kemoxxxxxの日記

kemo cityからの脱出と幾何学模様の迷路

ブロン中毒になった訳・1

これから書くことは、くだらない奴のくだらないこと。
日記以下の内容になりますが、見たい人だけお読み下さい。

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でもブロン中毒や麻薬中毒アルコール中毒の方には見ていただけたらなぁ、と思います。
文章の中で、至らない部分がありますが、どうかご了承くださいm(__)m

俺の子供時代はいたって普通。
その普通ってのが危ない。

小学生の頃は引っ越しが13回と、友達なんかできやしない。

そんな親を憎んだ。いじけた。
だから、クラスメイト達に「あんな人いたっけ?」系な子供だった。
いじめられ始めた時、親友Nが救ってくれた。今でも忘れないアイツ。
アイツがいなかったら、いじめで自殺してたかもしれない。

学校はつまらない。だから親友Nとつるんでた。
なんでか、いつもムカついていた小学生時代。

中学生になったら、親友Nとクラスが変わり離れ離れなってしまい、また孤独になった。
いじめられたくないから、やられる前にいじめてやった。常に誰からも相手にされない一匹狼だった。
弱い者には手は出さなかった、自分がその立場をよく知ってるから。

正義感はあったけど、
小中高と危ないことに興味をかき立てられ、実行する。そんな少年時代。

中二の時、タバコは母に隠れて母のハイライトを盗み、弟と吸った(母はその後すぐタバコをやめた)。
不味かった。
母の財布からお金を盗んだこともある。

さて本題です…ブロンをやめられない。
それは何故なのか?
子供の頃の自分自身から見つめ直してみることにした。

警察のアレだ、あれ。
事情聴取。調べね。

俺はなかなか警察の方には捕まらなかったが、犯罪に手を染めたことはある。
時効だから!って別に威張りません。
反省してます。こんな言い訳どうでもいいか…

なんでこんな性格になったのだろうか?

あ、中二のタバコまで書いたな。
あの時、母を恨んでたのかもしれない。
母に迷惑をかけて、母に振り向いて欲しかったのかもしれない。
でも母は忙しい。

母は僕達兄弟を食べさせるため、必死になり毎日パートで働いていた。
今考えると母は僕ら二人の犠牲になったんだ。そんな母に感謝もせず、ふてくされて、母に当たり散らしていた毎日。
その時の母の気持ちを考えると涙が出てきた。
今更、もう遅い。遅いよ、お前。

要は頭が悪かったのだ。勉強もせず、ただガキのまま育っていった。

中3〜高3にかけて、俺の悪い心が働き出した。
その間少しだけ警察のお世話になったが、あとは逃げた。
必死で逃げた。
まだ色々沢山あるけど、学生時代の話は終わらせたい。キリがないので。

パートだったのに、色々な方々からお金を借りたりしてくれて、母は自分を私立の高校に入学させてくれた。
母には大感謝している。
母と何度もそんな話を、生前に母としてて、何度も、何度も感謝して…何度しても終わりがない話なんだな。これが。
今も母の遺影に手を合わせ、
心を込めて感謝してる。

良い心も持ち始めた半分、悪い心も半分。
高校は普通におとなしく卒業させてもらい、母に専門学校の話を受けたが母をこれ以上働かせたくないから、就職の道を選んだ。
内定したのは、

警察官と同じで制服組の高卒出。
要はノンキャリってこと。
定年までの道が決定して、もらう生涯貰う賃金も決まっていて、
その一本道しか見えなくなった、自分に呆然とした。

それでも1年目は人の倍頑張って仕事をした。
社会ってこんな辛く、つまらない毎日なのか?って。
豊田市は女性人口の数が極端に少ない。
今はどうだか知らんが。

結婚はしたかったが、女がいない。
早速車を買った友人達と名古屋、岡崎市、、、他市へナンパに行ったりした。

女を作ったところで食わせる給料ではない1年目。
俺は女はやめてギャンブルに走った。
硬派気取りでwwwつかう言葉が違うかw

工場長に注意されるまで、工場内ではギャンブル好きで俺の名前は有名になった。
(別のことで有名になれよ…)

