kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

庶民の娯楽だったパチンコはもういらないけど…懐かしんでみる

時は1992年パチンコメーカーの平和がパチンコ業界初のフルカラー液晶デジパチ「麻雀物語」をリリース。

それまでデジタルパチンコは初の液晶搭載ブラボーエクシード(平和)から、まだ主流はドット液晶だった。自分が大好きだったのはトランプエース、リバティ-Ⅲなど…。

大当たり終了後の保留玉連チャンによる出玉爆発もあり「麻雀物語」は全国的に大ヒット。一気に液晶デジタルパチンコが人気となり他各メーカーもこぞって液晶付きデジパチ開発生産・販売を開始する。

当時はパチンコの規制も緩く、翌年1993年辺りから業界の利益は右肩上がりに成長していく。のちに30兆円産業と呼ばれるまでにいった。

この頃競馬人気も高まり、公営ギャンブルはバラ色の最高潮時代へ迎えることになる。

そもそもギャンブル場は男性客ややくざな者達が集まり、若者や女性は入れないような鉄火場であった。

1980年代後半から各業界は女性客を取り込む戦略をパチンコ業界、またJRA(日本中央競馬会)は作って来ていた。この頃からギャンブル依存症は着実に進んでいたのであろう。

裏には消費者金融(サラ金・闇金融)の暗躍がある。借金漬けにし、ギャンブル依存症にさせて利益追求のサラ金業界は潤い、パチンコ業界も大儲けして全国的ににチェーン展開をしていく。

パチンコ業界、消費者金融・サラ金は幹部大卒採用という天狗状態になる。

武富士(倒産)、アコム、アイフル、ほのぼのレイク、プロミス、ディック(倒産)なとなど、高い金利(年利29.2%というグレーゾーン。またはそれ以上の暴利を貪った)で貸し付けて、多くの大中小消費者金融・サラ金業者は自殺者を生んだ。

今や消費者金融・サラ金はメガバンクの傘下に入ってまだまだ高金利で庶民に金を貸し付けている。

まあ、そんな庶民の娯楽だった「パチンコ時代」を消してしまったのは、警察の天下りとグループ大企業の経営者(朝鮮・韓国人)である。消費者金融の経営者も朝鮮・韓国人だ。

奴らは全員グル。

一か八かのギャンブルをパチンコ業界は煽りに煽りまくり、警察は規制をする。規制という名のユーザー縛りである。得をするのは巨大パチンコ業界と警察だけ。

日本人が騙されギャンブル依存症になり、金を吸いに吸い取られた。

裏では繋がってる癖して、パチンコにCR機が登場し日本レジャーカードシステム(東日本・パッキーカード/西日本・パニーカード)なんかは、見事に警察の天下りが生んだものである。そして大量のカードが偽造されて大損をしたのは、一部の中小規模のパチンコ店と一般のパチンコユーザーがツケを払った。

業界にもいた自分だが、いい経験になったものの裏事情を知りながら自身もギャンブル依存症に近いものとなり、20代30代の稼いだお金は全てと言ってもいいほど「パチンコ・スロット」に注ぎ込んだ。

今は「パチンコ・スロット」など見向きもしないし、興味もない。一時パチンコ・パチスロスマホアプリのゲーム「モバ7」と「グリパチ」にハマっていたが、アプリはアンインストールし、アカウントも爆破した。

パチンコのスマホアプリこそ時間の無駄でしかない。

そんな時間があるなら英語のアプリ「Duolingo」をやっていた方が身になる。

Duolingo - Duolingo

Duolingo

Duolingo

  • Duolingo
  • 教育
  • 無料

しかし、パチンコ時代はいい思い出もあった。それは全否定したくはない。楽しかったのも事実。それはあの、まだ庶民の娯楽だった良きパチンコ時代である。

それを少し思い出したいと思う。


1992〜1997年のパチンコ時代

はじめてパチンコ店に入ってパチンコを打って熱中したのは、羽根モノではなくデジパチだった。スロットはワイルドキャット。でもスーパープラネットまでスロットの楽しさは分からなかった。

1992年いつも打つのは、今は亡き「奥村遊機」のリバティーⅢ。

(写真はリバティーⅡ )

そして京楽のトランプエースのロングリーチにハマる。あと極(きわめ)とかね!

