それがやり口か!マイティフロッグ事件
事件は1987年。俺が中学校1年生で弟が小学校4年生。
有難いことにお年玉をくれる人は母を除いて毎年決まって2人いた。
1人は母の妹である叔母さん。
もう1人はその叔母の息子である長男で、つまり従兄弟。
そして母の3人。
母子家庭で時給440円の札幌パークホテル内ベッドメイクのパートでの生計で、俺たち兄弟に毎年お年玉をくれていた母に凄さを感じる。
よくやりくりしてたよな…母さん。
小学校6年で貰った金額は母が俺に5千円で弟に3千円、叔母から俺に5千円と同じく弟に3千円。
ホビーショップで“ある買い物”をしたから、その金額をはっきりと記憶していた。
叔母の長男の兄ちゃんは器がデカく太っ腹で俺と6歳しか離れてないのに翌年の中学2年から8千円、中3に1万円とお年玉をくれた。弟は半分。
父は一緒に暮らしていた時も、母と離婚してからたまに会う時すら1円も現金はくれたことは無かった。
そして俺と弟が成人してサラリーを貰うようになって親父が放った言葉は「子供は死ぬまで親の面倒見る責任あるからな、頼むぞ兄ちゃん」だった。
だが弟が当時付き合っていた彼女と子どもがデキちゃって“病院で堕ろす”話し合いになり、そのお金を用意することについて母が相談したら「それはてめえの不始末の問題で俺が出る話じゃねーべ」と弟と話しすらせずに逃げた。
まあそんな親父のことはどうでもいいんだが…。
お年玉がしっかり貯まり出したのは俺が小学6年の頃で、弟が小学3年。
今はネットが発達していてスマホ一台で小学生でも何でもかんでも知ってるが、当時俺らの時代は本から知識を学ぶしかなかったし、それをしなかった俺たち兄弟は親とテレビ、教師や周りの大人や友達の悪い影響を受けて毎日を過ごしていた。
ゆえに無知だった。無知は罪である。
さて、いったい当時小6のお年玉の平均金額はいくらだったのか?!
俺が住んでいた札幌市中の島地区は893が多く、よって小金持ちや成金が多かった。
1クラスは男子24人、女子22人の合わせて46人のうち母子家庭は俺を含めてたったの4人で、1人は父子家庭だった。
ということでクラスのお年玉の金額を聞いて回った結果、平均はだいたい4〜6万。中にはトータル10万円を超える奴もいた。
一億中流社会と呼ばれた1987年はバブルが真っ最中で金をしこたま持ってた大人がたくさんいたんだな。
母子家庭は母子家庭同士集まってろ的な感じで、母ひとり子ひとりで育ったNとも教室や外でもいつも2人一緒だった。学年はいじめが酷くて1人だったら確実にいじめられてたクラスだったが、体はデカくてメンタルも強いNが周りから俺を庇っていてくれてた。
でも2人になると俺にちょっかいを出してくる癖のある奴でもあって、金のトラブルは特に嫌だからNには「ウチは貧乏だからいつも金はもってない」といい、お年玉を貰っているなんて絶対に奴には言わなかった。
言ったら「貸せよ」とか言われそうだったし。
でも中学に進学して分かったが、このNは金に関しては意外としっかりしてた奴で新聞配達をしてしっかり金を稼いでいた。中学では不登校になり鑑別に出入りしてたっけ。
話を小学6年生時代に貰った時のお年玉の使い道に戻します。
ガキを騙すゴミ店主
男子はファミコンブーム。別にインドアとかアウトドアという言葉もわりとどうでも良く、ファミコンを持っていないだけで人権が問われる時代。
「ちゃんぺ、ファミコン持ってねーの?」「なんでファミコン買わないの?」「なんでファミコン買えないの?」「貧乏だから?」について説明するのに疲れてて、いつもこの繰り返し。
お年玉と小遣いが貯まったら“ぜってーファミコン買ってやる”と息巻いていたが、どうしてもファミコン本体とカセット1本を買える金額が貯まらない。
小学6年生冬のお年玉トータル金額も弟と合体させてやっと1万6千円。
反省しているが、弟のお年玉の使い道も聞かずにお年玉合体させていたのは申し訳なく思ってる。
何かあれば度々弟にこの話を持ち出される(笑)。
「すまない。」
