横山光輝三国志 裏切り者ベスト5
横山光輝三国志シリーズでの忠誠度・信頼度ゼロ、プライド100%の裏切った武将を独断と偏見で5人選ばせていただきました。
横山光輝三国志は以前コミックで50巻持っていたのですが、置くスペースと持ち運びが不便な為、静岡滞在時に処分して、今はニンテンドーDSソフトのゲーミックスシリーズ5巻分(コミック50巻分)を大切に所持しております。
メルカリでレトロゲームは大量断捨利して売却しましたが、この横山光輝三国志シリーズは絶対に手放さないでしょう。
さてと·····ニンテンドーDSLiteのスイッチをONにします。
第5位 呂布 奉先
三国志において裏切り者の代名詞と言えば、この男は絶対に外せないが、あまりに有名過ぎてつまらないので5位としました。
忠誠度・信用性においては本当に全くのゼロだと思います。義理と人情のかけらも無いに等しいです。
上司でも部下でも嫌ですね、マジで。
でもこういうタイプは単純なので、物や金と女を与えて飼い殺しにして味方にすればかなり心強いですが、少しでもプライドを損ねたり、コミュニケーションが上手く取れずに呂布に誤解をされただけで、殺されかねませんのでやはり味方にも用心棒にも出来ません。
しかし三国志で最も華麗な存在が呂布であるのは間違いがありません。
呂布が数々の裏切りから捨てては殺していった友人や主君達。部下の忠言を聞かずに、女や酒の為に自ら身を滅ぼしていった孤独に生きる姿がたくましく美しい。
そんな呂布の主君への裏切りっぷりを魅せるワンシーンを見てみましょう。
「董卓暗殺計画 」第一巻 第4巻1019コマより
貂蝉の虜になった呂布は王允にそそのかされ、恩義を受けた主君董卓を討つ覚悟を決める。帝の位を譲られると聞いた董卓は身辺警護に呂布を従えて、王允の待つ宮廷へ呂布と共に向かう。
第4位 法正 孝直
4位には意外な人物を挙げたい。
それは法正である。
何故?と思われるだろうが、元々蜀となった益州は劉璋が牧を務めていた。しかし事実上その土地を横取りしたのが劉備である。
蜀の地を劉備に任せようと一番初めに考え動いたのが、劉璋の配下の張松であるが、劉璋側の蜀から見て最大の戦犯が法正であると言えよう。
法正は劉備が入蜀するにあたり大事なキーマンだった。
それゆえ劉備が蜀を平定してから法正は軍師に就くと短い間であったが、その才能を発揮し活躍の場を作った。
法正の先祖は太守を務めるまでの代々だったが、法正の代では落ち目で彼自身には才覚があったものの劉璋の下では官吏にも付けず不遇の時を送ったよう。
そんな法正の主君への裏切りっぷりを魅せるワンシーンを選んでみます。
「進軍」第四巻第1巻 1645コマより
漢中の張魯が益州を伺い侵略の準備を整えていた。劉璋とその配下達は相談し、劉備に援軍を求めるため張松は法正を指名し、劉璋は法正を劉備の元へ使者として派遣する。
劉備らの前で法正は主君 劉璋からの使者の立場でこう言い放った。
第3位 劉禅 公嗣
これまでは主君に対しての裏切りの罪だったが、こやつと来たら汗も血も流さずに帝の地位につきながら、蜀の民衆への裏切り、蜀の配下武将、蜀の家臣、蜀の皇帝父劉備への卑劣な裏切り行為を最後に見せつけた。
そんな愚帝振り、劉禅の阿呆振りを魅せる、父劉備ら五虎将軍達への裏切りっぷりのワンシーンです。
ちなみに阿呆の語源の一説の一つとして劉禅の幼名の「阿斗」のイメージに因んだとも言われてますが、定かではありません(他に始皇帝の阿房宮から取られたという説もあります)。
「劉諶憤死」第五巻 第5巻1509コマより
魏の将軍 鄧艾が綿竹関まで落としたことを知り、劉禅は鄧艾に降ろうとする。そこに劉禅の第五子劉諶(りゅうしん)が父劉禅に対して降伏に反対するが·····
第2位 孟達 子慶
こやつが上庸にいなければ関羽は死ななかっただろう。
