kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出

ジョブズ ブレイク 1

転職が多かった45年間。

函館に来るまで、俺は一体なんの職業に就けば良いのだろうか?わからなかった。

年金はアテにはならないだろうし、そもそもアテにする氣はないから体が動くまで何かしらの収入を得て生きていく考えではある。

しかし昔は若さで何とかなったが、年を重ねる度に頭と体が動かなくなって来た。手に職も持たず、資格もない俺は路頭に迷った末、挙げ句には生活保護しかないのではないか?と思い始めた。

いくつもの職を転職して来たおかげもあってか?おかげさまで現在は安定した仕事に就いている。

確かにたいへんな責任ある仕事で毎日があっという間に過ぎて、食えるブロガーを目指してあれだけ日々書き連ねていた記事も日々更新することさえも興味がなくなっている。

ブログを書く時間より、仕事で充実して休みの日は家族と過ごす時間や自分の好きなことに費やす時間を多くした方が自分の生きて行くスタイルだと思った。

だからブログを書く時間を作ることが難しくなってきた。でもブログをやめる考えは持っていない。YouTubeの動画も上げていくつもりで、とりあえず今それは自分の楽しみの範囲だけでしかない。

毎日の瞑想時間でふと思った。

今の職を得るまでに転職を繰り返して来たが、どの仕事もしっくり来ずに辞めてきている。果たして自分が仕事に対する意識はどうだったのか?本氣度は?

退職する前にいつも考えたことは「この場から逃げたい、早く辞めたい」ただ縛られているこの鎖を引きちぎって解放されたい。

「もう自分にはこの後の面倒な作業を引き継ぐことはしなくて良いし、明日からこの仕事をしていると想像する必要も考える必要さえない」と安堵する。

でも退職した後、再就職するのに悩み考えて、すぐに仕事を就くことの行動が出来ず。

今、妻とプリズンブレイクのシーズン 1 から見ている。俺はプリズンブレイクの大ファンでシーズン 1 を見るのはいったい何度目だろうか?というくらい見ている。

妻は初めて見るのだが、このドラマのタイトルは「脱獄」である。

内容を簡単に言えば、追われ続けて、逃げ続けて、それでも逃げ続けるストーリー。

脱出が完全不可能な監獄から脱獄し、逃げている途中で愛する者や仲間が死に、再び捕まり、また逃げて、また捕まる。

この繰り返しは人間の性なのではないかとも思う。

辛い仕事から逃げてまた新たな仕事に就き、またそこから逃げる。そしてまた仕事に就く。

俺も積み重ねてきた職業の数は10を軽く超える。転職の数は多い。

土木建設業から、三越デパ地下のかまぼこ販売、パチンコ店員、キャバクラ店員、浄水器の訪問販売、英会話スクールの営業、自動車・エアコン工場のライン作業、そば職人、ホテルの洗い場、仕分けのピッキングなどなど。

今の仕事も年齢的には体力を使うので、確かに厳しいには厳しい。

だがそれは精神的な厳しさなのか?体力的な厳しさなのか?を考えると仕事の辛さはどのように厳しいのか相対的に違ってくる。

仕事内容は多種多様様々なので、同列にして比較するのは難しい。基本的な4Kや5Kと言われる厳しさやリスクを数値化して分けることは出来る。現在の仕事は今まで仕事を経験した中でどのくらいのレベルなのか?

レーダーチャート表で評価をしてみた。六角形が大きい程厳しくなることを表してます。

フィジカルは体力消耗度、デンジャーは作業危険度、コミュニケーションは人間関係の崩壊度、メンタルは精神力消耗度、オーバータイムは勤務時間超過度、ブラックはパワハラや企業内での抱える闇を数値にして表す。


第1位 トヨタ自動車 組み立てライン作業員(愛知県豊田市 北海道苫小牧市)

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まず一番精神的にも体力的にも最高に追い詰められたのは、27年経った今考えてもやはりトヨタ自動車。

若くて精神がまだ精神が出来てなかったともいえばそうだが、言えばそれがまさにトラウマ化している。

クラブ活動もしていて体力にも自信があった18歳なのに、思い返しても45年間今まで経験した仕事の中で作業中に意識を失った経験を持つ、トヨタ自動車の組み立てライン作業。時間に追われ、逃げようにも逃げられない酷な職場だった。

