kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

GLASSES BRON CRUSHUERRRR

今日の朝、メガネがいきなりクラッシュした。

朝起きて普通にメガネをかけて、仕事行く用意をしながら動いてたら左側のレンズが自然に落ちた。

左目がハーデスのクラッシュのようにノイズが走った。

よく見ると普通にメガネのプラスチック部の疲労と見られる。

右の壊れた柄は、みきっぺ宅に居た時に自分の足で踏んで折れたもので、これは接着剤で何とか付いたので買い換えず使用し続けていた。買い換えるきっかけがなかなかメガネってないんすよ。出費だし。

去年の3月から右目の飛蚊症が酷く、やがて気にならなくなると言われて1年半が過ぎ、黒いものは大きくなるばかり。これは眼科へ行けとのお知らせだろうか。メガネを買い換えるだけではなく、眼科で眼底検査をしてからメガネを買いに行くことにしました。

通い中の西尾皮膚科と同じ白石メディカルビルにある、田川眼科にした。

深夜診療も行っているということだし、近いし。


メガネ、メガネ、メガネ、メガネ。

メガネが無いと生活ができないくらいの視力の私ですが、メガネをかけ始めたのは小学5年生からで小学4年生の2学期の視力検査では、1.5の視力を誇っていたのに、なぜか小5のいつかの視力検査で突然0.5以下と急激に下がっていた。

なーんか先生が書く黒板のチョークの文字が見えないなぁ~と思ってたら、目が近視と乱視になっていた。当時は目が悪くなっていたことにショックを受けましたね。

私の子供の頃は眼鏡はとても高価なものでした。うちはメガネを買えるような家庭じゃなかったので、裸眼で我慢して目を細めて(目を細めることにより少し見える)学校に通ってました。

しかしある時、叔母(母の妹)が5万円のメガネを「富士メガネ」で買ってくれて、その日から僕の目から通した世界は一変した。こんなにも目が悪かったのか...と実感した、

本も読まない、ファミコンも持ってない、目が悪くなった原因が分からない。弟も同じように一気に視力が落ちたので先天的遺伝問題かと思ってますね。

僕は小学校時代野球をやっていて一度顔面にデッドボールを受けた。悪くなる原因はそれくらいしか浮かばない。あとは漫画か、テレビだろうか?うん、テレビしかない!


明らかにブロンの影響はある

現在の視力は最後に測った「0.01以下」相当の悪さであります。昨日の記事でブロンのことを書きましたが、過去今まで約20年間乱用していました。

www.kemoxxxxx.net

「ブロンを乱用してるとやがて目にくる」と医学的にもハッキリわかっていたんですが、使用を止められませんでした。

断薬してから、41歳を迎えた時にあちこちに異常を感じるようになりました。薬をやめ切ったのに、何故?!その先鋒が「目」でした。

左目には「飛蚊症」が発生したのは38歳頃。今もありますが、透明な虫のようで気になりません。右目に発生した黒い点も、そのうち気になくなると言っていたものが、今では余計に気になるほどデカい。

ブロンを乱用し、使い続けると常に身体中の血圧が上がるので、眼圧が高くなります。それが高い状態を維持しつづけると、網膜はやられて細い血管が破れていきます。そしてそれが進むと網膜剥離になり、緑内障へと進みます。

私はそれを恐れていたんですね。

自分は糖尿病予備軍だと思います。なぜなら「目」の異常から、「歯」の異常。場所は犬歯。虫歯でも無いのに神経が痛い。歯医者をハシゴしたが原因不明で、痛みを取るなら「抜歯」しかないと言われた。抜いてないが、今でも違和感がある。

それと左足の痺れ、これは今でも続いている。そして謎の蕁麻疹。多少治まったが、先生からは様子を見るようにとまだ診察を受けに通っている。

おそらくは身体全体を総合病院で精密検査で診てもらっても原因不明か、もしくは何かしらの「病名」をつけられて「病気」にさせられるだろう。

だってiPhone7plusのインカメラの故障の原因だって、iPhone専門家は分からなかったんだから。


過去の私の裸眼生活

目に関しては、母が末期の胃がんで亡くなる数年前に、重度の網膜剥離で手術をした。医者からは「なぜもっと早く来なかったのか?」と言われたと聴き、とても心配をしました。遅かったら失明していたそうです。

