僕の中のアイルトン・セナ
アイルトン・セナ・ダ・シルバ
生没:60’3.21〜94’5.1
日本を愛したセナ。
鈴鹿を愛したセナ。
ホンダを愛したセナ。
日本人はセナを愛した。
そしてセナは神になった。
彼のことを語るには、あまりにも多すぎる。
セナ・プロの確執は有名だ。
88年のセナプロは穏やかに終わったが、
因縁なのか?
セナプロの確執が最大になったのはなんと!
89年イモラの紳士協定をセナが破ったのが始まりだった。
それ以後89年の鈴鹿のシケイン問題より、セナプロ確執は続いた。
セナの運転は危険だ!と皆から非難されるまでになり、セナは精神的に追い詰められるまでにいた。
でも最後は2人は共に戦った有志であり、戦友(とも)である。
プロストが引退して、セナはさみしがっていた。
1994年あの死の場所、
「アラン、君が居なくなってさびしいよ…」とコースを紹介しながら、走っていた。
そしてプロストが居なくなった後は、
新世代のミハエル・シューマッハがセナに噛み付く。
セナとシューマッハには少なくとも、裏では確執があった。
古舘氏に音速の貴公子と呼ばれたセナ。
生前の母さんは大好きで、あのマルボロ一色のカラー、マクラーレンとセナが大好きだった。
だから月寒グリーンドームのF1イベントにも行ったし、大通り公園でもホンダのイベントへ見に行っていた。
さて、どこから話そう?
セナとホンダの繋がりは強かった。
だからホンダが撤退する時、酷く残念がっていたのを覚えている。
セナあってのホンダだったしね。
その後は毎年ストーブリーグではセナの去就は注目された、休養か?マクラーレンから移籍か?
セナは神経質でいつもレースカーのセッティングにはピリピリしていた。
レースには完璧を拘った。
対してプロストやシューマッハはマスコミの使い方がうまかったり、政治的圧力を使ってくる。俺からしたら汚い奴らだと思っている。
だからセナがとても純粋なドライバー
に見えた。
今でも思う。どんな車に乗せてもセナが1番速いと。
しかし1994年。
若いシューマッハに押され気味になってきたセナを見ていたら、やはり世代交代か?と思わざるを得なかった。
シューマッハファンには悪いが、
少なくとも当時は、
シューマッハは不義であり、
セナは正義である。
さて再びこれから何を話そう?
あのセナの最期か?
まさかセナが死ぬなんて思わなかった、
あの日。
1993年スーパーハイテクマシンのウィリアムズFW14が圧倒的な速さを見せて、ナイジェル・マンセルをワールドチャンピオンに輝かせた。
当時俺はマンセルファンでやっとチャンピオンになってくれたー!
と、セナを気にしてなかった。
翌年マンセルとウィリアムズの契約合意は至らず、ウィリアムズは休養中のアラン・プロストと契約した。
リカルド・パトレーゼの後釜にはデーモン・ヒルがシートを掴んだ。
1993年はプロストがチャンピオンになり、彼は引退した。
4度目のワールドチャンピオンを達成して。
どうしてもセナを意識してたとしか思えない。
翌1994年念願のウィリアムズ・ルノーに移籍するセナ。
しかしこの年は注文がついた。
FIAは、ハイテクマシンを禁止した。
またマシン自体の戦力が落ちた訳だ。
しかしウィリアムズにはあのエイドリアン・ニューウェイがいる。
ハイテク禁止の一つにアクティブ・サス使用禁止がついた。
2年連続コンストラクターズチャンピオンのウィリアムズだ、他にひけを取らないマシンの筈だったが、誤算。
開幕戦を迎え、本格的なテストも出来なかったのもあった。
その頃僕はシューマッハに押される、セナに肩入れして応援していたが…
しかもマシントラブルでレースを落とすセナウィリアムズ陣営!
開幕戦からシューマッハに2連勝されたセナ。
とうとう、セナとシューマッハの世代交代か?
しかしウィリアムズ陣営は何故ベネトンがあんなに速いのか?