ライン作業中のある時、腹が痛くなり下痢でもトイレへ行くのは躊躇わざるを得ない職場である。

当時こんなワードさえなかったパワーハラスメント。上司や先輩からのいじめも酷かった。現在自動車工場のライン作業員の中心的な人員補充、求人は派遣労働者や期間契約労働者(期間工)で占められているが、1993年当時は高卒でも正社員でトヨタへ入社することが出来た。

退職したのちに自衛隊を辞めた者と会話をしたことがあったが、自衛隊と共通する点がいくつもあった。

集団行動を徹底させる為に基礎体力訓練、点呼整列からのグループ行進などを行った。

部署によっては楽な所もあったみたいだけれど、配属希望は聞くが、配属先は教育担当の上司が本人の適性とやらを考えて勝手に決める。

危険な部署は「塗装部」「プレス部」がその筆頭で、塗装は全身を防護していてもやはり肺にダメージが来る。常に薬剤の匂いがしていて「塗装の奴らはいつもラリってる」と言われていた。

プレスは機械が主に作業をする場所だが、人間には常にミスが付きまとう。間違って事故が多かった部署でもある。指が潰れたり、酷いと腕がなくなったり、全身押し潰されて死んだり。そう聞くと恐怖でしかなかった。

次に寿命が縮まる「組み立て部門」。噂話で組み立て課の平均寿命は50歳と言われていた。自分の第1希望は確か、車が仕上がった後に総点検する部所だったが、何故か希望もしていない組み立て部門に配属された。

人氣は勿論、車両点検ラインと部品を運ぶ運搬部。

組み立ては細かい部分のほとんどの作業を人間が行うことになる自動車工場の主力的な部門。

どの部署も1日に決められたノルマの台数を作っていくために人間がロボットの様に動く単純作業の繰り返し。

資格などもトヨタ技能訓練だかで社内の内部評価でしかないのでキャリアアップにも繋がらない。

同部屋の先輩には辞めることを引き留められて「公務員より待遇の良い企業」だと何度も言われ、班長、組長から何度も慰留され続け、やがて工長(係長)からも「お前の為に時間を割いてやってんだぞ」的な新人引き留め会合を中二階事務所で開かれて、やっとの事でトヨタを辞める事が出来た。

一番の辞める理由は北海道から愛知県にまで出て来た理由。高校時札幌での面接の際に「3年以内で北海道の苫小牧トヨタに戻って来られる」という約束で就職を決めたのだが、豊田市の高岡工場に来てからそれをあっさりと破棄させられた為である。

人事担当に訴えるとそんな希望は受け付けていなくて、当時苫小牧トヨタはまだ出来てから若く、愛知県工場から苫小牧トヨタへライン作業の正社員の異動はないものと決められていた。

「自分で選んだ安心な人生設計のチャンスを自分で簡単に捨てて、君は本当にこの先死ぬまで後悔する勿体ない人生を送ることになるよ」と工長に言われた台詞が今も記憶の中にある。

あれから20年過ぎたが、これまで後悔の「こ」の字もないんだが。上司の言う事ほど当てにはならない。

トヨタの何が辛かったか?

あの人間が人間じゃなくなるような、非情な速さで流れるベルトコンベヤーによるライン作業が、精神的にも体力的にもダントツトップクラスの辛さであった。

インパクトレンチでボルトを締め続けた翌日には指が固まってしまい痛くて手のひらをグーからパーに開くことが出来ない。

なんといってもラインが流れるスピードが速すぎる。

高級車両セルシオやクラウン、マークIIなど中クラスのセダンや、当時のスープラなどのスポーツカータイプを製造していた工場は取り付ける部品は多かれど、そもそも高級車ほど丁寧に作るでしょう?作る台数も少ないからラインの流れる速さはそんなに速くはない。

俺の居た工場は第2高岡工場で、多くがアジアと北米に輸出していた。カローラⅡ、サイノス、コルサ、ターセルのみをひたすら製造する場所で、各工程の持ち時間は入社した時に一台約1分あった時間が、辞める最後は42秒とタクトタイムをどんどん削られていった。

