kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

読書 まだまだ紙媒体は重要

今の時代、インターネットを使っていりゃ辞典を引かなくともググればなんだって出てくる。大抵の調べ物はPCひとつで、スマホひとつで検索エンジンで検索クリックするだけで膨大な量の情報が上がってくる。


果たしてそれであっているのか?

インターネットだけで情報を得るのは正しいことなのだろうか?インターネットにはサーフェスウェブ(Google、yahoo!、bingなどの一般的なインターネットの検索サイト)といって、極わずかな情報しか広がっていない。それは氷山の一角でしかない。

人類は地球の海の全て約5%しか知らず、95%のほとんどがまだまだ謎である。

インターネットもやはり同じであり、そのサーフェスウェブの下にディープウェブがあり、さらに下には広大なネットの海が広がり、地中深くにはダークウェブが存在し、真偽見極めることが難しいネット情報が氾濫して深い闇が未知の深海のように広がっている。

その僅かな情報のサーフェスウェブ、氷山の一角であるネット検索の上位に上がってきた情報は信じられるのだろうか?あなたのそのネットの知識は間違ってはいないのだろうか?

真偽を見極めるのは私、あなた次第であり、自分が間違ったとしてもそれは法律が許す範囲で、全ては自己責任であり私、あなたの責任である。


またテレビの情報というものは一方的に知る必要もない情報を、強烈な電波で脳にインプットしてくる。これはテレビを見ていなくとも必ず潜在意識に残るように上手く作られている。CMなどはその最たるものだ。番組番組の合間挟まれているCM。これは流しているだけでも効果がある。一般的なオンエアの尺は15秒と30秒の枠です。

テレビに関しては全くいらない情報です。こんなCM情報で消費者はくだらない、必要性のない新商品を買ってしまいます。

youtubeなどに出てくる広告などは5秒でスキップとか出来ます。ただ、それをそのまま流していたら30秒とかになるだろうが、ネットの広告の方がまだ印象操作が自分でカット出来る。しかし5秒で、自分でスキップする行為に効果が絶大であるから企業も広告としてつかうのでしょう。


さて、ネットで得た情報というのは、簡単な工程を辿り得た情報であるから、脳にしっかりインプットされていない。だからいざアウトプットする時になかなか出てこない。うろ覚えということだ。だからインターネットで得た知識は知識とは言わない。

もし仮に必要な知識だとしたら、それは何回も読むか聞くかまたはノートに書き出して、脳にインプットする必要がある。

まずネットの海に溺れ流される情報は徹底的に調べても、どちらが正しいのか、間違いなのか判断につきかねる情報が多過ぎる。結局は自分で確認して経験するに尽きる。


インターネットに氾濫する情報

サラリーマンやっていてうだつが上がらなければ、会社を辞めてしまえばいい。それかサラリーマンやりながら副業でネットビジネスをして収入を上げれば良い。

多くの人がネットビジネスに足を踏み入れるのが怖くて、行動出来ない。恐る恐る勉強せずにネットビジネスをするから失敗する。いっそネットビジネスで失敗したらいい。失敗を避けている人は成功も避けている。

失敗しないと自分の実にもならないし、他人の経験話など見聞きしても経験にはならない。その私が、あなたの失敗が見識を知識を視野を広げ、自分のビジネスの応用に広がり、色々な人と出会える。

僕の知っている人にはこのデジタルなインターネットの現代社会で、PCとそれに関連するソフトをつかって顧客に一斉メルマガ送ったり、情報商材を購入したらアフターケアもせず、ただ客ばかり増やすなど、そういう輩とは一線を画していて、アナログ的な作業で実務的なネットビジネスをしている。

つまりその人はネットで知り合った人間関係であったとしても、実際に Face to Face で会って、話をして、飯を食べ、実務を重ねていく。PCやカメラも使い、データベースに記録するが書類は全て紙媒体である。PCのデータがクラッシュしたらもう契約も何も御破算だ。だから紙で契約サインし判子も押す。こういったしっかりしたネットビジネスをしていない所は、まずデタラメなネットビジネスと言っていい。

