横山光輝三国志 諸葛亮孔明・9
前回。
続き。
少し馬謖のことを…
元荊州劉表の幕客伊籍は、劉備に馬氏兄弟を推薦したが、まず馬謖の名を先に言い、その後で「馬氏の5兄弟では、眉の白い馬良がもっとも上である」
(いわゆる『白眉もっともよし』)
と馬良の名を挙げている。
諸葛亮に、
「馬謖は言葉ばかりで実がともなわない人間だから、重くもちいてはならぬ」と遺言した。
流石の先帝劉備である。
しかしその後孔明に従軍し、少しずつだが、功を挙げてゆく。
とうとうやらかしてしてしまう、馬謖さま。
さぁ!どうする?!
どうもしない。
馬謖「よっしゃ!あの山に陣を設けよう!」(大将気分満々で言う馬謖)
王平「は???」(なんだ?こいつ?)
馬謖「ハハハーー!愚か者よ」(高笑い)
馬謖「わしに逆らうつもりか?」(脅し)
なんてことで山の上に陣を張る馬謖…
重症な馬謖。
馬謖オワタ\(^o^)/
しまいに兵法まで繰り出す始末…
馬謖「高きによりて下きを視れば 勢 竹をさくが如し」
王平「丞相はここが重要とお考えになってるとはおもわれませぬか?ここは我らがしっかりと守りを固めるべきでございます」
馬謖「心配いたすな山頂から駆け下りて魏軍を滅ぼすも同じではないか」
王平「いえ違います、ここには幾筋もの山道がありまする。山頂に陣取ればすべての道を封じられませぬ。別の道から入られてはなんといたします」
何とか不満気な馬謖より、兵五千を預かり別の場所で陣を張る。
馬謖「だが もしわしが見事魏軍を打ち破ってもお前の手柄とは言わせぬぞ」
かくして、馬謖は山頂に陣取るべく山へ向かった。
王平は仕方なく五千の兵を引き連れ西十里の地点へ向かった。
司馬懿の陣では。
息子の昭が偵察に街亭へ。
それを司馬懿に報告する。
司馬懿「さすが孔明 ここまで手を打っていたとはまさに神わざ…わしの及ぶところではないわ」
司馬昭「父上、何をそんなに気後れなさいます、私の見たところ街亭はたやすく奪えます」
司馬懿「なにっ?!」
馬謖の浅はかな生兵法で、司馬懿にあっさりとバレてしまった😓😓😓
司馬懿「これでは街亭を奪ってくれと言わんばかりではないか…」
はい!まさにそのとおりでございまする。
司馬懿「あの山を守る将は誰じゃ」
司馬懿「馬謖のう………少々知恵がまわると聞いてはいたが大将の器ではないのう。孔明は才智にはたけても人を見る目がないとみえる」
悔しいですがね…
まさにズバリでございます、司馬懿殿。
早速諸将に指示を出す司馬懿。
申耽、申儀には山を囲み、水汲み場を押さえさせる。
張郃には山より十里の所に陣を張る蜀軍を動けぬように。
そして…作戦は始まった。
水汲みをする兵士達。
山頂に水は無い。
何故馬謖は山頂に陣取ったのか?
不思議でならない!
魏軍が来たら山頂から一気に一網打尽にするつもりだったのだろうか?
しかしそれも失敗している。
山をぐるりと魏軍に囲まれてはどうすることも出来ない。
どうしょうもない馬謖の戦い方。
蜀軍は、馬謖が考えたように必死で戦うということはなく、兵は次々に山を下って魏軍に投降して陣は自壊。
やがて水が足りず兵士達に水汲み決死隊を組ませるが、皆魏軍に降参し、兵士の半数は逃げてしまった。
烈柳城の高翔、後詰めの魏延を当てにするなど以ての外だが、馬謖は救援に来てくれると信じてる。
馬謖は残った兵士に喝を入れるが、
全く持ってどうしょうもない。
兵士はさらに逃げて、数は半数以下になる。
馬謖は決意する。
夜、山道の手薄な所から脱出すると。
街亭がピンチに陥ると、王平は救援に向かうがそこには張郃が控えていた。
司馬懿の策である。
たった5千の兵では王平ともどうも出来ず。
敗走するのだった。
王平、高翔、魏延も敗れて、列柳城に立てこもり守る決意をした3人は、途中で意外な敵と遭遇した。
曹真は司馬懿だけに手柄を取らせたくなく、郭淮を列柳城へ進ませた(だが、列柳城はとっくに司馬懿の軍勢が城を占拠していた…)。
魏延達はやむなく、陽平関の守りに向かった。
馬謖の才能を買い、重要地点を任せた孔明であったが馬謖が才に溺れ、功を焦り、勝手に街亭山に陣取ったことが孔明万全の布陣を完全に狂わせてしまった。
否、これは孔明自身の不徳である。
先帝劉備が残した言葉を軽視したからである。
「何たることを」と驚いた時には、すでに馬謖は敗れて街亭を失ったあとであった。
街亭が落ちれば蜀軍は兵糧攻めにあい、この山野に骸をさらすことになる…
その時、街亭、列柳城、魏軍に奪られた一報が入り、孔明は肩を落とし自分の非を認める。
これで長安を落とし、洛陽への道は閉ざされることになる。
そして各将各隊へ、如何に被害を少なくしながら総退却をさせることを指示する。
殿は趙雲である。
その辺はぬかりがない。
趙雲は見事一兵も失わず引きあげた。
自身は食糧貯蔵庫であった西城に参り、食糧を全て漢中へ運ばせる。
西城に兵はほとんど居ない、言わば空き家だ。
早速そこへ司馬懿軍が十五万の大軍を率いてやってくると、孔明は四門を開け、琴を弾いていた。
孔明は「空城の計」を用いた。
それを見た司馬懿は、
これは孔明の策略だと、疑心暗鬼に陥り、サッと兵を引いたのである。
街亭に戻り、体勢を立て直してもう一度司馬懿が進んだ時には蜀軍は引きあげたあとだった。
地元民から真相を聞いた司馬懿は、
「奴にはかなわぬ」と嘆息。
そして…
漢中へ戻った孔明の前には、自らを縛って、
ひざまく馬謖がいた。
続く….