横山三国志 諸葛亮 孔明 3
劉備が死んだ後諸葛亮は初めて軍権を握り、直接軍隊を指揮することになる。
最大かつ最終目標は魏を討つことである。
魏を討つには北へゆかなければならぬが
、諸葛亮はその前に、反対方向の南を討伐した。
南は異民族の地である。これは、一つには総力を挙げて北へ向かうには後方の脅威を解消しておく必要があったこと。
また一つには、軍資の調達である。
諸葛亮らの蜀政権はよそ者政権だからあまり地元でしぼりあげるわけにはゆかず、南方の小国で収奪したのだろう。
横山三国志では南征について、詳しく描かれている。
孔明はこの一報を聞き兵を起こし、帝に出兵の許可を得る。
孔明は軍勢を引き連れ永昌へ向かう。
反乱に応じなかった王伉に会う為だった。
それからまもなく孔明は南蛮の地へ進軍する。
野営をしている際に馬謖が訪れる。
兄の馬良が亡くなったのを告げに来た。
孔明は惜しい人物をなくしたと嘆く。
この頃馬謖は蜀において秀才ぶりをうたわれていた。
孔明は董荼奴と阿会喃を放つ。
両元帥は涙を流して喜び何度も礼を言って帰っていった。
それを知った孟獲は出陣する。
孟獲は董荼奴と阿会喃をまた呼び出し、二人はしぶしぶ参加する。
馬岱軍は南蛮軍の糧道を抑え、食料を奪った。
怒った孟獲は百杖の罰に処する。
そして、三たび弟と共に孟獲を解き放つ。
今度は朶思王に頼るも、味方だった楊鋒に裏切られ捕らえられる。
孟獲も、とにかくしつこい!
しかし諸葛亮もしつこくはないか?
私が南征に参加している将ならば、ちょっと孔明のやり方に不信感を持つ。
孔明は二人とも解き放つ。六度目。
そして七たび捕らえられた孟獲は打ち首を覚悟する。
しかし孔明は解き放つと言う。
さすがに孟獲は心から降参する。
「丞相に会わせてくれ!」と。
孟獲「命を助けられること七たび、いかに野蛮人といえどもこれで大恩を感じぬ者はおりませぬ。悪かった許されい。」
孔明「以前の通り南蛮国王として蛮士の民を愛し、わしに代わって王化に勤めてくれ。」
そして南蛮平定は収まり成都へ凱旋した。
それは南蛮の王として、孟獲しか治める人物はいないと判断したからか?
孟獲という人物も気になってくる。むむむ。
その点、先帝(劉備)は見る目がありました。
「諸葛亮伝」に「健興三年春、亮は軍勢を率いて南征し、その秋ことごとく平定した。軍資の出所が確保され、国家財政が豊かになった」とある。
劉禅が死んでから丁度四年目で、この四年が北征の準備期間だったということになる。
漢中まで進んでここで一年腰を据えている。勇んで国を出て来たにしては少しのんびりしているが、これは新城の孟達と連絡を取り、魏に対する叛乱を促していたのであろう。
それが健興六年の正月、その後すぐ諸葛亮は漢中から出動している。
諸葛亮は前後数回北征に出ているが、万全の準備もして意気込みも高かったのはやはりこの第一回である。
ところがどこへ行ったかというと、祁山へ行った。
方角が逆である。
これは以前魏延のブログで書かせていただいた問題である。
これが僕にはどうしても解せない。
いよいよ第一回の北伐へ…。
続く…。
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