kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

酒を飲み続けた父とそれを見続けていた母

9月は亡くなった父と母の誕生日が重なります。

父が12日で母が22日。

自分が小学4年の秋頃に、父と母は離婚しています。

離婚後、しばらくかけて父と母は復縁を考えていたようでしたが、「酒」と「競馬」と「借金」のから抜け出せずに、最後まで破滅的な生き方を父の姿から見て来ました。

自分が高校を卒業するまで、父の家に訪れる回数は減っていきましたが、多少交流はあったのです。

酒がやめられずに吐くまで飲み、倒れるまで飲むと、持病の「脳」の病気からも脱出出来ず、病院に運ばれ開頭手術を4度も行ったのに、酒をやめられず退院すると仕事にも影響を及ぼし、生活費は酒と煙草に費やし、まともな食事も取れずただ寝てるだけ。

真冬の日にはアパートの一室で一斗缶に焚き木をして燃やして暖を取っている姿を見たこともあります。よく火事にならなかった。その時は母がパートで働いたお金で生活費を工面したり、灯油を買って助けた日でした。

父から「酒をやめたい」という言葉は一切聞いた記憶がありません。

今ふと思うと、何故あんなに体を壊すまで酒に執着し続けたのか?聞いてみたいくらいですが、7年前に亡くなっているので知り得ることが出来ません。

父は酒を飲むと饒舌でした。暴れることはしなかったですが、頑固で嘘ばかりついて、周りの人に迷惑をかけ、仕事の上司や部下とのトラブルが絶えずに、転職ばかり繰り返していましたね。

最後見た父の姿は酷く泥酔していて、私が声をかけても息子とは気づかずに素通りされ、北24条の夜の街をフラフラしながら徘徊する姿を見て「これは、もうだめだ!」と思い、その日以降父の家に様子を見に行くのをやめました。

母にも父の家に行くのを何度も止めましたが、2009年あたりまで、母が行ける時は月一ペースで父の家に様子を見に行っていました。

しかし最後の最後は、母も完全に見切りを付けて父の家に行くのをやめました。

その最後とは、父に部屋を貸していた「友人」と呼ばれる悪友にそそのかれて、母が愛想を尽かした事件でした。

その悪友はアパートの大家だったのですが、父に保険を掛けて、アパートの一角の鍵のかけていない倉庫(わざと?)に酒樽を置いており、父がその酒を盗み飲みするのを度々、母に告げ口をしては文句を言っていた男です(その後このアパートは無くなり、この男の居場所は分からず)。

その「友人」という男は、母に「もうあんたは会いに来るな。見たくない」と怒鳴ったそうで、父は離婚前からその男と付き合いがあり、その男の指示通りに行動していたようです。

男は学会員で、自宅に訪れては母に創価学会へ入信するように話していたのを見たことがあります。父が晩年に学会に入ったのかどうかは分かりかねますが(父が言うことは嘘ばかりなので)。

あの母の憤怒していた姿を見ると「とんでもなく酷いことを言われたんだな」と、今でも泣いていた母が脳裏に浮かびます。

私はあそこで父と決別出来た、母の判断が正しかったんだと思っています。一体何十年間、悪縁から目を覚ませられなかったのか?

その後の母の暮らしは、精神面でもとても安定したものになりました。

恐らくは最後まで酒の虜になり、他人に迷惑かけて亡くなった父は、それが今世での魂の役目だったと思っています。今は父を非難したりすることは無くなり、全て許すことが出来ています。

あそこで自分が父に対して何か出来なかったか?という不毛な悩みからは、全て解放されました。

その父を陰で見ていた私自身も、実はギャンブルやクスリにハマり続けていました。それらの“良くない欲求”から離れることへの“第一の決意”を知ることが出来たのは、やはり「母の死」ですね。

あれは決定的でした。

しかし長年染み付いた悪習慣は、ちょっとやそっとじゃ私を許してはくれず、しばらく悪習慣に苦しみ続けました。

こういった時、どう考えれば良いのか?


理性を欠く習慣から離れなければならない

良い習慣はなかなか身に付きませんが、悪い習慣ほど悪魔的にその道へ誘われていってしまいます。

人間生きていく上で、お酒にしても、煙草にしても、癖になってしまうものは、大体避けて通った方が良いのです。理性的な判断を鈍らせたり、狂わせたりするものは良くないものです。

体験した中では薬(麻薬)なんかは、非常に強く人を虜にして、体を壊してしまい、人格までコントロールされてしまいます。

なんでもそうです、食欲だったり、人間関係や恋愛など依存してしまうもの、これらから逃れようとすると必ず反発した作用を起こします。

これらの要素に対して、「私は必ずやめる」「やめてやる!」という強い意志を持って、果たしてやめられることが出来るのか?

答えはNOです。

まず「○○を辞めなければいけない」しなければいけないと思うのは良くない考え方です。

禁欲は進めれば進めるほど、その禁じらた欲に溺れるものが、本来人間の持っている性質なんです。

他人にやめるように言われても、自ら禁じることも、その先に必ず強烈な欲をもたらします。だから「禁じたこと」のほとんどが失敗してしまい、そのまま悪習慣を続けてしまいます。

だからと言って麻薬をし続けて良いという訳ではありません。

その人間の習慣を利用します。毎日、毎日小さな習慣を続けて積み重ねていけば、そこからは良い習慣が定着します。

悪習慣の欲のエネルギーを、別のエネルギーに変えて使うことが、悪い習慣から離れることが出来るやり方のひとつになります。

風邪を引いても、嵐の日もそう、自然な物事には必ず全てピークがあります。

そのピークが一番大変で辛い経験であり、その辛い体験を乗り越えた時の経験が自分にとっての『自信』につながるのです。

その自信が強い力になって、悪しき習慣から離れることが出来るようになっていきます。

決して無理に悪い欲と戦い続けるのではなく、自分の中でこの強く悪い欲が育つ前に、別のエネルギーに変えていく。自分の中で使わなければならない方向に変えていくんです。

実際には行動に動いて示したり、眠れないなら無理に眠ることなく肉体的に疲れさせれば、いつか眠くなって眠れてしまいます。

環境を変える、自分の習慣の順番を変えることが良い習慣につながる第一歩だと思います。変えることへの、ほんの少しの「勇気」がいるだけです。

自分を変えることとは、大きく自分の環境を変えることにあります。

私は「酒」にも「クスリ」にも「人」にも「会社」にも自分の人生をコントロールされたくありません。自分の理性を持ってしっかりと、自分自身の意思でコントロールします。

せめて「○○が無ければ不安で生きて行けない」「あの人がいなければ生きて行けない」などの、悪い習慣は手放しましょう。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。