目をやられたら、もうかなり不自由な生活をしいられますよね。いざそうなった時の覚悟はしていますが...。だから病気に対する不安は考えないようにしています。

小学5年から21歳まで眼鏡生活の日々。メガネをかけてることにコンプレックスを抱いていた。なぜならメガネはダサいから、周りから馬鹿にされるのだ。

でもメガネが無いと周りが見えない。見えないと仕事もおぼつかない。だからメガネ無しでは辛い。

22歳のある日スノーボードを滑りにいった。その時は仕事の出張中で何人かは自分のボードとブーツを持ってきていたが、自分はボードは持ってきていなくてレンタルすることに。

そしてレンタルはアルペンの競技用のハードタイプのブーツしかなかった。ソフトタイプで滑っていて、ハードに慣れていない俺は見事に高速滑走中に転倒して、麓までダルマのように転げ落ちていった。

その時にメガネが吹っ飛んでいって失くしてしまった!黒縁メガネだったが、ナイターだったので探し回っても、とうとう見つからず...。


次の日から同僚に「カトちゃんメガネない方がいいんでない?」と言われてから、しばらく裸眼で慣らしてみるか?と決めた。

周りがボヤけて見えることで、あまり人の目を気にしなくなって今までの自分とはガラッと変わって行動派になり、なんとそのすぐ直後に人生初めての彼女まで出来た。メガネが無いと彼女も出来てしまうのか?!と裸眼生活を満喫した。もうメガネなんかしないぞ!と。

以前はメガネコンプレックスもあり、非常に神経質な性格だった為に周りの目ばかり気にして、積極的な行動も苦手で自分の考えや主張が出来ずにいた。

裸眼生活していて、目は悪くなっても良くならないはずなんだけど、裸眼生活が普通になり、そこで初めてのブロン錠と出会いブロン中毒になる。ブロンを飲むことでぼんやりしていた目がカッと見開かれ、目が良くなったような錯覚に陥り仕事もバリバリできた。

その頃の仕事と言えば某グループ店パチ屋の班長だ。班長といってもほとんど副主任の仕事だった。従業員のシフトは組むし、カウンターの棚卸しのチェックまでやり、台帳の計算もし、朝礼をし、開店時の一千万両替金を両替機に入れる、従業員の休憩を入れて、煽りマイクを入れて、ホールを巡り、終礼をし、閉店後の売上金の計算・パッキーカードの枚数確認、金庫管理、紙幣計数機で札束を作り換金所へ金を運ぶ、ジュース・冷食自販機の商品補給、従業員の苦情係、事務所番、パチンコ・スロットの割の報告、閉店後のスロットの設定打ちと「そろそろお前もパチンコ台(CR)の釘調整の練習もやれや」とクソ店長に言われ...まぁ、目が悪くて(0.01以下)こんなに仕事をよくこなしてたと今でも凄かったな、と思う。

これはブロンのおかげだと思ってる。凄くいい経験になった。感謝してる。

そして、クソ店長に言われた「おい!加⚫班長!お前目付き悪いな、嫌な顔してんな。目悪いのか?お客さんから嫌がられるぞ、眼鏡買う金ないのか?」

パチ屋の話をすると大きく脱線するのでここでやめにしますが、クソ店長のせいで私はパチ屋とおさらばすることになります。ありがとう、そしてさようなら。


今日の診断結果は一体???

さて、仕事終わってから田川眼科に行ってきました。

あまり眼科へ行く経験がないので、なんか視力検査したり、点眼したりで、たらい回しな感じで...最後に呼ばれて先生(60代くらい男性)の問診受けて、眼底検査をやることに...

母が眼底検査が嫌だ、嫌だ、言ってたから、うーん受けたくないなぁ…でも診てもらうしかないか!

初の眼底検査、超気持ち悪かったです。

自分の目の網膜?血管が見えるんですよ。特に右目を何度も診ていたので気になります。

明日、また来て欲しいとのことで詳しい結果がわかると思います。その診断結果後、自分に合う眼鏡を作ってくれるそうです。

それまでは裸眼生活で我慢します💧


☆ここまでお読みくださいましてありがとうございます。


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