Never give up!絶対にあきらめない!
☆ネバーギブアップ
プラネットマン。
ウォーズマンの犠牲に涙をこらえて必殺の一撃だ。
キン肉マン 黄金のマスク編⑨
正義超人全滅?!…の巻
プラネットマン「待て、キン肉マン。俺様にヘタな攻撃を加えれば、こいつらが傷つくことになるぜ!見たか、悪魔の技の中でもNo.1の技・七人面プラネット!」
反撃に転じるキン肉マンに対してプラネットマンは魔技中の魔技といわれる、死亡した超人を人面疽として自分の各惑星に浮かび上がらせ、人質とする技を発動させた。人面疽が傷つくと、その人物も傷つくようになっている。
事実上の人質を取られたキン肉マンはプラネットマンに攻撃を与えることが出来ない。
ウォーズマン「キン肉マン!!私の顔はプラネットマンの心臓の上にあたる。だからわたしの顔をぶちぬけばプラネットマンは即死だーっ!!やれーっ!!」
自分ひとりで皆んなの命が助かるなら…と捨て身の覚悟で放ったその言葉は本当に仲間達を助けることになった。
ウォーズマンの自己犠牲愛は素晴らしい。
しかし一般社会に照らすと、その行為自体においては全てが正しいと言えない。
また自己犠牲の精神など普通の人には難しいのではないか。
間違った自己犠牲は本当の優しさではない。
問題を抱えた本人を援助するいうことは、
完全にはその問題を抱えたその本人が主体である。
当人をただ助けることが優しさだと思い、安易に、または利己的に当人の問題を背負い肩代わりして助けたりするようなことは当人を傷付けたり、当人の自立と幸せを奪ってしまうことになる。
それは優しさとはかけ離れたものになってしまう。
問題を解決するには結局その当人が一人で向き合い、考えながら決断しなければならない。
悲しいかな、現代社会の人間関係では自分の損得勘定だけを考えた優しさが蔓延っている。
それは優しさではない。
偽善である。
見返りを考えない、お礼も言われなくていい。
大切な人だからこそ嫌われるのを覚悟で、
言い難いことを伝えたり行動するのが本当の優しさではないだろうか。
本当の優しさとは、
純粋な気持ちと心で“相手が幸せになって欲しい“と考えて接することにつながっているいるはずであろう。
ーーNever give up!ーー
無謀に頑張っている人に、
僕は敢えて「あきらめてもいいんだよ」と言いたい。
あきらめていいとはもう努力はしなくていいということではない。
進むべき道の方向を「見極めるんだよ」ということである。