kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

プロレス回顧 6

5からの続き

 
長州「昔俺が、小さな団体からあの大きな全日本に向かって来たっていう、うん…うーん、まぁでも、うん、気合い入ってるね、うん、うん…」
辻アナ「天龍さんが最後に長州待ってるよと、かっこいい言葉を待ってるぜ、と」
長州「うん、うん、うん、もうやるしかないだろな」
辻アナ「ついに」
長州「うん、やるしかないだろな、うん、ただやるからにはホントに、うーん、最高の状態でやりたいね、天龍とはねー、うん、こう、なんか別な所で自分の考えを集中させて、うーん、まぁ、あと残り少ないシリーズ、終わったらあとは天龍一本で考えていくっていうね」
(長州、”うん”が多すぎw)
 
 
 
辻アナ「新日本プロレスとWARの抗争が、新たな展開を見せているそんな最中、先日の11月15日仙台大会において越中詩郎選手が実はWARの中にも我々の共鳴者がいるんだ、そう言った爆弾発言がありました。これはどういうことなんでしょうか?我々は急遽福井にやって来ています、越中選手に話を聞きたいと思います」
 
 
越中「あの、まぁ、俺らがWARに闘いの場を求めて行って、その中でグレートカブキさんという人から共闘してやろうということがありましたので、我々4人で話しあった結果、今日ここにカブキさんを呼んでますので4人で協議した結果ね、カブキさんと一緒にやっていこうと」
 
越中「決まりましたので、えー、これからカブキさんと5人で共闘してやって行くことになりました、カブキさん呼んでます」
 
カブキ「今回ね、素晴らしいこの、越中さん、それから木村さん、それと…、4人がね、素晴らしい、あの、闘いやってくれたんです、物凄い燃えたですよ、鳥肌が立つぐらい、これだ!、これ、これなんだ!この人なら、ってそう思ったんです、それでね、もういてもたっても、あれでね、もう連絡して一緒にやっていこうっていうことになったんです、で今日このたび、もう、今日、今決まったばっかりなんですけどね、ほんとに嬉しいです、長州だろうが、天龍だろうが、この新しいこの俺らのね、闘いをね、見たらね、2人でガタガタやってる時じゃないと思うんです、これからなんですよ、この5人で力合わせてねやっていきますよ」
辻アナ「越中さん、4人で始まった反選手会同盟が、これまた一つ分子が増えて5人になりました」
越中「なんていうかな、俺らももう、新日本の枠だけでね終わりたくないし、もっともっとカブキさんと組むってことによってね、大きな物にしていきたいし、団体の枠なんて取っ払ってもっと大きいものにしていきたいと、だから新日本でくすぶってる奴とかね、俺らに共感する奴はね、どんどんどんどん集まってきてもっともっと大きいものにしていきたい、絶対俺たちやりますからね、天龍とか長州なんかもうふざけんなですよ、吹っ飛ばしてやりますよ」
 
辻アナ「わかりました」
(何故か反選手会同盟の始まりになった小林邦昭が抜けちゃいましたwちなみに長州と越中は凄く仲が良いんですwこの抗争も長州が描きましたw)
 
アメリカ ミネアポリス
 
ホーク「Well マササイトー!…………
ササキエライー!destroyed everyone」
 
マサ斎藤「まぁ、ニューヨークも終わってみて、ええと自分はパートナーを探してたとある日それでWCWのテレビを見たら健介という素晴らしい日本のレスラーがいたと、こんなパートナーはいないと、今是非欲しいと、彼と2人でもって日本に行って…片っ端から暴れてベルトを総なめすると彼は凄く勢いで言ってます、と健介そう言ってるんだけど、健介の気持ちとしては今どうなんだよ?これは彼と2人でもってチームを組んで日本に行くのか、それとも2人でもってアメリカでやるのか?どっちなんだよ!」
 
健介「そうですね、WCW行ってて、こういうラブコール受けるとは思わなかったから、でも今日ちょっとこっち来てやって、日本でもうちょっと暴れてみたいなと思って、だからこの強さってのを日本のファンにも見せたいし、ホークと組んで目いっぱい暴れてみたいと思います」
 
マサ斎藤「という訳ですまぁ、2人に期待してみましょう、どうもすいません、ここは雪の国ミネアポリスからです」

(ホークの興奮しすぎた英語が分かりませんでしたwマサさんの通訳です。健介もホークの真似して迫力ある話し方をしますが、ちょっと下手ですwこの後日本に来てホーク・ウォーリア、健介はパワー・ウォーリアとして、ヘルレイザースを2人は結成しますが、長州が5分以内で2人を勝たせる試合にする為、色んな選手にカードを組ませますが、あまりにも呆気なくヤラレ役を演じなければならないので、最後のほう選手らはやりたくありませんと断られたようですw)
ホークは2003年、自宅にて46歳の若さで心筋梗塞で亡くなりました。やはりステロイドの使用からでしょう。好きな選手でした。今でも残念でなりません。
彼はリング外では心の優しい人でした。