悪霊と対決したい気持ちなんですね。

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では話を元に戻します。

母は写真をハサミで切る癖があり、切り刻んだ写真を後生大事に取っておくと変わった性格の人でした。以前に「なんで写真切るのさ?」と聞いたら、「見てたらしゃくにさわるからだよ。この世から消えてしまえ、いなくなってしまえ!」と言っていましたね。

しかし基本的に明るい人でバス停で知らない人とも、相手の足を止めてまで会話を楽しむ人で、いつもニコニコ笑顔が素敵な母でしたね。

母のもう一つの顔、それは性格が頑固。とにかく頑固。そして人を恨む。憎む。絶対に人を許さない。息を引き取るまで自分の妹のことを憎んでいって亡くなりました。もちろん最後を看取ったのは長男の僕だけです。「誰も呼ぶな!」って強く言われていましたので。

なのでひょっとしたら...おばさん(妹)に何か起きたりしないよな...49日の間は緊張感持って過ごしたのを覚えています。

嫌いな人を切り刻んだ写真や、自分や好きな人だけをくり抜いたりした写真は持っていては、良くないと知っていたので、良い機会だ。母がくり抜いたりした変形写真を捨てよう!と仕分けしていきました。 よくよくその切り刻んだ写真に写った人物の顔を見ると顔色が悪く、目が異常に見開いているような感じで、ザワっとしました。

「早く仕分けして、親父のガゼールの写真みつけないと!」

家はテレビはありませんので、うちは常に静かな部屋です。音楽をかければいいんですが、その日は何故かカラダが動かない。写真の仕分けに没頭してたのかも知れません。でもそんな時に限って“ラップ音”が鳴るんですね。珍しく風呂場から「パキッ!」とか、隣の部屋に置いてあるジッポのオイル缶が「カポン!」という音がし始め、意識すればするほど、何か迫って来ている感じがするんです。

「よし!チャンスかも知れない!」心霊現象を再び体験するには今かも。と思い、故人を思い出しながら写真を仕分けていきます。霊を引き寄せる為に仏壇の線香に火をつけました。

母の写真の切り取り方はエグいです。今回の記事に載せようか?と迷いましたが、本当にこのブログが呪われてしまったら困るので、載せるのは控えることにしました。

どんな切り取り方か?というと、まず母と嫌いな人との肩を組んで撮ってる写真がありますよね。その嫌いな人の顔を首からくり抜きます(恐らくカッターだと)。首から下は残しておいて、母の肩に回したその人の手だけ丸く切り取ります。その写真の見た目は異様でした。はっきり言って気持ち悪いし、病んでます。

みきっぺ(id:charlotte102)にリアルタイムでビデオ通話の際に見せています(ガゼールの写真が見つかった後)。それは白黒の写真でしたが…。

あと切り取る人は大体別れた親父がほとんどで、次に多いのが母の妹、義理の姉、友人と続きます。勝手に僕の友人まで切り取られている写真もありました!

もっと早くに整理して捨てるべきだった。と後悔しながら「ガゼールの写真」を探します。もう1,000枚以上はありますね。満州時代の写真を合わせて。

母の過去の古い歴史を感じながら、次第に手も汚れて来ました。早く見つけないとブログにアップロードして更新できないじゃないか!捨てたのか?!捨てた記憶はないんですよね〜

おかしいなぁ〜かれこれ40〜50分は写真をいじってます。駄目だ!早くしまっちゃおう!なんかさすがの私でも怖くなってきたんです。

母はこんなにも人を憎んでたり恨んでたりしたのか...母は満州で生まれた戦争体験者です。おじいちゃんはソビエトに抑留されて廃人になって帰って来ました。母の人生を考えると苦労しかなく、幸せな事はほとんど無かった気がします。親父に苦しめられた挙句、息子にも苦しめられた、お金に苦労した母の人生。