自分の小学5年生頃から電動ラジコンが流行った。タミヤのホーネットやホットショットなんかが人気で、少年雑誌コロコロコミックにもラジコンを扱ったマンガがあった。
他の奴らがあまり口出してこれない自慢出来る趣味を作ろうと思い、弟に相談して(したつもりだったらしい…)完成された玩具、トイラジコンではなく本物の組み立て電動ラジコンを買うことを許可得た(得たつもりだったらしい…)。
インドアでファミコンやゲーム関連にハマる奴、またパソコン関連だったり、他には部活ばかりでサッカー、野球、テニス、スポーツに染っていく者、あとは音楽(バンド)だとか、不良的な方向に流れる奴とか中学生時期はどんどんグループ分けされていった。
俺はラジコンに焦点を定め、購入プランを立てて実際にプラモデル屋、ホビーショップなどを見て回るも、組み立て電動ラジコンは高価でラジコン本体のキットが安くてもグラスホッパーが7,400円〜して、さらにコントローラーとしてプロポが必要。それも安いものでも10,000円〜した。
まだ必要なものがあり、専用ニカドバッテリー、専用充電器、楽しむのに必要ならば別売りでモーターも買わなければならなく、新品でも安く揃えたとして走らせるには全部で20,000円以上はかかる。
ならファミコンとほぼ同等価格。
でも一度欲しいと思ってしまうと、子供ながら当時はなかなか諦めがつかない性格だった。
母から少しずつ貰った足代(買い物とか掃除したら貰っていたお小遣い)とお年玉をプラスして、やっと手元の現金が18,000円超え。
まだファミコンに戻ることが出来る。ファミコン本体が14,800円、カセット1本約5,000円。
思えばこの時ファミコン本体だけでも買ってしまえばよかったんだよ。
そんなラジコン買いたい話をしていた、友人Fからある情報が飛んできた。
友人F「俺、オープンしたばっかのホビーショップの店長と仲がいいんだけどさ、中古だけどさプロポもバッテリーも全部ついてマイティフロッグ1万5千円で売ってくれるってさ」
俺「マジで?買うわ!」(子供の頃から現品見ないで口約束で即決してしまう悪いクセがあった)
場所は中の島ショッピングセンター(現在 マックスバリュ)の中二階にホビーショップが新たに開店していた。
プラモデルやエアーガン、ラジコンなどを主に扱った店舗で名前は忘れた。
友人に案内されて会った大人2人はラジコン博士だかアダ名がついた若いアンちゃんとホビーショップの店長(チビでくるくるパーマのおっさん)。
そのホビーショップの店長は現金で1万5千円があるかどうかをしつこく聞いてきた。その間ラジコン博士がマイティフロッグを調整していたが、カウルはところどころ割れていて、見た目は褒められた物ではなかった記憶。
確か「このマイティフロッグは本体だけだと定価で14,800円はするからね〜絶対お買い得だよ〜プロポもついてるからね〜このプロポはさぁ〜今売ってなくて、当時は5万したものだから〜」みたいな感じで饒舌だった。
友人Fもグルだったのか「ちゃんぺ、マイティフロッグがこんな安く手に入る方法なんて絶対ないよ」とゼツ推し。
一度買うと言った以上引くことができない性格も、内心「(あー、どーしょ、失敗したかも…)」と頭の中で後悔の波がグルグル。
調整を終えたラジコン博士が店内スペースでマイティフロッグを走らせ始めた。初めて目の当たりにして見た動くリアルなラジコンの挙動に感動さえ覚えたのだが、、、、。
さすがにやっぱ、1万円超えの買い物はやはり母さんの許可がいるよな。と思い(弟にも話さなきゃならないし…)、勇気を出してそのおっさん店長に「すいません、お母さんに許可を得てから買いに来ます」と言うと…
店長「それじゃ、さっき欲しいって来てた子に売るけどそれでいいよね!」と強い語気で言って来たので、びっくりして「は、はい。いいです。」と答えた。
その表情は冷たかったのを覚えている。
友人Fは「もったいねーなー、なんで買わなかった?ちゃんぺ…絶対買いだったぞ」と不貞腐れてガッカリしていた。ま、俺だって一緒に走らせて遊びたいけどなぁ…でも絶対買いならてめぇが買えよって話だよな?
