横山光輝三国志 曹丕と曹植
公開日:2015年10月6日 更新日:2019年8月27日
偉大なる魏王 曹操が死する
曹操は重臣達に「余の後を継ぐ者は長男の曹丕と決める。」と残して息を引き取った。
そして新魏王が曹丕と決まる。
建安二十五年、春正月のことであった。
曹丕が魏王と決まったものの、曹操には四人の息子がいた。
長男曹丕、次男曹彰、三男曹植、四男曹熊。
どの一人をとっても才に飛び抜けたものがなく、それが王位継承で側近の者達を暗躍させる結果になる。
それはやがてお家騒動へと発展していくことになる。
王位継承のことは兄弟同士の中でも、密かに「自分が…」と思っている空気があった。
またそれぞれについている側臣達の間ではっきりと暗躍が繰り返されていた。
次男の曹彰は十万の軍勢を引き連れ、曹丕の元へ来る。
曹彰は賈逵に本心を尋ねられ、
曹彰は「王位を争う気はない、父の喪に服するために参った」と答え、兵を収め一人で曹丕のいる魏王宮へ。
そして二人は手を取りあって父の死をいたみ悲しんだ。その後曹彰は引き上げる。
次は四男曹熊の番である。
使者から曹丕の問罪状を突きつけられた。曹熊は病の床にいたため異心があってのことはなかった。
だが疑われ、病のため気も弱くなっていた曹熊はその夜、罪を恐れて自害した。
最後に三男の曹植である。
詰問の書を渡された、曹植の側近は使者を追い返した。
それにより曹丕は怒り、許褚に曹植とその側近らを引っ捕えるよう命じ、曹植と側近は死罪を突きつけられ、側近は死罪となり、次は曹植の番である。
実は三男曹植は先王曹操に一番かわいがられ、曹丕はそれをよく思ってなかった。だから父の葬儀欠席を口実に、かねてより不仲の弟 曹植を始末しようと考えたのだ。
しかし母に諌められて止められる。
表立って処分できなくなった曹丕は、曹植が得意とする詩に関する難題を出す。
曹丕「もし本当にその才があるならば七歩あゆむ間に詩を一首吟じてみよ、できれば死罪は許す…」
命じられた曹植は難題を軽々とクリア。
しかし続いて、
曹丕「よし兄弟を題とせい、ただし兄弟の文字を使うではならぬ」
曹植「豆を煮るに 豆萁を燃やし 豆釜中に在りて泣く 本是れ同じ 根より生ぜしに 相煎ること 何ぞ太だ急なる」
自分達の不仲を嘆く詩を即座に作る。
流石の曹丕も涙し、曹植を許した。
曹植は自らの才能で死罪を免れたが、父の葬儀を欠席するなど、曹植にも非はあり、曹丕を怒らせるのもまた当然。
しかし逆にやり込めて泣かせてしまうあたり、曹植は職人芸である。正確には即興詩です。
詩は人の心を打つ
豆を題にして兄弟(姉妹・兄妹・姉弟・姉兄)の不仲を嘆くこの詩はとても感慨深い。曹丕はこのような詩を曹植は作れるはずがないと読んで、わざと困難なお題で即興詩を作らせた。
曹丕は曹植を殺す気満々であった。しかし曹丕も父曹操が見込んだ人物だけあって、言いがかりで曹植を死罪にも出来たが、曹植の詩に本質を突かれて測りしり、自分の弟を殺さなかったのである。
兄弟ほど仲がこじれてしまうと、修復困難になり、曹丕、曹彰、曹熊、曹植のようになる。
親はすべからく、だいたい「兄弟仲良くしなさい」と言うが、親がそれを言えば言うほど、逆効果でありその兄弟は仲が悪くなる傾向が強い。
それは他人より兄弟とは、より身近な存在であり、それゆえ自分の鏡として見えてしまい、嫌な部分がよく目につくものである。
逆に親が「別に兄弟仲良くしなくてもいい」というようなスタンスであれば、その兄弟は仲良くしているケースが多い。
根本には兄弟の問題と言うよりか「親子関係の問題」に通じているところが多いのではないだろうか?
帰するところ、曹植は曹丕の前で【死】を目前としていたが、自らの【詩】により助かったのである。それは天から授かった、親から受け継いだ才能以外何ものでもない。
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