みきっぺと会う前、斎藤一人さんの話を聞く前は運命ってどんだけ残酷なんだよ。って思ってたんですが、この母の不幸な人生は母自身が作っていた不幸なんだなと、この刻まれた写真を見て気が付きました。

よし!捨てよう!処分だ!これはちゃんと写真の表の部分を折りたたんでテープで留めます(写真同士の顔や姿が他の写真と合わないようにする為にです)、写真自体見えないようにしました。

人を憎んではいけない、恨んではいけない、苦しめてはいけない、たとえその人が生きていたとしてもその悪い念は相手に飛んでいって、相手を苦しめます。そしてそれは何倍にもなって自分に跳ね返ってきて、自分に災難が降りかかります。

母はモルヒネ静注以前かなり苦しんでいました。我慢強い人なんで、相当辛かったと思います。

そんなことを考えているうちに、やっと「ガゼールの写真」が見つかり、先にブログにアップロードして更新することが出来ました。

あとは整理してちょうど次の日が燃やせるゴミの日なので、折りたたんだ写真を新聞紙で丁寧に包み、粗塩を上から撒き、これだけを他のゴミとは混ぜず専用の有料ゴミ袋の中に畳んで入れ、数珠を持ちしばらく手を合わせてから、ゴミステーションに捨てにいきました。

みきっぺとのビデオ通話も終わり、電話を切り電気を消して眠りに入りました。数分もしない内にベッドの上でいきなり体がビクッ!となって起こされたんです。「キーン...」と耳鳴りもします。なんか呼び鈴を鳴らされた感じ……ふと、そういえば、あの写真って何枚あったんだろうか?と、とても気になり、電気をつけて、ゴミステーションに戻り、部屋に持ち帰って写真を詰めた新聞紙を開いて解いていきます。

何故枚数が気になったのか、今でもわかりません。

数えていきます。時刻は丑三つ時。

それはとてもザワっとした感覚で嫌な感じでした。もしかすると、数えなければ良かったかも知れません。

1枚...2枚...3枚……

50枚辺りから、もしかしてあの数なんだろうか...と思い始めました。

……76枚、77枚、78枚、79枚。

予感は的中しました。

79枚

母が自分で切り刻んだ写真の枚数は、なんと!母自身の亡くなった「歳の数」だったのです……



その瞬間鳥肌が立ち、寒気が襲い、危険な気が漂ってきたので、直ぐに写真をまとめて塩をふり新聞紙にくるみ、元通りにして“般若心経”を読み、浄化の為に“お香”を焚いて、しばらく手を合わせて目をつぶり心の中で祈りました。そしてゴミステーションに捨てにいきました(本当はお寺でお焚き上げするのが1番な方法な事は理解しております)。


因果は人が自ら作ってしまうものなんですね。 決して周り(他者)のせいではなく、その人に不幸な出来事が起きるという原因は、その人自身が不幸を作っているからなんです。

魂の高い方や気づける方はきっと分かると思います。



公団の怪奇現象、610号室から613号室まで順番におばあさま達が亡くなっていったのはどうしても腑に落ちなかったのですが、ようやくわかりました。

恐らくは低俗で邪悪な魂の仕業だと僕は思っています。母は切り刻んだ写真を捨てられずに、ずっと保管していた。

科学では説明出来ないことが、この世の中には沢山存在します。人間の身体は借り物です、魂(霊)は必ず存在していて、あなた(私)の一挙手一投足を神様がご覧になっています。全て見透かされているということを忘れずに。

あなたがこの世に生を受けたということは御先祖様に感謝しなければなりません。全ては繋がっているからです。不敬不遜をしていると必ずあなたに災いが起こります。たとえ現世であなたに起こらなくとも家族、親族や、その子、その孫へと繋がり、それは因果となってやってきます。

(この写真はただ古くなり普通に朽ちた写真です。私の曾祖父さんの代の写真かと思われます。)

☆最後に、ここまでお読みくださいまして、誠にありがとうございます。感謝致します。

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