麻雀からパチンコパチスロ、競馬。
母に楽にさせる為に就職したのに、
気がついたらギャンブルの為に働いてた。

トヨタの従業員は休憩時、麻雀台が各工程の隅に置かれトヨタ式麻雀というのをやっていた。
こんな状態じゃ、ギャンブルをやめろ!というのも無理な話だ!
今現在はわかりませんよ、当時1993年の話ね。

そして北海道トヨタに帰って来れるという条件で愛知県豊田市に行ったのに、
話はトヨタ側の嘘っぱちだったことを知った俺は、組長の元へ行き、辞めることを告げた。
工場長に説得を受けたが、固辞した。

札幌に帰りたい理由にあの虫が入っている。
ゴーちゃんだ。
寮は汚く、綺麗に掃除をしても、
ゴーちゃんが現れる。
相部屋にいた相棒Hがゴーちゃん退治に強かった為、出現したらすぐにそいつを呼んで退治してもらっていた。

ゴーちゃんに騒ぎ、怖がる姿をHは腹抱えて笑っていた。
その相棒とはとても仲が良かったなぁ。
白直、黄直とあって、Hも俺と同じ黄直。
だから仕事の時間も遊ぶ時も、四六時中一緒だった。
彼とは、不思議にウマが合った。

Hがお泊まりの時、俺は部屋で一人。
一人の気がしなかった。

絶対誰かがいる、そんな雰囲気。
目線を感じる。
誰かが俺を見ている。
俺の動きをジッと見つめて、
息を潜めている。

霊ではない。

ゴーちゃんだ。
寝たら最後、ゴーちゃんは髪の毛を食べに、顔までやってくる。
寝たら耳元でゴソゴソ音がする、ゴーだよ!手で顔を払う!
電気をつけて叩き潰すH。
こんなこと頻繁にあったから、
今考えても、超こえーよ〜

だからHが帰ってくるまで起きてる。
次の日仕事だったら最悪だ。
参ったね、あの日は。
あんな思い、一生したくないよ。

だからゴーちゃん、だっ嫌いなんすよ。
Hとの最後の別れ、知立駅でお互い頑張ろうなと、さよならした。涙が出そうだった。
もう一人の友人が車で、名古屋空港まで送ってくれた。
さようなら。ありがとう。
出会いがあり、別れがある。
別れは辛く悲しい。

そして、気がついたら北海道の新千歳空港に着いていた。
母との再会に、涙した。

弟は変わっていた。ギャングみたいだったw

ん?ここまで、ブロンの話が出ませんね、おかしいなぁ、、、、

あ、それと!僕、高校時代からビールが大好きで大好きで、酒ならなんでもイケる口でして、トヨタ時代も酒に強いと工場内で有名でした。
(だから、別のことで有名になれよ。)

母と僕と弟の3人で暮らす日に入るのだが、弟がいつも帰って来ない。
外泊の毎日。
母がどれだけ心配しただろうか?

やがて弟は次第に帰って来なくなり、女性と同棲し始めた。
ま、弟には弟の事情がありますからね。とりあえず今、弟の話はしません。

仕事もすぐ決まり、蕎麦屋で修行することになった。
親方がうるさくてね、何度も辞めたいと思っていた。
いつしかその蕎麦屋では俺がいないと回らないまで、俺の存在は大きくなった。

店長に辞めると言ったら、引き止められた。でも辞めた。問題は給料だ。
時給580円。
これじゃあ、母を仕事から辞めさせることも出来ない。

19歳。

選択肢はいっぱいあったが、今みたく若くても仕事が出来る人間は一気に出世出来るような仕組みじゃなかったから。
損な時代だよ、俺らの世代は。

母を早く楽にさせたくて、キツくてもいいから高給の仕事を!
これがアースアンカー工だった。
そろそろ俺のブロン時代が始まります!

アースアンカー。
知ってる人は知ってると思うが、普通の土方ではない。

仕事内容は土留め工事。土砂崩れなど防止する工事。
簡単に言うと、絹豆腐に爪楊枝を何百本もブッ刺す!すると少し崩れづらくなるって言ってもわからんか(笑)。

ちなみに日給月給で1万円。
のちに正社員になり、月給手取りで18万。ボーナスもあった。
宿泊費食費作業着ヘルメット工具軍手、全て会社持ち。
今じゃ、そんな会社ないだろうな。

そんなキッツイお仕事、アンカーの仕事を長く務める事になる、そこでブロンと知り合うことになる。
弟が…。

つづく