その後の麻雀物語だ。さらに平和はブラボーキングダムという単発打ち保留玉一個数珠連攻略法が存在した台を販売してしまう(発覚後撤去)。この頃からメーカー側の意図的な連チャン法を基盤に仕込む開発者が存在し現れ始めた。

北海道、札幌市はどこも等価交換ではない4円貸しの2円交換。北海道・札幌はこの頃「パチンコの聖地」と呼ばれる。

換金差額がある分釘調整は甘く、よくデジタルは回った。そしてよく出たし当たった。当時はデーターカウンターなどナンバーランプになかったから、いったい何回転回っているのか?何回大当たりしているのか?は自力で数えたりホール状況を把握するしかなかった。

5,000円〜10,000円あれば、十分楽しめた時代だった。でもやはりはまり台は存在し、チンピラとかガラの悪い客が店に「オラ!一日打っても当たらねーぞ!コラ!10万以上使ったぞ、コラ!不正かコラ!どうしてくれるんだコラ!サツ行くかコラ!」とホールで騒ぎ立てでかい声出すおっさんがいた。

俺は案外平台と呼ばれる羽根モノにはハマらなかったんですねぇ、その後何年か経ってから羽根モノの面白さにはまって入れ込むんですが。

当時の羽根モノは面白かったですね、サンダードラゴンとかモンローとかトキオとか。店側の釘調整が有り、釘読みも出来たし、4000発定量制で定量させたら大満足だったし、開放台で甘い台を打つことも出来たし。

後にハマった羽根モノが名機ビッグシューター、福丸、ゼウス、たぬ吉くん、お竜さん、ワニざんす、ファインプレー、パーラー星人、NEWざんす…チョッキモン、レレレにおまかせ、玉ちゃんファイト、羽根ぱちんこ仮面ライダー、数をあげればキリがない。

ドル箱は自分の足元に置いて、交換する時はドル箱を台車に乗せて景品カウンターに行って自分で玉を流す。そして輪ゴムで束ねた特殊景品を受け取って、換金所に行き現金に交換。

パチンコ店の店員は男性店員が多く、パンチパーマやリーゼント、角刈りの中年から年配の人ばかり。

女性店員と言えばケバいおばちゃんか、若くてもヤンキーっぽい女性店員。

懐かしいですよ。

サンルート西岡店ってパチ屋に、高校生なのに通ってましたよね。客に「あいつガキだろ?」ってチクられたりして、ある時「お客さん、年齢いくつ?」と店員聞かれたことがあったけど、2500発入り山盛りのドル箱を8箱くらい積んでたんで「ハタチだけど!」と堂々と言ってやりましたが。

生まれ干支を聞く店員もいました、頭に叩き込んでいたので余裕でした。昔は身分証明書見せろまで言われなかったですから。

そして、あっという間に高校を卒業して愛知県豊田市へ。

パチンコのメッカ愛知県名古屋ですよ!

燃えないはずがない!萌えないはずが!いや当時は萌えパチなんてなかったんだって!

さらに加速していくパチンコへの戻ってこない投資。国がやってる年金を使った無駄な公的年金運用損と同じことを…。昨年2018年10月~12月期で14兆8039億円の運用損!(年金積立金管理運用独立行政法人が2019年2月1日に発表)官僚って馬鹿じゃないの?ギャンブルでしょ。


時は1993年、毎日通いました…高岡寮の裏側にあったパーラー松屋。

デジパチはダービー物語、綱取物語、春一番、ピカイチ天国など懐かしい。本州のデジパチは札幌に無かった「ラッキーナンバー制」があって大当たりしてもラッキーナンバーで大当たりしないと、持ち玉遊戯が出来なくて一度交換しないといけない。また再度遊戯するには現金投資になる。