孟達は元は劉璋の配下だったが、劉備が益州を治めて蜀を作ると玄徳は孟達を蜀の大将につけて、魏蜀の前線である上庸の位置に置くなど、玄徳は孟達を軽視していた風がある。
しかしこの裏切り者を関羽の近くに置くのが禍となってしまった。
孟達の被害を受けたのは関羽や関平だけでは無い。二次被害的なものを食らったのが劉封だった。
劉封は玄徳の養子であり、関羽は義理の叔父に当たる。劉封はその場限りの流されやすい性格だったのか、麦城への援軍を孟達に相談すると「援軍?なりませぬ」の言葉を真に受けて援軍は送らなかった。
その後関羽を失ってから、明らかに蜀の旗色は落ちた。
さらにこの孟達、関羽の一件があり魏に降ったのち、曹丕に登用され西城・房陵・上庸の3つ合わせた領土の太守に就くも、曹丕が亡くなると肩身が狭くなった魏での居心地が悪くなり、孔明に連絡を取って再度蜀に戻ろうとする裏切りをやってみせた。
その場その場で最もらしい理由をつけて、己の立場しか考えなかった孟達にあの死に方は相応しい。
そんな孟達の主君への裏切りっぷりを魅せるワンシーンです。
「裏切り」第五巻 第1巻1514コマより
関羽の援軍を送らず見殺しにした、劉封と孟達に示しをつけるべく処罰を考えていた玄徳。それを知った親友の彭義は使者を使って孟達に謀反の手紙を送るが、馬超に見つかり処刑される。それを知った孟達は·····。
第1位 魏延 文長
呂布は無双のごとき腕っぷしが強いが、魏延も負けず劣らず、蜀最後の最強武人と言ってもおかしくない。
三国志を読んで初めて名前を聞いた時、魏延?魏って付くと魏の人?魏は曹操から始まった大国だったけど、人の名前で付く魏って付くと何か忠誠度が低い気がするなぁ、なんて。
それはなんていっても魏延様のせいである。
魏延の乱を収めた一人の蜀の文官・楊儀も蒋琬が孔明の後の丞相に付くと、不満から魏に走ることを口走ったり、こやつも裏切り者感が強いが、プライドと変な意地っぱりの強さは魏延大将の足元にも及ばない。
蜀末期のヒーローは間違いなく魏延である。姜維は若過ぎたし、出てくるのが遅すぎた。10年、いや5年早ければ魏延なんか屁でもなかったろうに。
そんな三国志イチ裏切り野郎の命名が似合う魏延だが、今まで登場した4人と比べれば義理はかなり厚い人間だと言える。黄忠を救ったのは正しいことだし、韓玄を討ったことも悪くない。
それが分かるのは、玄徳存命中の忠誠心は命を救って貰った玄徳への恩からくるものと、部下(兵)を思いやる心があったこと。
だが孔明の見解は違った。
そんな魏延の主君への裏切り者っぷりを魅せるワンシーンです。
「黄忠の矢」第三巻 第4巻1489コマより
関羽が長沙を攻めた時、黄忠は関羽と一騎討ちするも関羽のフェアな戦い方に感銘を受ける。そんな戦い方が気に入らなかった長沙の太守 韓玄は功臣の黄忠を処刑しようとした時、黄忠を助ける魏延が現れたが·····。
こうして私が選んだ5人は4人が蜀の人間でありました。また法正と孟達は自らの主君に玄徳を選び、仕えた。魏延もまた孔明に処刑されそうになるところを玄徳に救われた。
「我が君 私はこの男を召し抱えるのは反対でございます。いやむしろ処刑すべきでございます。魏延は荊州を逃げて、韓玄に召し抱えられた男でございます。一日でも禄を貰えば家来です。それがどさくさに紛れて主人を殺し、我が君に仕えようとしています。これは都合によって主を変えるということです。こんなことを真似する者が現れぬようにする為にも彼は処刑すべきです」
こんなことを劉備の目の前で言われていれば、魏延も孔明に対して反感を持ってもおかしくない。むしろ長沙の民と黄忠を救った魏延にとっては屈辱であり、単なる言いがかりである。
そもそも孔明は三度も裏切る孟達(1度目は劉璋、2度目は劉備、3度目は曹叡)を信用し内応していて、魏延を“反骨の相”とか言って徹底して嫌うのはもう個人的な恨みか、好き嫌いでしかない。