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オウム死刑囚6人の死刑執行

法務省は26日(木)にオウム真理教による一連による事件によって死刑確定されていた元教団幹部6人の刑の執行を発表した。

産経ニュース【オウム死刑執行】2018.7.26

法務省から発表された資料は以下のとおり

2011年に元教団幹部13人の死刑が確定したが、刑事訴訟法では刑が確定したら6ヶ月以内に執行を定められている。共犯者の公判が続いている限り刑の執行は避けることを慣例としていた。

法務省は平成30年7月6日(金)に麻原彰晃こと松本智津夫以下7名を死刑執行した。

麻原彰晃こと松本智津夫以下死刑執行の資料

これで7月のひと月のうちに13名の麻原彰晃以下オウム真理教元教団幹部らの死刑執行を行い、これで四半世紀に渡った、オウム真理教事件に関わる計190名(受刑者含む)の元教団関係者の刑の執行が終わったことになる。

何故平成が終わる年にオウムの一連の事件を終わらせたのか?そこには明らかに天皇制とオウム処刑の結び付きを想像せざるを得ない。平成に起きたあの地下鉄サリン事件を平成のうちに幕を閉じたいのはあからさまだ。しかも何故もっと早くに死刑執行しなかったのか疑問も残る。

何故今なのか?と異口同声にあげた各新聞社に対して法務省幹部の答えは何とも説明がつかないものだ。

上川法務大臣の一任で刑が執行されたとは考え難い。指示したのは安倍であり、安倍政権によるものだ。自民党与党、内閣、安倍政権による悪法強引な強行採決といい、

これは某宗教団体との繋がりによる、北との絡み、あとはロシアとの関係、まさに日本の国会議員はズブズブで証拠隠滅による死刑執行と考えられる。

今後の安倍政権の動きには注視すべきである。

【2018年7月26日PM12:00記】

...それにしても連中は「6」と「13」「18」が好きである。そんなに数字遊びをしたいのか。この日付6と13と18は偶然ではなく必然なのだ。この悪魔崇拝教共が...


【同日 PM17:00記】 信じない人は信じなくてもいい。時に真実はどこにあるのか、人は探したくなる。事実は小説よりも奇なり。


【エスエス製薬】と小泉純一郎と石原慎太郎は親戚である。

この2人だけじゃない!麻生家と安倍家どちらが最強最凶?!えげつない程の国家権力で日本を支配する腐りきった政治家共の巻。

小泉家の家系図『Koizum Family』PGN様サイトホームページリンクへ飛びます。

1981年石原裕次郎の解離性大動脈瘤の大手術の執刀医は慶応病院の元オウムの心臓外科医林郁夫である。それが縁で慎太郎はオウムに資金提供する。裕次郎が亡くなった2年後にオウム真理教は宗教法人になっている。慎太郎の四男延啓はオウムの準幹部。麻原の瞑想の座の背後にある曼荼羅の画は四男延啓の描いた作品ともいわれている。彼は第7サティアンから救出され高尾病院に入院したとのことだが、あれから一切彼は表舞台に現れない。

1995年3月20日に地下鉄サリン事件が発生し、その直後の4月に慎太郎が突然議員辞職したのはオウムと密接に関わっていたからである。時の総理大臣は村山富市、旧社会党との自民党は連立政権であり、自民党が弱体化していた時期である。石原はオウムにサリン事件を起こさせ国家転覆を狙っており、臨時総理になろうと企んでいたとも思えなくもなく想像は拭えない。何故ならば運輸大臣の時に東京都に対してオウム真理教の宗教法人化に圧力をかけていたからである。そんな男を自民党に居られては大変だ!と詰め腹切らせた訳だった。普通ならば逮捕起訴されてもおかしくないのだが、検察との司法取引によって議員辞職で免れ、またこれも闇に葬り去られていた。そして忘れた頃にまた東京都民はこのような男に都知事を4期もつとめさせた(1999〜2011)。しかも尖閣問題も起こし、4期の任期途中で国政に戻るために辞職した。長男の石原伸晃は福島第一原発を訪れた時に「サティアン」と口走った。さらに東日本大震災の福島第一原発事故と石原家との因縁なのか勘ぐりたくもなるものだ。

地下鉄サリン事件当時の国家公安委員長の故野中広務は国家転覆を狙ったオウム後継団体アレフに対して内乱罪も破壊防止法を進言したとされるが(はっきりしていない)、野中広務の元でおこなわれた国家公安委員会では適用はされず、結果アレフは信者を増やし、上祐史浩はひかりの輪を作りのうのうとしているのは不条理だとは思わないのだろうか?あれだけテレビマスコミにで張って「麻原尊師麻原尊師」と喚いていたトップ幹部の人間が今では「あさはら」呼び捨てで、如何にも自分は正義であると言わんばかりにのさばっている。

林郁夫はサリン散布役実行犯だが、自白したとの事で検察も死刑を求刑出来ず?無期懲役。サリン事件においては唯一の死刑を免れた。ということはいつかは出所を迎えるということだ。死刑を免れた要因は言わずともわかるであろう。遺族、被害者にとっては苦渋に値する悔しさである。しかし検察側が求刑を自発的に減刑するのは異例中の異例である。 これらの出来事が周知の事実とは末恐ろしい。 弱みを握られた国家権力を持つ人間は何をするか分からないということだ。正義はどこへいったのだ! 平成が終わろうとし、新しい年号になるだろうが、これからも以後日本国民は真実を恐れずに権力に対して立ち向かうべきではなかろうか。

国民は真実から目を背けてはいけない、忘れてはいけない。国会(立法)・裁判所(司法)・内閣(行政)。いまやこの国に三権分立などない。