また、デジパチ以外に変わりもの羽根物「ゴリコップ」やピンボールなどの権利モノの面白さも知り、さらにはアレパチ「エキサイト」「アレジン」の朝一モーニングを狙いに開店前から並ぶようになった。札幌は開店時刻は9:00なんだけど、本州は10:00なんですよ。

そしてはじめてバカはまりした、山佐のスロット「スーパープラネット」リーチ目がたくさんあってリーチ目が落ちている台を拾ったりした。

その後にリリースされたのが名機「ニューパルサー」。

どのくらい打ったことやら。パチスロと言えばどこのパチ屋に入ってもニューパルしかなかった。あとは数台ひっそりとユニバーサルのコンチネンタルとか、高砂の台ドリームセブンとかね。

そうして名古屋まで遠征しては休日はパチンコ三昧だった。趣味はパチンコ・麻雀。ギャンブルの日々。

あー、良かった。金を使いに使ったけど。

あの頃三共のフィーバーキングⅡ がデビューした。

愛知県にはA-PANってパチンコチェーン店があって、「ダイナマイト」にガッツリハマった。

あの単純さがいい!ひたすら釘と釘の間に玉を通して、やっと一回転デジタルを回す。そして3か7でデジタルを当てる。

もうそこからは爆連モード。10連20連で足元には2500発入りのドル箱10箱、20箱。

そしてアレンジマンへ。万券を全部500円玉に両替して、ハンドル手元に500円玉をタワーにしてひたすら玉貸し機に500円玉を投入。当たるまで左のスルーチャッカーに玉を通す、ひたすらデジタルを見つめる。

キュイン、キュインとリーチがかかり始めたら当たりは近い。一度当たれば爆連へ。

足元にはドル箱が20箱、30箱、40箱、50箱.......

そして時代は異常な爆発連チャン機を生み出していった。ギャンブル依存症だ。

三洋の海物語は典型的なギャンブル依存症機であった。

なんて、少し昔懐かしのパチンコを思い出してみたが、ギャンブル程意味の無いものは無い。

特にパチンコ・パチスロは運で勝つか?負けるか?なんだから金を捨てに行くようなものだ。昔は攻略法や釘を見たり、設定判別したりすることが出来たから、努力次第で勝つことができた。しかし今やそこまでしてパチンコ店に行く人とは?負けにいきたいのではないだろうか?


さて、それでもキャラクターとして大好きなスロットがある。

それは北電子の「ジャグラー」

ジャグラーの初代ツノっち。リプレイ役でツノっちが3つ揃うともう一度回すことができる。ツノっちはサイで要は「再プレイ」と語呂合わせのキャラクターなんです。そして、なんといっても【GOGO!】ランプが光れば大当たりといういたって単純でクセ(中毒性)になるゲーム性。

初代ジャグラーのGOGO!ランプの光り方は、第三ボタンを停止させて指を離すとGOGO!ランプの部分の内部が豆電球になっていて、優しくぺか~っと光る。その優しい光り方と言ったらたまらない!

その後GOGO!ランプの光り方、大当たり告知は様々なパターンを生み出していく。レバーを叩いた時の先告知とか、GOGO!ランプが光ると同時に「ガコッ!」と大きな音が鳴る告知とか、最近はプレミア告知がたくさんあるジャグラー。

もう一度機会があれば、ホールでGOGO!ランプを光らせてみたいけど・・・ニンテンドーDSソフトの「ジャグラーDS」でたまに遊ぶのでいいかな?

好きだったから今でもジャグラーアイテムは持ってます。パンジ専用ツノっち座布団、ジャグラーペカりアクセサリー2つ、小さいツノっち、ジャグラーパワーストーン。

パチンコの存在自体絶対的否定はしないけど、ギャンブル依存症の問題は根深いです。今のパチンコ業界は変わっていくべきだと思いますね。

最後までお読みいただきありがとうございます。