その分やることが減ったのか?というと『トヨタ流創意工夫』(創意工夫をすることにより作業時間を短縮することが出来るでしょ?例えばインパクトレンチとビスの持ち方を変えたりすれば?どう?速くならない?みたいなw)の名の元に単にやることは増えていただけで、各工程は悲鳴を上げながら作業した(作業工程が減った場所もあった)。

無理がかかってるから作業時間が削られる度にラインは止まった。ラインが止まりチャイムが鳴り続けると班長、組長は走り回って呼び出し紐をもう一度引っ張りアラームを解除して、ラインを動かしながらヘルプに入った。

その立場にいる者はラインを止めることを許されない。1秒でも止めると工場の稼働が落ちる。トヨタの製造工場は下請けも含めて全て余裕があって製造している訳ではなく、1分遅れれば顧客の手元に車が行く1分遅れる。1ヶ月、半年、1年単位でのラインストップの時間を計算すれば、工場にとって大きなマイナスでしかない。

しかし優れた製品を作る上で、必ず発生する不具合や異常は徹底的に調べて直さなきゃならない。その為にはライン作業を止める義務は作業員にはあるはずだ。なのに、管理するもの達は現場の「それ」を見ようとはしない。

臭いものには蓋をすればよい。

俺が居た工程は「左サイドドア取り付け部」で左シードベルトも締め付ける作業工程があって、このシートベルト締め付けが一番の曲者で、また重要工程の一つとされていた。

なぜなら顧客とドライバーの命を守るシートベルトは絶対に不具合は許されない。だから締め付けボルトには一定のトルクが掛かっていないと、自動的にラインのベルトコンベアが停止する仕組みになっており、呼び出し紐を引っ張らなくてもシートベルト締め付けを失敗した時点でラインが止まり、職長達が眉毛を逆立てて頭に湯氣を登らせて走って来る。

エアートルクレンチで正常に締め付けても、ネジとネジ穴に個体差があり、いくら技術鍛錬者の職長達が締めても、トルクを掛けられずに間違って締まっていってしまう。そうなると一旦ボルトを外してからネジ穴をタップしてからまた締め直すことになる。

そんな作業を含めると持ち時間で作業するのは到底不可能なのだ。

退職した翌年にこの工程はシートベルト締め付けと左サイドドア取り付けの作業は2つの工程に分けられて消えて無くなった。

本来この2つの作業をひとつの工程にまとめること自体がおかしかった。

トヨタ自動車を辞めてから10年後に弟と一緒に苫小牧トヨタへ派遣労働者として再び働くことになる。

苫小牧トヨタではエンジンの組み立てしか行っていない。ちなみにこの経験者の俺でも「やってられねぇわ!」と派遣元の担当者と喧嘩して一週間で退職した。

苫小牧のトヨタの杜撰なこと。

退職後、作業員が重症を負う大事故が起きた。弟がその現場を目撃したが、その時やっと氣づいた。トヨタは工場内で事故による重傷者や死亡者や出ると、すぐにトヨタ病院へ搬送される。事故の詳細なども内密に処理される。外部に漏れることはない。だから地元の新聞になんて事故の記事は掲載される事は一切ない。

そのほとんどが労災だが、労災にならない事もあるという。

巨大企業ならではの闇。トヨタでなくとも、やはり工場系で仕事をするのは本当にもうやめようと決意した。


同率第2位 某キャバクラグループの黒服 悪徳浄水器訪問販売員

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キャバクラと訪販を同一としたのは、かなり似ている部分があるからだ。それはすべてにおいてブラックな会社だったということと、考えられない労基違反の拘束時間。

まず給料体制はキャバクラの方は一日1万円で日給月給。週6日勤務で休日は日曜日のみ。所得税は何故か引かれず、封筒現金手渡しで25日出勤すれば25万円。水商売だから各種保険も無し。

10日〆の25日払いで毎月25日に『給料大会』なるものがあり、それは同グループ某店舗のホール内で全店舗の従業員が集まり、店舗の売り上げ成績別に表彰大会が始まる。

その光景は異様で、例えれば豊田商事。これは後に紹介する訪販も同じ。

でもキャバクラは王将の研修ビデオの方が似てる。

始業時間は15時〜翌朝6時。遅い時は朝7時。休憩時間は基本的に決まってなくて取れる時取るというランダム制で、実質自由な休憩時間はトータルして1時間もないんじゃないか?残業代は無し。実働約14時間以上。その後、上司先輩からの朝の飲みの付き合いあり。また隠れてこそこそとキャストと合流する奴もいた。

