スズメバチ退治を思い出す夏
現在引っ越しの為、部屋の整理真っ最中なんですが、4年前の夏に大工の手元作業に従事した日記が見つかりました。懐かしのあまり読んでしまいました。
思い出した、季節は今頃で暑い夏だったです。でも今日なんか、札幌は雨降りで寒くてストーブつけましたよ。
4年前の今日は最悪だったようで…
2015年7月2日(水)おにぎり作る。5:45起き。仕事ではSに怒られHにも言われた。まあしょうがないとして17:20位、Nと歩いてダイコクすすきのへブロン買いに行く。Sに強く言われたので腰袋買いにプロムまで歩く。その後は最悪な日だったね…
と書いてある。読んでてとてつもなく嫌な思い出が甦ってきた。
こう考えると今現在は最高に幸せですよ〜
|•'-'•)و✧ⓝⓘⓒⓔ♡
最初はやる気満々だったんだけど、親方はね大人しい人で良かったんですよ。かなり間抜けなおやっさんだったんですけど!
大工の職長、親父(Sさん)がね…こんなに意地悪い人がこの世にいるのかっ!ってくらいに酷い奴だったんですよ。
大工Sさん「自分よ、いままでどんな仕事してた?」から俺の経歴サラッと聞いたくらいにして、俺は素直に過去の土木経験を話した、それが気に障ったのか?(自分でそう感じた)
常にいつも独り言をブツブツボヤいていた(俺の悪口)。仕舞いには直接俺に言って来ないで周りの大工や親方、鳶の連中にも俺の悪口を言うんですな。自慢じゃないけど、仕事はできる方なんで悪口を言われる理由がわからなかった。
言われた通りにやると、あっさり覆されて俺が間違った作業をしていると言ってくるのである。
例えば、「65ミリの釘運んでくれや」と頼まれて狭いビデ足場を登って建屋の4階まで釘の入った箱を何箱も上げる。
上げ終わってから、Sさんが4階に行くと「おい!これ65ミリじゃねえか!75ミリって言ったろ!」とあからさまでわざとらしい文句を言ってくる。
Sさん「これ下げれや全部…」(仕事になんねえな、やる気ねえなら帰れや…)⇐聞こえるか聞こえないくらいの声でブツブツ言う。
俺「あの人65ミリってはっきり言ったよな?」
N「はい、言いましたね」
俺「完全な嫌がらせだろこれ」
N「K(俺)さん来るまであんな事いう人じゃなかったんすけどね…結構優しかったんだけどな…」(この後これが覆される)
俺「なんだそりゃ?ターゲットにされてんのか?俺が気に入らねえんだな」
あれには参りました。ツナギのポケットにレコーダーでも仕掛けて録音して聞かせてやるか?と思いましたがね、くだらん。そこまでする必要はないなと伸ばし伸ばし、引き伸ばしていたんですが、やがてストレスは限界突破まで来ましてね。
俺「やってらんねー!ぜってー!ブチ切れて辞めてやるわ、こんな現場!」と毎日我慢のタイトロープで、爆弾抱えたまま毎日通う日々。
当時ブロン中毒だった私は一日1瓶というハイペースで、自我を押さえつけてたんですよ。向こうは職長、言った言わないの口論になって水掛け論になったら、現場の空気が悪化するのを回避して我慢あるのみでした。
他の大工さんからは慰めの言葉戴いたりしましたね。
大工Aさん「Sさんね、普段からああいう人なんだわ〜気にしないでや、頑張ってや!」なんて言ってくれたりしましたが…
と言っても文句を言われるのは何故か俺だけ。年下の前で愚痴られるのは屈辱だった。いつも不条理なこと。
現場も真夏から秋へかけて、工期も迫り、仕上げの段階に入った時に、先に現場へ入ったNが親方の方とトラブってブチ切れ。若いゼネコンのあんちゃんの前で親方に対して怒鳴り、ヘルメットを地面に叩き付けて退場になったんですね。
Nは自分から辞めてやったと言ってましたが…その場にいなかったので真相は不明でしたが、怒鳴り散らしていた声は他の大工さん達は聞いてたようです。
Nがいなくなった後、孤独な戦いが始まりましたがね、自分で言うのもなんですが…多少自信がある「我慢と比較的高いコミュニケーション能力」でですね、急にその人の良いところを見つけてしまって、最後はSさんに惜しまれて、その現場を離れることになったんですね。
Sさんに飲みに誘われるまで仲良くなって、後半は仕事もよく任されるようになりました。
Sさん「もし大工やる気あるなら俺ん所来いよ」と名刺を貰いましたがね。やりませんよ。
でもしっかり覚えてますよ。真夏になると思い出すんです。あの厳しい現場を。
塩飴と水と虫
Sさんの手元をやりながら、雑用もこなさなければならない。工具を現場まで運ぶ、発電機の燃料、軽油チェックと補給。
水、ウォーターサーバーの量とチェック補給。あと簡易トイレの掃除(誰がやるか決まってない。自発的にやるのがNだった)。
