kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

2013年6月17日のkEMo ciTy からの脱出を振り返って

過去記事を振り返って…。

旧ブログはてなダイアリー「kEMo ciTy からの脱出 俺日記」から6年前の今日、2013年6月17日の出来事を回顧してみます。

6月4日から突然右胸が痛み出して、6年前の母の胃癌を思い出した。こう振り返ると「6」という数字が常に登場する。母と住んでいた公団住宅も6階、彼女の誕生日も6月。数字の不思議です。

先日6月14日(金)に不安を抱えながら初めての内視鏡検査をした。母もあの時初めてだっただろう内視鏡検査。

この日2013年6月17日は生検結果を一緒に聞きに行った時に医者から告知された日。

2013年の5月29日を振り返るとまだブロン錠を飲んでいる日記を書いている。不思議に現在と同じく胸が痛いと書いてある。


警告、警告、警告!

2013年5月29日

調子こきすぎかもな…

胸が痛い。

17で8追った16時半頃にそれは来た。

吐き気チャンスだ。

いつもはじっと耐えるか、身体動かして他の事を考える。

最悪吐く、吐けないんだが。

外の空気を吸ったほうがいいと勧められたので、涼むと吐き気はおさまった。

しかししばらくして胸病みが止まらない。

弁当を買ったものの食べれないくらいの、じわじわ痛み。

連携して胃腸あたりも痛みだす。

マジでやめよ、ブロン。


追記・結局今日もデパス2mm。 なんだかんだで毎日か! ブロンやめれんならな、デパス。 でも眠くなるからなー

しかしデパスのおかげ?ずっと途中目が覚めずに眠れる。

ブロン錠を本気でやめると決意した日。

6月7日、あまりにも大きくなったお腹の大きさに、便秘ではないと確信した私は母を説得して、母の生まれた病院、JR札幌病院(旧鉄道病院)へ連れていくことになった。

内科へ行って診察後、お腹に溜まっているのは「腹水」で可能性のある場所は肝臓か、心臓、もしくは子宮筋腫による腹水、そして最悪は胃癌ということになり、母は内視鏡検査を緊急で受けることになった。

できれば心臓疾患からくる腹水であれば良かったと念じて助けて下さい、神様。と祈った日だった。

来る時が来た!

2013年6月7日

突然やってくるものだ、前もって予定してくんないもんだ。

確かにおかしかった、いつ病気になってもおかしくない。

生活もそうだし年齢が年齢だしね、弟がおかしくないなった時、母の姿を想像した。

いつか来るんだって。

とことん病院嫌いで、まぁあちこち悪くなって白内障やったり、入れ歯を交換したり。

全然大きな病気はなかった元気な人だ。

多分兄弟2人がかなりのストレスを何十年に渡ってかけてきた結果だろう。

自分を責めても意味はないし、原因より結果しかわからない。

まさか癌に犯されてるとは…

昨日から自分がまるで癌になったかのように、異常な心配をしている。

ネットで情報集めても、これだ!ってのがヒットしないし、ただ不安が増強されるだけ。

母本人が医師から言われた、恐らく重い癌だと。

それでも気落ちなんかせず、ペチャクチャ1人であーだこーだ楽しく話してる。 本当に癌なんだろうか?

嘘であって欲しい!!

なんでも腹水があって、その中に胃がプカプカ浮いてる様子。で、腹水の原因が胃の幽門部が狭まってる事、それが腫瘍じゃないか?だ。

しばらくぼーぜんとして、血の気が引いた。

確かに何年も前から便秘気味で何回か救急車で運ばれてる。

それとみずおちがムカムカ、チクチクっていってた。

眠れない、眠れない、それが去年前まで続いて。 病院に行かせるべきだった、でもまさか胃とは!

当時の俺でも全く考えてなかった。

最近4月あたりからお腹がぽっこりしてきた、贅肉だ、贅肉だ、言うし、便秘もまた始まったって言うから、また重度の便秘か?位にしか思ってなかった。

それとここ最近の食事の激減。食べれないって言われて、まぁ年相応かな?位に思って。

しかもゲップ。 とくに回数が多くなって来た。あと異常な眠気。すぐ寝れるようになった!って喜んでた勘違い…

とことん悔やむ…なんでもっと早く連れてってやれなかったか!!

悔しくて悔しくて吐き気がする!

それ以外は元気そのもの。 ただ歩くのに腹水が重いらしく、疲れやすい。

便も普通の色の細身だが、出てる。

即入院を断り準備するために猶予期間をもうけた。月曜日なんだが俺としてはすぐ入院して欲しかった、詳しい病状知りたいし。

ネットで調べまくると以上の症状から、末期癌と判断される。

血液検査のCRP値も普通でない高さだし。

知りすぎんのも酷だ、性格上隠しきれないし、本人が病状知ってていいのはいいけど、強い人だから俺の前だけかもな、明るくしてるの。俺は本人の前で泣くまい!と思ってたのに、昔の思い出ポロっと話し出したら何十年かぶりに号泣した!

母の前で。

「そんな事で悲しむんじゃないよ〜」 「でも泣きたかったら泣きなさいーって。」

強い、母は強い。

「もう私も死んでいい年でしょ〜でもまだね〜死にたくないわ〜そりゃ〜」

「大丈夫だーケセラセラだー」

もうね、俺が胃癌じゃないか?ってくらい、なんか胃のあたりがモヤモヤ、キュンキュンして不安で不安で堪らない! なんか水の中で溺れて、息苦しい感覚がずーっと続いてる。

母に考えるな、言われたけどいても立ってもいられない。

相談したところで励まされるだけでね、解決法は自分の気を強く持つしかないんだ! 母の様に!