食事担当(俺)が開店前に厨房で従業員の賄い食を作り、出来上がったら従業員全員で17時より食事を取り、10分位で食べ終わったら直ぐに出勤してくるキャスト(女の子)の出席取りと開店準備で19時に開店。営業は午前2時までで、その間に煙草休憩(1本吸ったらホールに出る。つまり2、3分)が2回。

その後は閉店作業とVIPルーム客の対応(3時〜5時まで飲んでる時がある)とキャストへの日給の日払い作業が終わったら約1時間の反省会というか次長とマネージャーからの説教タイム。そして酔っ払ってさっさと帰らないキャストの愚痴聞きタイム。キャストからの暴力も有り。

もしかして…これが休憩時間になるのか?完全に皆が帰るまで6時までだった。

このグループ会社には会長、社長、副社長と3人がいて同族経営だった。その下に常務と専務、部長がいて、各店舗に店長、次長、マネージャーがいた。

飛ぶ(突然辞めていなくなる)のはヒラのホールスタッフ(ウェイター、黒服)だけじゃなく、店長や次長、マネージャークラスさえもよく飛んでいた。

つまり半端じゃないってことだ。

ちなみに俺は黒服に昇格してから1ヶ月で飛んだ。

飛ばないと会社自体ケツ持ちのバックが893だから、普通に辞めると申告したとしたら下手すれば軟禁されたりする。あと簡単に辞められないように借金漬けにしたりする。

あと店の女の子は商品なので“キャストに手を出したら300万円支払います”という誓約書を入社時に書かされる。先程キャストとの飲みの付き合いと書いたが、ここにワナがあって弱みを作らせて辞めるに辞められなくさせてしまう。

だから役職者でも飛ぶということ。精神的苦痛はトヨタを超え圧倒的に100%である。体力もなければこの仕事は務まらない。役職者になれば客にご馳走になり連日寝ずに出勤することになる。水商売は長く務めるものではない。身体を壊す。特に肝臓。


さて、訪販。

給料体制は歩合制で1台も浄水器が売れなければ、基本給の12万円のみ。しかも末締めの翌月25日払い!

つまり1日から働いて30か31日で締める。その1ヶ月分の給料の支払いは次の月の25日に銀行に振り込まれる。だから最初の約2ヶ月は無給で働くことになる。

そしてそこから各種保険が引かれる。

あれから15年過ぎて日本年金機構から年金便が届いて、厚生年金を納めていた年数と金額が表示されていたのだが、なんとこの会社!俺から厚生年金を給料から引いていたのに年金便にこの会社の名前で納めた記載がない!

しかも雇用保険にも加入していたのに、雇用保険も納められていなかったトンデモ会社だった。

現時点でこの会社は存在していなく、解体されたと思われる。

で、この会社の始業時間が朝8時〜終業時間が翌朝4時〜5時。休憩時間は昼12時〜13時までの1時間のみ。つまり拘束時間が20時間〜21時間となる。

完全なる労基違反。

もちろん入社する時はこんな話は全くなくて、実働8〜10時間と言われている。残業代というのはなく超過した場合、基本的にサービス残業とは言われていたが、あって1〜2時間と言う話だったが、なんだこれは?

ただし給料は歩合制なので売れば売るほど給料はもらえる。1ヶ月に約20台安定して売り上げていた係長は50〜80万円貰っていた。30台以上売って100万貰ってたとかで明細も見た。

多分それに釣られて違法な労働にも金の為に目を瞑り働いていたのだと思う。

売り上げれば上げる程と書いたが、実は落とし穴があり、毎月の最低ノルマ台数が8台と決まっている。

つまり8台に足りなくて7台だと基本給の12万円のみしか支給されない。

0台の奴と7台売った奴の給料が同じなのだ!

そこは差をつけるべきでは?