友人Fはワイルドウィリーとグラスホッパーを所持。さらに今思えばどっちかを安く俺に売ってくれりゃいいのに。なんて思った。
帰宅後母と弟に話して欲しかったら買えばいいと許可を得たが、再度あのホビーショップに行って買うのもかったるいし、どうせ日が経てば売れてるんだろと思い、ラジコンのことは忘れた。
数週間経ってからまた友人Fから声が掛かった。
友人F「ちゃんぺ!許可下りたか?」
俺「え?マイティフロッグ?売れたんじゃないの?」
友人F「昨日行ったら店長がまだ売ってるってよ」
俺「なんだ、売れてないの?許可は出たけど迷ってんだよね」
友人F「じゃ、買えばいいじゃん!行くべや、一緒に」
渋々、中の島ショッピングセンターの中二階ホビーショップに金をもって行く。
顔を見るなり、おっさん店長が「1万5千円でいいよ!はい!」と簡易梱包して俺を待っていた。
店長「オマケにブラックモーター付けとくから!」
正直流れ的に買いたくなく、迷いを見せたら、
店長「明日には多分売れてると思うけどね!」と言った。
1万5千円を払い、マイティフロッグ本体とプロポ一式を受け取る。もちろん説明書や箱は無い、ホント今思えばこいつらにはめられたわ。
その後友人Fと小学校のグラウンドへ行って少し走らせたが、確かに初めて走らせたラジコンは面白くて感動したのを覚えている。
帰宅後、母と弟に動くところ見せると「すごいね〜」なんて言われて楽しくなってる自分がいた。
2日後、突然急に友人Fが引越しして転校してしまう。ただでも少ない友人が減り、しかもラジコンで遊ぶ友達はクラスにはいない。
その日、家に帰るとラジコンが全く動かない。
バッテリーはフル充電で、プロポの電池も新品だし、バンドの障害も無いはず。唯一ラジコンに詳しい友人Fもいないし、ラジコン知識は無いし、頼れる人が周りにいない。
相談出来るとすれば、購入したホビーショップぐらいだろう。
早速購入した一式を持って、中の島ショッピングセンターの中二階へ行った。
店長にどうやっても動かないことを見せて説明すると、この間のラジコン博士がいないから原因が分からないらしい。だからまず預からせてくれと言った。
買って一週間も経ってないのに壊れた。
しかもいつ直るか分からないだって。家に電話が無いことを伝えると「困ったなぁー」と言われ、「じゃあ一週間後うちの店にまた来てよ」と言われた。
早く直してもらって手元にマイティフロッグが戻ってきて欲しいと願っていた。
そして、金額のことは一切聞いておらずもちろん買ったばかりだし、修理代なんて当然タダだと思っていた。
マイティフロッグは結局3万5千円
まるで人質を取られている感じで一週間ソワソワしまくりだった。
ホビーショップへ出向くと笑顔でラジコン博士と店長が待っていて「直ったよー」と言ってマイティフロッグを出して来た。
かなり昔のことだからうろ覚えなんだけど、故障していたのはサーボでつまりプロポ側。あと余計な駆動系もグリスアップしておいたとか何とか。
「えっとね、、、(電卓を出してはじく)今回はこれだけだね」(えっ?金かかるの???)
はぁ??!?!
20,000
と電卓に表示されていて、目を疑った。
俺「すみません、2千円じゃなくてですか??」
店長「なんだぁ、お金用意して来てないの?」
俺「2万円なんて家に帰ってもありません」
店長「だって君が直して欲しいって持って来たんだよ!困ったなぁ…」
俺「親に相談してみます」
店長「じゃあ、お母さんかお父さんに来てもらってよ!」
俺「わかりました。」
そうして直ったマイティフロッグ一式を持って中の島ショッピングセンターを出た俺は複雑で不安な気持ちのまま帰宅した。
俺は母が帰って来てもその事実を告げられずにその日は過ぎた。
そして明日言おう、明日言おうと思い続けて一週間が過ぎた。
怖くて中の島ショッピングセンターには近寄れなかった。2万円なんてお金逆さに降っても出てこない。母さんに言っても悩まさせるだけだ。
それ以降、その問題を忘れようと決めた。
中学生になってから、仲の良かった連中とはバラバラになってしまいNとは違うクラスに分けられてしまう。
新しいクラスで友人は1人も出来ずに、また独り仲間はずれとなる。
ある日の放課後、久しぶりに偶然外で出会った友人Nに「おう!ちゃんぺ!お前度胸あんな!ホビーショップに金払ってねーんだって?有名だぞ、お前の名前。なまら怒ってたぞ!店長、金返せって!あはは!」と言われる。
頭がカァーっと熱くなり、「(なんで?なんで?どうしょう?どうしょう?)」が頭を駆け巡る。
とりあえず母さんには話さないとと思い、夜にようやく重い口を開いた。
すると母さんは「2万円なんてお金ないよ!なんでそんな勝手なことしたのさ!」言い訳出来ずにモゴモゴしてると、母さんがマイティフロッグを持って明日ホビーショップに行くという。そしてラジコンを全部返してくると。
あー!ダメだ!マイティフロッグ返したら、お年玉が全て台無しになってしまう!これは自分で処理しないと!と思い、母さんに自分1人で再度店に行って話し合いして決着つけてくるからマイティフロッグは返さないで!と収めた。
次の日、意を決してホビーショップへ向かうとあの店長がカウンターで立っていた。
店長「ちょっと君!こっち来て!いったいどういうつもり?払わないなら一緒に交番行こうか!」と激怒で迎えられた。
俺「あ、あの、すいません!俺、お金かけてまで直したいって言いませんでしたよね?…」
店長「なに!私が騙したって言いたいのか?親連れてこいよ!今警察に電話掛けるから、待ってろ!」
黒電話の受話器を取ってダイヤルを回し始めた店長を見て、俺は反射的にその場から走り去った。
店長「おい!待てって!…」
その後、ダッシュで走って階段を駆け下り、店外へ走って、走って、しばらく走った場所にある豊中公園のベンチにヘタりと座り込んで、息を切らし頭を抱えた。
整理してよーく考える。果たして金を払わない俺が悪いのだろうか?