そのトップに来るのが情報商材系。ただこれは本当にしっかりやっている人が、僅かにいるので見極めが大切。情報商材だから絶対に駄目だ!って訳でもない。

しかし、やれ情報商材やアフリエイトだ、FXだ、バイナリーオプションだ、仮想通貨だ、ネットワークビジネスだとか、だまされ系のビジネスが多数あるけれども、その中で比較的敷居の低いブログだってyoutubeだってインターネット生配信だって「ネットビジネス」である。

つまりインターネットで1円でも収益を得て情報発信している限り、それはネットビジネスなのである。

でもネットビジネスなんて興味ないし、雑記ブログだし、ブログや動画に収益も無いから、広告をつけていないからといって、好きにやって良い訳ではない。あまりにも偏向した内容、洗脳的な内容、アダルトわいせつな事を書くブログや動画配信、生配信は違法・違反です。

ネチケットに違反するSNS・ブログは犯罪行為です。例えばブログなどTwitterやFacebookでの一方的な個人の批判、個人情報の漏えい、掲示板での荒らし行為、一般的な観点からメールを送る時に相手を不快にする内容・言葉遣いで送る、メールの一文が異常に長い、など警察庁のホームページでも確認できます。こういう行為が確認されたら通報しましょう。

━ 警視庁ホームページ・サイバー犯罪課 ━


最終的に知識は読書で学ぶ

ここ1ヶ月で5冊の本を買い読んだ。少ないと言われればそれまでだが、自分が良いと思った本は熟読し何度も繰り返し読み、本の欄内にメモをしたりするように使っている。

ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」の100回読み(これは携帯している)もあるし(アクション・マニュアルも毎晩必ず同じ時間に実践し始めた)、ひとりさんの100回聞きもある。これは100回聞いた、または何度も繰り返し読んだ人にしか分からないことである。

ほとんどの人の脳は忘れやすいものである。だからこれでもか!といわんばかりに脳に刷り込むのです(ちなみにこれはアニメだがZガンダムは全50話100回以上視聴を繰り返してる)。

実際始めた当初100回聞きは辛かった。しかし100回聞きを達成した事でひとりさんの天国言葉のフレーズが、人との会話でスッと口から出る。しっかり脳みそに入ったということだ。

聞く時間が無い、本を読む時間が無いという人はただ時間を作っていないだけである。仕事が忙しくて本が読めないという人は、昼休みにスマホなどは手放し本を読めばいい、また仕事を早く終わらせて帰ればいい。

テレビなんてものは捨ててしまえ。いらない。緊急時の放送?それはラジオぐらいあれば良いのではないのか?なんでテレビなんているんだ?

家の仕事もしなければいけないというならば、寝る時間を惜しめばいい。トイレで本も読める。

なに?トイレまで本を持って行ったら、本が汚れて汚くなる?大丈夫です。スマホのほうが雑菌だらけで、もっと汚いですから。

それでも本を読まない人は怠けものだ。

人は言い訳するのが大好きな生き物なのだ。自分の都合のいいように理由付けをして、「出来ない」じゃなく、「やらない」という事を周りに、そして自分に宣言をして納得をさせる。

本なら何回でも読めるはず。いい本は何回も読むといい。キリスト教徒や仏教徒は聖書やお教本を持ち歩いいるのでは。宗教家が何度も読み返し唱えるのは意味があるのではないでしょうか。

「これはとても良い本だった!」と満足し、皆さんの本棚に1度しか読んでいない本はありませんか?私はありました。だから繰り返し読むことにしています。


ユダヤの教えでは「人が生きる上で最後の最後に困った時にに手放すのが」です。

お金よりも何よりも大切なのが「本」なんです。世界の人口数から見てユダヤ人は少ないのにノーベル賞受賞者の割合は有名なアインシュタインをはじめとするユダヤ人が多くを占めています。

それは何故かを考えるべきでしょう。賢明な読者の皆様はそれを既に知っており、多分に実践していることでしょう。

古代から石版に文字が刻まれて、歴史文明は紙によって引き継がれて受け継がれてきました。それは文字には力があり、言葉には魂が宿ると。

人生において迷いが出て、つい立ち止まってしまった時に私は愛読書を開いて読み返し、何をするのが正しい事なのか?「本」を羅針盤代わりにしていつもリュックに背負って持ち歩いている。

本とは心における精神の安定であり、知識の宝庫である。

本を粗末に考えている人は、人生を学ぶ努力を怠っていると私は思います。

☆本日もご訪問ありがとうございます。

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