8台しっかり売り上げれば基本給に4万円足されて16万円。9台売り上げれば20万円。10台で24万円。1台4万円とは決まっていなくて、20台以上から1台辺りの支給額が跳ね上がる。そしてクーリングオフによるキャンセルが鬼のように来るのでキャンセルさせずに売らなきゃならない。勿論キャンセルが入ればペナルティが加わる。

確実に売る奴らはクーリングオフをさせないように売るのである。

20台も売ったことがないので詳細は分からない。

ちなみにこのぼったくり浄水器(据え置き式)は、総額28万円のところを「今回だけのキャンペーン価格で20万円でご紹介させていただいております」と営業をかける。浄水器自体の元値の原価は予備の浄水フィルター1個合わせて2万円もしない物で、単純に20万円で売れれば18万円の利益になる。

こんなものがバンバン売れる訳がない。

俺が最高に売り上げた台数は10台。週に2台以上売るのはミラクルに近い。それでも売れる時は売れるもんで、自分も1日で3台売ったことがある。そういう時のアドレナリン放出は半端じゃないが、睡眠時間が4時間程度では身が持たない。

自律神経が狂ってしまい睡眠不足に陥って眠れずにいたある日のこと。

この会社は新大阪駅近くにあって、会社が借りている東淀川区のマンションの一室に5〜6人の社員が詰め込められていて、プライバシーは一切ない。見た目はライオンズマンションだが、中身はまるでタコ部屋だ。

その会社から社宅の帰り道の公園で眠剤を売ってる親父がいた。その親父から声を掛けられた時に眠剤と向精神薬を買ってしまう羽目になった。

大阪市内は訪販の激戦区でライバル会社が売り回っているのから、弱小訪販会社がヘタレ浄水器を売るのはほぼ不可能。営業を展開する地域は関西一帯へ出張として行くことになる(日帰りも有り)。

その先は兵庫、滋賀、福井、京都、富山、石川、鳥取、また島根まで足を伸ばして遠征した。

やっぱり朝の8時の朝礼は豊田商事の「今月はね!1日から飛ばしていきますよ!いいっすか!」ってのと酷似していると言ってもいい。

まさに先のキャバクラの給料大会と似ている。

自分の今日の売り上げ台数の目標と今月の売り上げ達成目標、それに対して自分がどれくらいの本氣度があるか気合いを見せるためにデカい声で吠えて意志をしめす。

その後エブリィに浄水器と機械関係を積み、乗り合いで名神の豊中から高速に乗る。

大体昼12時〜13時過ぎに到着するようにして、昼飯をコンビニで買って(カップラーメンとおにぎり)、たまにオリジン弁当買って食って、一服した後すぐに新築アパートやマンションを目指して叩き(ピンポン・訪問販売)に行く。

主力組(確実に売れる能力のある先輩営業員)はエブリィでちょこまか移動しながら、新築を叩く。

その前に俺たち売れない組(平社員=雑魚営業員)は市営・公営・雇用促進住宅へ降ろされて、ローラー叩き。一応今まで何度も叩いたデータがあるので居留守や完全断りの部屋は時間の無駄なので飛ばす。

だが引越しして入れ替わりの可能性もあるので、その場合はカーテンを見て叩く。

団地など引越ししたばかりの部屋はカーテンが真新しくなっている事が多く、特にファミ(家族)の場合は売りやすいので(主人返しや奥さん返しなどのテクニックを使う)、団地でも入れ替わりがあった部屋は必ずチェックして支社長に報告しなければならない。

売れる可能性が高いファミの場合は次回も必ず訪れ、確実に落としにいく。しかもそれが通信販売の購入経験が多く訪販の布団などを買っていると分かったら、その客は高い確率で浄水器を買うことになる。

いやに食い付きが良くて営業文句も掛けずにストレートであっさりとクロージングも通る客に限って、クレジットの審査をかけると、実はブラックで審査が通らずにNGとなる事が多い。

あと新築や新婚など若い夫婦は売れる可能性は50%以上ある。その可能性の確率は売れない平社員には通用はしない。

販売テクニックが高い営業マンならば「必ず落ちるだろう」ということである。

なので効率よく売るならば、ただひたすら絨毯爆撃でローラー営業するのではなく、ピンポイントで叩いていくというのがこの会社で教わった訪販の基本。

それと新築であっても一軒家は駄目。一戸建てはほぼ売れない。なぜなら据え置き小型の浄水器など興味も無いし、ある程度資産を持っている人程財布の紐が固い。散財は絶対しない。