それは禁止してるアクティブ・サスを密かに使用してたという、極めてグレーな噂がパドック内を駆け巡っていた。
さて、セナにとって試練の年がやってきたと思ったね。
しかもFW16のコックピット内はセナには合わないという大変なことに。
ステアリング操作が、今までマクラーレンで乗ってた調整位置とまるで違うのだった。
はっきり言うとハンドルが小さいのである。
大径のステアリングを好むセナ。
セナはステアリング・ホイールの調整をウィリアムズ陣営に訴え続けていた。
悪夢の第3戦サンマリノGPがやってきた。
まずバリチェロのクラッシュから始まった。
そして予選で高速コーナーを直線して、ローランド・ラッツェンバーガーが事故死。
パドックでのレーシングスタッフの怪我やら、不穏な空気がイモラサーキット、グランプリを支配していた。
それらをテレメトリーで見たセナは唖然としていた。
スタッフも凍りついていた。
それはやがて、イモラの牙はセナにも向けていたのだった。
決勝を迎える前日、セナは電話で恋人のアドリアーナに一連のショッキングな事故にもう走りたくないとこぼしていた。
しかし彼は乗ることを決めた。
発走前のダミーグリッド上のセナは悲壮感に溢れていた。
今までにない虚脱感に襲われていた。
パトリック・ヘッドと会話し、
水を一口、また一口と飲む、
それはまるで死に水のようだった。
乗ることを決めた以上、シューマッハに勝つつもりで乗ったのだろう。
発走後もJJ・レートのクラッシュがあり、またもセーフティ・カーが入り、
再度スタートする。
この時点でオンボード映像からセナの乗るFW16は激しいボトニングか見られていた。
少なくともセナは何かしら異常を感じていたと、思わざるを得ない。
なのにレースを続けた。
プロストならピットへ戻っていただろうに…
後ろを走っていたシューマッハはセナの車体の不自然さを感じてた。
何故?天才ドライバーである故にセナは車を止めなかったのか?
その説が正しければ、セナ自身の過失である。
やがてシューマッハを従え1位のままだった。
しかし………高速タンブレロへ……
Ayrton Senna's Last Lap - Imola 1994 - YouTube
なんでまた今時期にセナの話題か?
亡くなった母がセナの猛烈なファンでしたので、母は9月に生まれました。
F1ブームも巷じゃとっくのとうに廃れてきてしまって…
先日神社にセナのこともまた話しに行ってきました。
Ayrton Senna 1994 Imola Part4 - YouTube
この放送は涙が止まらなかったのを覚えています😢😢😢😢😢
マシン故障のハッキリした原因は分かっていません。
セナの事故は「激しい底打ち(ボトミング)によりダウンフォースが失われた」「パワーステアリングが故障したため操縦不能になった」という説など諸説語られたが、イタリアの裁判所は「セナの希望によりステアリング位置を調節するため、メカニックがステアリングシャフトを切断して溶接し直したが、それが不完全だったため、走行中にその部分で破断・操縦不能になった」という原因を認定した。
直接の死因はサスペンション・アームがヘルメットを突き抜け、脳に決定的なダメージを受けたことだった。
ヘルメットにも問題があったような話しがある。
しかし有名人の真実の死は明かされない、謎で終わってしまうのだ。
古くはエルビス・プレスリーから近代ではマイケル・ジャクソンと…。
セナの大破したFW16にはBlackBoxが4つあったが、事故後2つしか見つかっていない。あと2つは?誰が?
とにかくセナの死は謎がすくなからずある。
あれから22年経ったのだが…
ライバルでF1界を謳歌したシューマッハも、スキー事故で転倒し、岩に頭を強打して、多分植物状態か?と。
シューマッハに関してはハッキリした情報が上がって来ていないので、多分回復はしていないのでしょうね。
なんという因果でしょうか?
アイルトン・セナは僕の中でまだ生き続けています。
セナが大好きだった母も自分の中で生き続けています。
【ブロンメーター30】