横山光輝三国志 諸葛亮と魏延
魏延 文長
比較的若い頃の魏延だと思われまする。
劉備には尊敬の念を持って忠誠心は高かったのではないだろうか。
何しろ自分の命を救ってくれた劉備なのですから。
そんな先帝(劉備)に忠義の心を持っていたに違いありません。
ですが諸葛亮には徐々に反感を募らせていきます。
ここでは横山三国志のことを書いているので、それはそれでおいておきます。
なんと言っても黄忠の命を救ったのが大きいです。
蜀の将になってから、彼は活躍します。
すぐに魏延は牙門将軍に昇進します。
スピード出世です。
漢中の太守に命じたのもいい例です。
張飛が任命されるのでは?と思われたくらいの、異例の抜擢でした。
末期の蜀にあって武力ナンバー1。
魏延「蜀にその人あり」と言わせるほどになっていきます。
疑い深かく智略に長けた丞相諸葛孔明。
しかし孔明は人を見る目がなかったのでは?と思います。
馬謖がいい例です。
魏延を上手く使えなかったんじゃないか?使う気はなかったのは確かだ。
ストレートな気性でたまにワンマンプレイもしたが、魏延はなんと言っても強い。
これに尽きる。
そして何かリアルな人間味のある武将で私は大好きなんですな。
他の将、特に趙雲とは仲が良かったらしく、連携して戦場でその力を遺憾なく発揮していました。
危険な野心を強めたのは、劉備死後のこと。
『士は己を知る者のために死す』
孔明は北伐の際、祁山を通り長安へ進むルートを何度も進軍しました。
長安を目指すには祁山は逆方向です。
史実では魏を討伐しようとすれば、何はともあれ長安を攻撃せねばならぬ。
しかるに祁山は漢中より見て西北にあたる。先程のようにまるっきり方向が違う。
誠にもっともな常識的な提案である。
しかし諸葛亮は、いやそれは危ないと祁山を目指したのである。
危ないと言っても戦争に多少の危険はつきものではないか?
この諸葛亮の北伐については、改めて後日のブログで考えてみたいと思う。
私は魏延の案が正論だと私は思います。
孔明は非常に慎重で安全策をとっていました。
魏延はそれを”丞相は臆病者だ”と不満を高めていきます。
他の将にも言い散らすように。
だから軍律を破っても処罰しませんでした。
それゆえに魏延の武勇は惜しいと。
蜀の将軍として魏延はなくてはならない人物になります。
その後馬岱には事情を話し、
「どうかわかってくれい」
馬岱は「わかりました、蜀の為ならば」と。
命を延ばす為七日間、孔明は祈祷の儀式に入ります。
そして、「こ これは粗相いたしました」と言って主燈を倒してしまう。
「祈祷の邪魔をしおって許せん!謝ってすむことか」と斬りかかる。
さすが勇猛の魏延、あっという間に蹴散らした。
「あの蒼空の極はいずこであろうのう」
孔明は死を迎えることになりました。
魏延が祈祷の邪魔に入らなかったら?
孔明とて神じゃあるまいし、延命はなかっただろうとも思います。
悩んでいた魏延のところに趙直が訪れ、夢判断をし、
「麒麟の頭には角がある蒼龍の頭にも角がござる、凡人が見るには凶になるが将軍のような勇者が見た場合は大吉夢でござる、思うに将軍は今から後必ず大飛躍をなされるでしょう、そして位人臣を極めるに違いござらぬ」
それを聞いた魏延は喜び勇む。
費禕に出くわした趙直はその話をする。
そして実際は凶夢だと。
魏延に本当の事を話したらかえって恨まれるだけ…それゆえいい加減にこじつけて話したと。
「角という字は刀を用うと書く、頭に刀を用いる時はその首が落ちるに決まってるではござらぬか」
今の話誰にもなされるなと費禕に言われる。
そして魏延の元にも丞相亡くなるとの知らせが届く。
ここからだ。孔明亡き後、謀反を起こしたのは残念でなりません。
謀反を起こした原因は自分より下の楊儀が軍権の指揮を執り、撤退するということを許すことができなかった。
それは魏延は先帝が魏を討伐するという忠義心からきたものだと。
だから演義で謀反と書かれているが、私は謀反だと思えないのです。
楊儀との確執が問題であり、謀反とは言い難い。
楊儀は中軍師の位に。
丞相は蒋宛になります。
楊儀はそれを気に入らず、酒が入った席で、
魏延の陰に潜む自負心と野心の強さがマイナス面でした。
でもそんな魏延を私は好きです。
やはり蜀の人材不足は、最後まで否めなかったのです。