だから叩くのは絶対にマンションかアパート。新築の大東建託なんかはライバル会社に取られる前に真っ先へ飛んで行った。

当時はインターネットも発達していなかったから、各地の最新の住宅雑誌か、駐車場のアスファルトの色とカーテンの色と真新しさを見て回った。

仮に話を聞いてくれるとして家の中に上がり込みが出来たとしても、客に買う氣が一切なければデモ(営業のデモンストレーション)を行っても全く時間の無駄。

上がり込みOKで売るためにデモをして、仮にそれが失敗したとしたら約1時間〜2時間以上は損をすることになる。他の営業マンが周辺を叩き終わって次に移動しようとしても、デモ中の奴がいればそのデモが終わるまで車内で待たなければならない。

それがね、とてもだったね。

何故かというと、例えば俺が2時間を過ぎる長時間のデモの真っ最中であれば、その時他の奴ら(先輩や同僚)を車で待たしているというのは分かる訳だから、「ここは絶対に売らなきゃいけない!じゃなきゃ車に戻れない!」という焦りが生じ、営業トークをしていると客に「買え、買え」オーラが全面に伝わってしまう。そうなると客というのは絶対に買いたがらないのである。

他の営業マンらを待たせていても、客に主導権を渡さず如何にマイペースで喋ることが出来るか?ここがメンタルを試されるということなのだ。

あと逆で車内で待つということは「売れなかった」訳であって、それは支社長から「何故おまえは売れないのか?」という説教タイムから始まって、そこからロープレ(ロールプレイングで想定問答)が始まる。

まあ、それはどウゼエの一言。

「スランプってのは売れる奴が突然売れなくなるのを言うんやぞ。お前らは普段から売れんのやからスランプとか言われへんやんか。なんか言い訳あるんか?」

はいはい…ありません。すみません。てな感じですわ。

そして次の違法ポイント

21時からはファミ(家族)の家は叩けないから(自社ルール?)、それ以降の時間はワン(ワンルーム・一人暮らし)を叩く。

売れなかったり、今月のノルマが足りなければ何と!深夜3時過ぎまで叩き続ける。

俺が経験した最高の時刻はAM3時半。

その時は兵庫の加古川だったので車で社に戻って、自宅に帰るのは5時過ぎ。すぐ寝て、また8時までに出社する。さすがに神戸市は叩かなかったけどね、

異常だったわ。

それだもの、公園のおっさんから精神安定剤買うわな。いや、覚〇剤に手ぇ出してもおかしくないわとも思う。

おい!見てるか!当時のお前ら(イカレ上司)!

よく893に拐われたりとか、サツにパクられなかったと思うわ。

警察に捕まった奴がいたけど社内教育で、警察に身柄を持って行かれた場合は「それは(訪問販売)あくまでも個人で行ったことで会社とは全く関係ありません。会社の浄水器を個人の利益の為に不正に持ち出し販売してしまいました」と言えと指導されていた。つまり会社に警察沙汰の迷惑はかけるなとプレッシャーを掛けられていた。まさに洗脳されていた訳で、会社にいる時はそれが普通だと思っていた。

また、それで通用する警察も警察だ。

しかし893にそのような言い訳は通用せず、組事務所に監禁された若い営業マンを助けに何度か支社長らがマンションの一室に行ったのを目にしたことはある。

そんな大阪での良かった思い出は心斎橋のパチンコ店に朝一で初代北斗に座り、一万枚オーバーしたことくらい。

あとはブロンを1日100錠は飲んでラリってたことくらいか。

俺よりちょっと前に辞めた仲の良い同僚がいて、その庄司さん(仮名)は地元札幌へ帰ると、この異常で違法なブラック企業の体質を訴えるべく労働基準監督署に乗り込んで未払いの給料の支払いと精神的に病んだことにより、この会社に対して訴訟を起こしたが、何と負けた

資料が完璧で無かったのと向こうが御伺い弁護士を立てた為に敗れた。

庄司さんは「悔しい」と電話口で語っていた。


以上、第1位〜第2位(同率2位)。

第3位以降は次回紹介させていただきます。

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