前回
続き
蒋琬「はい 馬謖が斬られたことで二十万の兵 みな涙を流しました。そして軍律を守らねばならないと、みなが気持ちを引き締めたようにございます」
諸葛亮「そうか…馬謖の死が後々まで活かされるならば、馬謖の死は犬死ではない。戦に敗れた時 兵士の士気は落ち、軍令紀律は乱れるものじゃ それがかえって引き締まったということはうれしいことじゃ。真の敗れはその国の内より敗れた時じゃ。だが兵士達が自分を戒めるとは蜀健在の証拠」
???
「臣亮 凡庸の才をもって三軍を指揮し 街亭において過ちをなせしこと とがめはみなそれがしの不明のいたすところ
なれど それがし三軍の最高にありますため 誰も臣の罪を罰する者がありませぬ 故に自分みずから臣職の位を三等貶して丞相の職権は宮中へお返し申したくーーー」
それを聞いた劉禅は「それはならんぞ 丞相は我が国の大老だ。勝敗は兵家の常。一矢ありとて何で官位を貶してよいものぞ。そのまま士気を養い国を治めよと伝えよ」
と、この頃の劉禅はまだまともな事を言っている笑。
さて諸葛亮の所へ戻った蒋琬はそのまま伝えた、しかし諸葛亮は拒む。
諸葛亮「これを私みずから曖昧にしたのでは、到底この先軍紀を正し、蜀の国政にあずかることはできぬ。私自身はこの度の過ちは死刑に等しい罪であると思っている。責任をとって自決することは簡単だが、先帝の御委託もありそれを果たすまでは寸命だけはお許し願いたいと思うている。ご足労だがもう一度丞相の位を辞することだけはお許し下さいと伝えてくだされ」
蒋琬「ともされまするがこの大事な時に誰に丞相が務まりましょうや」
諸葛亮「なんと言われようとも責任は明らかにしとうござる」
(蒋琬、使いっぱでしょうが!)
困った劉禅は丞相の職を廃止し、孔明を右将軍として兵を総督させることを思いつく。
やっと納得した孔明。
右将軍とは四方将軍(中央軍司令官)で実戦指揮を担当するらしい。
だが位的にだいぶ下に思える。
そして蒋琬が数十万の精鋭がござるが、今一度魏を討たんとおもわせまするか?と聞いたところ、
諸葛亮「戦というものは智謀ばかりでは勝てぬといって先頃の大戦では、蜀は魏よりも兵力は多かった。それでも負けてしまった。戦さは智でもなく、兵の数でもない。これは主将達の過ちじゃ、数に頼らず軍律を厳しくし、将兵を錬磨し真の精鋭を作る」
それ以後孔明は兵士の調練に励み、軍需物資を整え捲土重来を期した。
しかし……
さて魏の洛陽では重臣たちがあたふたしていた。
これを機に一気に蜀へせめあげようようと!言う話になった。
ここに司馬懿がくる。
「待たれい、待たれい!」
もし細い険しい道に砦を築いていたならば、我らは街亭を取るのは不可能だったと。
漢中は要害の地である。
それだけに司馬懿は慎重であった。
そこで司馬懿が取った案である。
孔明が長安を再び狙うとすれば、街亭での惨敗で同じ作戦は取らずと。
なので陳倉に頑強な城を築く案を提案。
司馬懿「その昔、漢の高祖は漢中に入る時 長安から漢中までの桟道を全て焼き払いました。その後その桟道を修理して長安攻めを開始いたしました。ところがこれは敵の目を欺くため、高祖の将 韓信が陳倉の小路を追撃して奇襲によって長安を落としたのでございます」
司馬懿「孔明が前の道を歩まぬと考えればこの陳倉の道 充分守りを固めておきませぬと…雑覇将軍郝昭 彼は忠誠心の厚い武人で河西を治めて十数年 住民も皆敬服してございます。彼が適任かとおもいまする」
こうして魏は陳倉に城を築き、郝昭に守らせて蜀に備えた。
その後しばらく、魏は呉と一悶着を起こす。
呉の周魴が魏の揚州の司馬・大都督曹休に郡を献じて投降したいと偽りの策略を起こし、魏の建威将軍賈逵は罠だと主張するが司馬懿はそれに乗ろうと、魏は軍を出すことになる。
周魴は曹休を迎え、計略ではないかと疑われたことに激しく泣くや、自分の首を斬ろうとして、止められて髻(もとどり)を切る。
さらに賈逵は曹休に「髪を切るくらいなんですか。昔、要離は慶忌を殺す為に自分の腕を切り落として相手を信用させたではないですか」と警告した。
曹休は「貴様、俺の手柄を横取りしようというのか」と言って怒った。
そして周魴は、曹休を石亭まで案内してから姿をくらまし、魏軍を破ったあと孫権より関内候(かんだいこう)に封ぜられた。
賈逵の手勢が迎えてくれたので、ようやく一息つく。
「あの時、貴公の言葉を聞いていたら」と恥じる曹休だが、
「急いで逃げないと、道を封鎖されますぞ」と賈逵はゆるまず、擬兵を用いて曹休を帰還せしめた。
洛陽に帰ったものの、曹休は憂悶の極み、気から病をおこし、悪性のできものが背中に出来て死亡した。
さて、漢中では。
諸葛亮「諸侯よ 今夜の酒宴は我が同盟国呉が魏に大勝したとの吉報があり、陛下がお喜びになり我らにお酒を賜られたのじゃ、皆でその喜びを分かち合おう」
ぎ、魏延さま。。。
そんな酒宴に不幸が訪れる。
父趙雲の死を告げる。
五虎大将軍の最後が亡くなった。
しかし彼は長生きをした。
趙雲の活躍は誰一人として忘れることはないだろう。
曹軍百万の中をただ一騎で王子を救い出し、それ以降の武功の数々も数えきれぬほどであった。その英雄がここにまた息をひきとった。
生あるものはいつか滅びる。
そうわかっていても孔明の胸は万感の思いであった。空を見上げる孔明の頰に一筋の涙が光った。
続く….