「機動戦士Zガンダム」クワトロ・バジーナについて
公開日:2017年09月30日 更新日:2019年02月27日
ゼータガンダム中盤ではエゥーゴを率いる現場トップの指揮官のクワトロ・バジーナ大尉です。
正体シャア・アズナブル
1年戦争末期、シャアのジオングはアムロのガンダムに敗れる。そしてア・バオア・クー内でアムロとの白兵戦で対決、最後はセイラに仲裁されてザンジバルで逃亡しようとする、ザビ家の長女キシリアを抹殺する。
戦果の渦に巻き込まれながらもシャアはノーマルスーツのまま、ア・バオア・クーからグワダンで奇跡の脱出後、ハマーン、ミネバと共に地球圏から遠く離れた小惑星アクシズに身を寄せていた。
シャアは連邦の軍籍を取得して、機を見て反地球連邦軍エゥーゴのブレックス准将と合流した。
まず主力巡洋艦であるアーガマをエゥーゴが自前で作り、クワトロが主導して作ったと思われる「γガンダム」と言われる、「リックディアス」をエゥーゴの最新機としてデビューさせた。
リックディアスはガンダムMk-Ⅱに劣らない性能をもつ機体ですよね。特にシャア専用と呼ばれるものはメカニカル的にどこかいじっている気がしてなりません。
当時ティターンズの主力量産MSハイザックと比べると性能はおろか、遥かに凌ぐ機動性ですね。
それらリック・ディアスの技術なシャアがアクシズから持ち込み主導して行われた。
勿論エゥーゴの母体はアナハイムエレクトニクスのメラニー会長をバックに率いる、スペースノイドの集団ななります。
つまりアースノイドとスペースノイドの対決の図式に、元々地球に住むエリート達を許せないシャアがスペースノイド側についただけであります。
クワトロは仲間に正体を怪しまれて、
クワトロ「ジオンのシャアが何故、反地球連邦軍に手を貸すのです?」と言った。
父ジオンの意思を継いで政治家になるより、戦いの中に身を置きたがっていたシャア。
しかし政治的な行動もとった。ブレックス准将と常にティターンズの動きを見るため、地球に同行したりした。
ブレックス准将亡き後は、エゥーゴの道化となりクワトロ名乗るシャアは自己矛盾を抱えた自身と葛藤し続けた。
ゼータの最終回では、辛うじて生き残った百式のコックピットでカミーユの錯乱状態を目の当たりにしたのだった。
カミーユはシャアが見出したニュータイプ候補生であり、人類が覚醒するニュータイプへの希望の光でもあったのです。
クワトロ「いくら希望を見出しても地球の重力に魂を引かれた者達のエゴに押し潰され、結局はこんな悲しみだけ繰り返されてゆく…」
「僕もその希望を見つけます」と言ったカミーユの言葉を思い出し、ニュータイプの限界と危うさ、無力さを味わったのではないでしょうか。
とりわけゼータでのシャアの情けなさと言ったらありません。一年戦争開戦前のルウム戦役の活躍を見たファンはグリプス戦役で見る影もありませんでした。
後半戦エゥーゴを統括していたものの、モビルスーツ戦に関してはカミーユの力に頼ったところが多かったです。
あの1年戦争で恐れられた、赤い彗星のオーラはすっかり消えてしまい、とかくモビルスーツ戦でのシャアには歯痒さが拭えなかったですなぁ。
クワトロの失態
▪オールドタイプに負けそうになる。
▪一点物のメガ・バズーカ・ランチャーを使用する
もことごとく外す。
▪カミーユに殴られる。
▪ヤザンに地球に落とされ死にかける。
▪ハマーンに頭を下げさせられる。
▪レコアを撃破出来ず、互角の戦いを強いられる。
▪ 百式はカッコがいいが、
エゥーゴはモデルチェンジせず、強力なライバル
の新型に追い詰められ、百式はボロボロ。
アムロに対して君は何故宇宙へ来ないのだ?
「籠の中の鳥は鑑賞される道具でしかない」
と吐き捨てたシャアこそ自由なれど、自らも飛ぶ方向を見失っている鳥だったのですな。
クワトロのダカール演説
しかし、グリプス戦役でのシャアの見どころはやはり、ダカール演説ですね。
演説内容の要点をまとめます。
①自分はかつて、シャア・アズナブルと呼ばれていた男だ。
②ジオン・ダイクンの子として自分はザビ家とは違った志を受け継いでいる。
③ティターンズは地球を食い潰そうとしている。
④人類同士が戦い、地球を汚染してはならない。
⑤人類は地球という揺りかごから巣立ち、宇宙で自立すべき時が来た。
①〜④だけを聞くとエゥーゴは正義を唱える組織であり、ティターンズが如何に悪の枢軸なのかを説いている。
平和主義者の発言でとても聞こえが良いです。
しかし一番重要なところが⑤である。
単に地球人は地球を汚しているから、宇宙へ旅立てとの彼の主張であります。
地球に住む人から言わせれば、ある種の過激主義ではないだろうか?
まかり間違えば、言ってることがティターンズの地球人至上主義と変わらないのであります。
それは一見、スペースノイドとアースノイドの孤立主義を訴えているようにも聞こえますが、シャアの演説を穿った目で見ると完全平和主義の様にも聞こえます。
その場合は無益な争いを生む、人類そのものを抹殺していくことに発展するほか無いです。
これは完全にエゥーゴの道化の枠を越えた、シャアの為の正義の宣言だと思うのです。
だから正義の人は怖い。
ゼータで一瞬重なりあったアムロとの、二つの正義は違いを深め次なる激突 〜逆襲のシャア〜 へと移ることになります。
次回のシャアの考察は「クワトロ・バジーナ 百式」にて・・・👇
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