言い訳がましくブロンもやめられねぇ俺が… どうやったら、この不安な気持ちが収まるのかね〜 癌ってのがこんなに恐ろしい事だとは。 そりゃ早期は助かるかもしんない、うちの母さんは無理っぽい。

入院してしまったら一気に行く可能性がある、と勝手に考えてる。

自分の昔からの癖でいっつも最悪なケースを想定する、で大した事なく杞憂に終わる。

その繰り返しで来てた。

今回ばかりは外れそうだ、マジで的中するだろう。 部屋でのんびりしてればいいのに人に会うといって外出した。

とても心配だ。

しかし色々見回って、化学療法、やらずに在宅と緩和ケアにするか?

母は知識が無いので先生に任せる、まな板の鯉だ!ってるけど。

多分俺の提案は反対する。抗がん剤で延命するだけだろう?ずっと病院で。 苦しむ事例しか見当たらない。

そんな事本人に言っても辛いだけだ。

まず胃カメラで生検、その他精密検査だけ受けてはっきりしてもらおう!

それからだ!

俺としては病院に入ったまま弱って欲しくない。

世話なんてこうなりゃ屁のかっぱだ!

何が来たって驚かないぞ! 母と最後まで一緒にいるんだ!

本当、こんな辛くなるんだったら結婚して家庭作って、子供作っておくべきだった…

後悔先に立たず!

自業自得!

しかし改めて今思う、お母さんみたく明るくて、誰にでも話しかけるような心の温かい人、自分の母親ながら、なかなかいない!

ただ、結婚運で相手も悪かったし、息子2人もくそ父親そっくりで心労のかけっぱなし。

親孝行も出来なかったし、気の毒な人生歩んだ人だって思う。

情けない!!自分のコノヤロウが情けない!!

消息不明の父親、恐らくいなくなってる気がする。調べもしなかったし、それはそれで息子として、最低行為なのかも知れん。

が、憎んでたからなー 母が苦しんで苦しめられてきたから、俺の記憶に父親はいない。 だからたとえ死んでたとしても悲しくもない。

それを恨んでお母さんを連れてくつもりか!?

逆に生きてたとしたら、クソ親父より先に逝きそうな母がかわいそうで、かわいそうで。

また1人でさっき泣いた。

お母さん本当に居なくなったら、どうなるんだろう? まともに仕事して生活出来るのか?

まぁそんな人俺だけじゃない、ごまんといる。

だが孤独だ。

あと精密検査まで明日と明後日、有意義に過ごしたい。 それと並行してやらなければならない事もある。

身体が頭が爆発しそうだ!

そして、6月17日に内科の担当医師から癌告知を受けることになった。癌だと思ってた。昔から最悪の想定を考えているとそれが災い転じて福となすという考え方で今までクリアしてきた。だから胃癌だろうな。それも末期の、と考えてその場合はこれから先どう動いたら良いか?色々想定していたのである。

しかし、それは叶わなかった。

想定内の胃癌報告

2013年6月17日

昨日母が一時帰宅。

結果は胃癌。

想定内であったので、衝撃は薄い。 あとは病院と医師に任せるしかない。

医師と直接話をしてはいないのだが、とりあえず手術は出来ない、抗がん剤治療並行腹水抜き。

母を心配させる事なく、自分の生活をしっかり生きる事が大切。

準備は出来た、あとは行動あるのみ。

と短い文章で終えているが、「スキルス胃癌」と聞いて部屋で泣いた。腹水で高齢、手術は出来ない。

その後抗がん剤TS-1治療に入ったがどんどん衰弱して、食事療法に切り替えて「カバノアナタケ茶」を試したり、温泉へ行って体温を上げたりした。マッサージとかもしたが、闘病生活はあっという間に過ぎて行った。

6月30日の抗がん剤11日目の食事。食事は私が本やネットで調べて癌が少しでも良くなる食事を考えて、毎日作っていた。

発芽玄米入りご飯、ニラ玉、タラの塩糀白菜煮、野菜サラダ、野菜スープ(人参ピーマン舞茸しめじ大根ニンニク生姜ブロッコリー玉ねぎキャベツ)。

母は生野菜、発芽玄米入りご飯は無しでお粥。

極力減塩。

母の調子は平行。

逆に良くなってんじゃないか?位。

そして時は過ぎていき…12月6日に今年とリンクするような記事を書いていた。


今年は激動の年

2013年12月6日

まず、弟が帰ってくる。

そして弟が病気発症、

そして自分も病気発症と仕事がらみでもうめちゃくちゃ。

そして母が末期胃癌。

行ったことない神社に通う。

13年ほかしてた歯医者通院。

不安で押し潰される毎日。

金の出費は莫大。

今年は平成31年から令和元年に変わり、自分の周辺もガラッと変わることになる。

やはり運命は偶然ではなく必然である。

9月30日にこの現在の自宅を引っ越すことになり、新しい仕事に就くことにもなるだろうし、何しろ札幌から函館に移住するという大きな動きが待っている。

あれから6年経った、今日は6月17日17:31で射手座満月に入る。パワーウィッシュを書く日だ。

そして謎の右胸脇腹痛の原因を突き止める為に、今日は整形外科へ朝一で受診する。診察時間はAM9:09。

痛みはあるんですが病気でもなんでもないと思っています。母のことを思い出したりしたことで、自分の身体のことを知るためにもしっかり調べてもらおうと思います。

最後までお読みいただきましてありがとうございます。