あの店長は直すのにいくらかかって、お金が俺に用意出来るか聞かなかった。しかも契約書も交わしてないし、請求書も作っていない。第一にマイティフロッグを購入した時の領収書さえくれなかった。断りなく、勝手に修理して2万円払えって…こんな話いくらなんでもおかし過ぎる。
これはシカトするしかない。
電話は無いから元々掛けてくることないし、住所も知らない。知っていると言えば、俺の名前だけ。あと友人Nも何故かこのことを知っているが、購入や修理についてのサインは一切していない。
母にもその後のことを聞かれたが、「2万円の請求はされなかったし、お金はいらないと言われたから安心していいから」と嘘をついた。
それから中の島ショッピングセンターは一切立ち寄らず、店長や店の関係者に鉢合わせないよう交差点でもダッシュで走って駆け抜けた。
マイティフロッグは夏、親父の家に遊びに行って駐車場で走らせた後、原因不明の故障でまた動かなくなった。
(マイティフロッグ最後の年 はしゃぐ俺たち兄弟)
翌年お年玉を合体させて俺はまたラジコンを買う。今度は京商のアルティマ。プロポも新たに新品を購入。
中学2年でクラス編成があると小学校時代の親友Kとクラスが同じになり、また2人でつるむ事となりKもラジコンにハマり2人でよく遊んだ。
中の島中学校ではクラブ活動にラジコンクラブが新たに創設されて、友人Kと一緒にラジコンクラブに入った(部活動とは別の文化クラブ)。
平岸のオーム模型でビッグウィッグの中古を買ったりして、自分で分解し、組み立ててラジコン知識を高めていった。
そしてようやく分かった。マイティフロッグの故障の原因はプロポにあったこと。
サーボを乗せ替えれば動いたが、その変な形の特殊なサーボしか取り付けられないようにサーボを載せる部分のシャシーをむりくり改造されてもいた。
こんな不良品をガキに売るなんて!
これが大人のやり口か!
ホビーショップのこの話も俺の中では、もはやネタ話となった。
“誰が払うんだよ、ばーか!”って思ったけど。
あのゴミ店長と会うのも嫌だから、その後も中の島ショッピングセンターの前では早歩きで通り過ぎていた。
中学2年の冬も合体お年玉は恒例となり、最後のラジコンとなったタミヤのグラスホッパー2を購入し、ゴールドモーターを取り付け、足回りのサスもオイルダンパーに変えて購入し取り付けたりした。
中学3年の冬に中の島ショッピングセンターの交差点を歩いた時に、あのゴミ店長が向かいの信号から歩いてくるも俺の顔が分からなかったのか?目は合ったけども声は掛けて来ず。
高校に上がって、中の島ショッピングセンターの中二階を見るとホビーショップのそのスペースはそっくりそのまま消えて無くなっていた。
オープンしてから3年立たずして閉店したホビーショップ。老舗店である平岸のオーム模型は存在している。
気がつくとラジコンも全て手放し、マイティフロッグもいつ捨てたのか記憶にも無く手元から消えていた。
そんな少年時代のラジコンの思い出…。
ラジコンといや、RCドムも最近埃を被ってるので明日綺麗にしてやるか。
最後までお読みいただきましてありがとうございます。