朝礼の場所のスーパーハウスと現場は離れているから(歩いて5分程度)、現場のプレハブにも水のパックを毎日運ばなければならない。経験済みの肉体労働、昔取った杵柄でも40歳の体には堪えた。
特に所長の見回りなんかで塩飴が置いてなかった日には何故か俺ら下っ端が直接ゼネコンの奴らに注意された。もう文化庁のお偉いさんが来る日には大騒ぎでしたよ。葉っぱの一枚落ちてたらアウトで、工期迫ってるのに一日中ゴミ掃除。
塩飴の件なんて「塩飴もうないですよ!注文お願いします」って親方に2週間前から言ったのに来てないじゃん!って話。そもそも頼むのを忘れていて、何度言っても忘れてる。
そりゃ、当時70歳だっけな?おじいちゃんだもんな…
元請けゼネコンの奴ら、朝礼で「塩飴と水が無かったら大変だ!熱中症で倒れるぞ!」って、まあわかるけどさ。
ゼネコンの制服組にあーだから、こーだからと言っても通用しない。
もう全てグダグダな現場だった。
特に〇水建設の所長と担当してた設計O氏、2人のお偉方同士仲が悪くて、しょっちゅう言い合いの声が本館や事務所棟の足場から聞こえてた。現場が全然進まないこと進まないこと…。
「あいつらよー、図面確認してるのか?」と大工さん達がボヤいた。
上がバラバラだから決まらない。材料の選定も決まらないから、作業も進められない。これが文科省から下りて来てるスーパーゼネコンの現場か?と雑用作業員ながら、そう思った。
その現場の中ってのが自然そのまんまで、キツネやタヌキが出現してゼネコンからキツネに近づくなと強く言われていた。エキノコックスでしょう。
しかーし!一人親方に使われている俺は雇用関係を結んでいないので、怪我したり何かあっても労災にはならない。自分の身は自分で守るしかない。
これはですね、当初契約する際に親方に詳しく(税金関係とかも)聞いたんですよ。
一人親方「色々面倒だと思うならウチで働いてもらわなくていいよ」とサクッと言われた。
さらに親方からは「〇〇さん(ゼネコン監督)にK君のこと、大工さんということで入ってることになってるから、うまく話あわせといてね!」だって。あーあ。ダメでしょこれ。
清〇建設の若い兄ちゃん「あのー、大工さん、ちょっといい?」
俺「あ、自分大工じゃないっすよ!あ!やべっ!」
なんてことがあった(笑)。
お盆前の8月の暑い日に、スズメバチ退治を行う事になった。
虫が大嫌いな、この俺が、す、すずめ蜂退治?
は?スズメバチ?!
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確か黄色と黒のスプレーが大量に用意されていた。
そして作業場近くの木にセットしていく、スズメバチ捕獲器。
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実際に刺された人がいた。確か鳶の人。恐怖のスズメバチ探し、両手にスプレーで防備無し。あれは恐ろしかった、そっとしておけば良いのにこちらから殺しに行くんだから、スズメバチも迷惑というか…でも害虫だからな。
いいですよ、コンパネ、タル木運び、スミ入れ、ベニヤ打ちとかね。そりゃやりますよ、大工の雑用作業員で入ってるんですから。
でも実際は何でも屋。
鳶の人は足場しか組まないし、俺らがコンパネとタル木で組んだ補強材を建屋に嵌め込んで機械打ちしたら、下見板を合わせて打ち込み大工作業が終わったら、彼らはビデ足場を解体していく。
しかしその親方ってのがゼネコンから言われたら「はい!それはうちでやります!」と何でも受けてしまう。
それには大工のSさんも頭を抱えていた…。
実際動けると言ったら俺とNの2人しかいない。
さすがに大工さん方は耐震補強工事を進めなきゃならないから、こっちに仕事が来る。
まず来たのがペンキ塗り。Nが元ペンキ屋だったことで、うまくこき使われた。
その次は瓦屋。やったことも無い瓦をせっせと運び、派遣組(素人)とでモルタルとセメントを混ぜ、瓦を屋根にくっつけていく。
さらに金物を頼んで床下のアンカー打ち。また鉄骨屋の仕事を天井裏でSさんとHさんの3人で作業。塩飴ポケットから出して舐めながら、塩分補給して汗流したなぁ。
オオスズメバチは発見しなかったけど、キイロスズメバチが大量にいましたね。
刺されそうになり、追っかけられたチャンスが訪れましたが、何とか交わして刺されませんでした。
今そんな仕事やれ!って言われても今は出来ないっす。
でもいい経験でした。あの時は本当にありがとう。
最後までお読み頂きましてありがとうございます。